「農民藝術概論綱要」宮沢賢治・1926年(写読)
序論
・・・・われらはいっしょにこれから何を論ずるか・・・
おれたちみな農民である ずいぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活する道を見つけたい
われらの古い師父たちの中にはそういう人たちも應々あった
近代科学の實證と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於いて論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか
新たな時代は世界が一つの意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに應じていくことである。
われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう 求道はすでに道である
農民藝術の興隆
・・・・何故われらの藝術がいま起こらねばならないか・・・
嘗てわれらの師父たちは乏しいながら可成り樂しく生きていた
そこには藝術も宗教もあった
いまわれわれにはただ勞動が生存があるばかりである
宗教は疲れ近代科学に置換され然もわびしく堕落した
いま宗教家藝術家とは真善若しくは美を獨占し販(う)るものである
われらに購ふべき力もなく又さるものを必要とせぬ
いまわれらは新たに正しき道を行きわれらの美を創らねばならぬ
藝術をもてあの灰色の勞働を燃やせ
ここにわれら不斷の潔く樂しい想像がある
都人よ 來ってわれらに交われ 世界よ 他意なきわれらを容れよ
農民藝術の本質
・・・・何がわれわれの藝術の心臓をなすものであるか・・
もとより農民藝術も美を本質とするであろう
われらは新たな美を創る 美學はたえず移動する
「美」語さえ滅するまでに それは果てなく擴がるであろう
岐路と邪路とをわれらは警(いまし)めねばならぬ
農民藝術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具體なる表現である
そは直観と情緒との内經驗を素材としたる無意識或いは有意の創造である
そは實生活を肯定しこれを一層深化し高くせんとする
そは人生と自然とを不斷とを藝術寫眞として尽くることなき詩歌と
巨大な演劇舞踏として観照享受することを教える
そは人々の精神を交通せしめ その感情を社會化し遂に一切を
究竟地まで導かんとする
かくてわれらの藝術は新興文化の基礎である
農民藝術の分野
・・・・どんな工合にそれが分類さけ得るか・・・
聲に曲調節奏あれば聲樂わなし 音が然れば器樂をなす
語まことの表現あれば散文をなし 節奏であれば詩歌となる
行動まことの表情あれば演劇をなし 節奏あれば舞踊りとなる
光象寫機に表現すれば静と動との 藝術寫鬒をつくる
光象手描を成ずば絵画を作り 塑材によれば彫刻となる
複合により劇と歌劇と 有声活動写真をつくる
準志は多く香味と触を伴えり
聲語準志に基づけば 演説 論文 教説をなす
光象生活準志によりて 建築及衣服をなす
光象各異の準志よりて 諸多の工藝美術をつくる
香味光触生活準志に表現あれば 料理と生産とを生ず
行動準志と結合すれば 労働競技体操となる
農民藝術の(諸)主義
・・・・そのなかにどんな主張が可能であるか・・・・
藝術のための藝術は少年期に現はれ青年期後に潜在する
人生のための藝術は青年期にあり 成年以後に潜在する
藝術としての人生は老年期中に完成する
その遷移にはその深さと個性が関係する
リアリズムとロマンティシズムは個性に関して併存する
形式主義は正態により標題主義は続感度による
四次感覚は静藝術に流動を容る
神秘主義は絶えず新たに起こるであろう
表現法のいかなる主張も個性の限り可能である
農民藝術の製作
・・・・いかに着手しいかに進んで行ったらいいか・・・
世界に対する大なる希望をまづ起こせ
強く正しい生活をせよ 苦難を避けず直進せよ
感受の後に模倣理想化冷たく鋭き解析と熱あり力ある綜合と
諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかる
機により與会し胚胎すれば製作心象中にあり
練意了って表現し 定案成れば完成せらる
無意識即から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である
髪を長くしコーヒーを吞み空虚に待てる顔つきを見よ
なべて悩みをたきぎと燃やし なべての心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
農民藝術の産者
・・・・われなのなかで藝術家とはどういうことを意味するか・・・
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな藝術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於いてそれぞれ止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの藝術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自ずと集中される
そのときおそらく人々はその生活を保証するだろう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここに多くの解放された天才がある
個性の異なる幾億天才もな併(なら)び立つべく斯くて地面も天となる
農民藝術の批評
・・・・正しい評価や鑑賞はまずいかにしてなされるか・・・
批評は当然社会意識以上に於いてなさねばならぬ
誤れる批評は自らの内藝術で他の外藝術を律するに困る
産者は不断に内的批評を有(も)たねばならぬ
批評の立場に破壊的創造的及観照的の三がある
破壊的批評は産者を奮い起たらしめる
創造的批評は産者を暗示指導する
創造的批評家には産者に均しい資格がいる
観照的批評は完成された藝術に対して行われる
批評に対する産者は同じく社会意識以上を以って応えねばならぬ
斯くても生ずる争論ならばそは新たなる建設に至る
農民藝術の綜合
・・・おお朋(とも)だちよ いっしょに正しい力を併せ われらののすべての
田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の藝術につくりあげようではないか・・
まずともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう
しかもわれわれは各々感じ 格別各異に生きている
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
『つめくさ灯ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかわし
雲をもよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』
詞は詩であり 動作は舞踏 音は天樂 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次元の藝術をなす
おお朋だちよ きみは行くべく やがてすべて行くであろう
結論
・・・・われらに要るものは銀河を包む透明な意志巨きな力と熱である・・・
われらの前途は輝きながら険峻である
険峻のその度ごとに四次元藝術は巨大な深さとを加える
詩人は苦痛をも享受する
永久の未完成これ完成である
理解を了(しま)えればわれらは斯る論をも棄てる
畢竟ここには宮澤賢治1926年その考えがあるのみである
100年後のいまは
●「農民藝術概論網要」が書かれてから100年が経ちました。
賢治さんと祖母は同じ明治29年(1896年)生まれでした。
昭和8年(1984年)38歳で賢治さんは亡くなっています。
祖母が亡くなったのは平成元年(1896年)93歳でした。
世界はさらに混迷の不幸の坩堝に・・・・
5月6日
銀河の一票
●昨夜見たテレビドラマ「銀河の一票」です。
普段は夕暮れ時の再放送「相棒」を見ています。
祖父母は「水戸黄門)両親は「大岡越前」でした。
「銀河の一票」で主人公を演じる黒木華の毎回の台詞が気になりました。
恩師の下宿で書棚から「宮沢賢治全集」の一冊のページを捲りました。
17歳のわたしが知る宮沢賢治は「雨ニモマケズ風ニモマケズ」でした。
まったく本を読まないわたしが読書の楽しみを知る始まりです。
手に取ってページを捲ったページが「農民藝術概論綱要」でした・
「銀河の一票」で黒木華が呟く台詞は、
「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
本日は「農民藝術概論綱要」を写読して読み返しました。
恩師の部屋での懐かしい時間を浮かべながらの「農民藝術概論綱要」の写読でした。
鳥日記
●五月晴れ、今日も海岸バードウオッチングです。
まだ旅鳥は今日も波受け堤防で潮がひくのを待っていました。
●せんだんの木の上にアオサギ
●遊水地にはぐれのキアシシギ
●麦畑をとぶコサギ
●窓の外に花に大きなマルハナバチがぶんぶん羽音をたててます。
今日も無事の一日に感謝です。
誤字脱字にはご容赦ください。
拙文お読みいただき感謝します












