わたしのストーリー ② 母、白血病になる | 今日も笑顔になあれ〜起立性調節障害の兄妹と思春期保健相談士Rico*のブログ

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思春期保健相談士Rico *が日々の暮らしと不登校だった起立性調節障害の兄妹のことをつぶやいています。
いらいら子育てを卒業して、自分らしく楽しい暮らしをしませんか?
元気で明るいおかあさんが一緒にいたら、子どもにも家族にも笑顔が戻ってきますよ。

起立性調節障害の娘と一緒に

楽しい毎日を過ごしているアラフィフ、

家事より子どもと遊ぶのが好きなRico *です。


わたしについては こちら をご覧ください。


今日もブログを訪問していただき、

ありがとうございます。


♂29歳・♂27歳・♂23歳・♀21歳の

4人の子どもたちを育ててきましたが

上の3人の息子は就職で実家を離れ

末っ子長女と夫の3人暮らしになりました。

4人の子どものうち、下の2人が起立性調節障害です。


わたしについて書いていたのがもう2年前でした💧
続きを書くつもりが、あっという間に
そんなに長い月日が過ぎていたんですね。
この2年の間に次男と三男が実家を離れ
東京都民になりました。


わたしは生まれたのも育ったのも長崎市内北部。

三人姉弟の長女、第一子です。

今は、長崎市の隣町に住んでいます。


さて、前回は父が40歳で亡くなり、

専業主婦だった母が仕事を始め

わたしは将来人の役に立つ仕事がしたいと思ったのと

就職に困らないように看護師を目指す。

というところで終わっていましたね。


ですが、最初は保健室の先生を目指しました。

と言っても、まだまだ情報がない昔

わたしと母が知っている

保健室の先生になる方法は

看護師の免許を取った後に

保健師の学校に行き、

保健師と養護教員の資格を取る

という、最長の道でした💧

最短は高卒後短大で資格を取るという、

20歳で養護教員になる方法があったのですが

その道は知らなかったのです。


最長の回り道の中でも最短を目指したので

高校は衛生看護学科に進学。

高卒と同時に准看護師の資格が取れて

その後専門学校に進学すれば20歳で正看護師。

そのあと保健師の学校に進学すれば

21歳で養護教員になれます。


まあ、わたしはそれなりにがんばり、

母はすごくがんばって

わたしたち三人姉弟を育ててくれました。


母はまず近所のかかりつけのクリニックで

事務員として働き始めます。

その後、早朝から午後3時くらいの

パン屋の仕事を見つけてきます。

パンを焼く仕事ですから朝が早いのです。

弟が小学校低学年だったので

なるべく早く家に帰れる仕事にしたかったと思います。


ですが、中学生だったわたしも母と同じ5時起き💧

妹弟の朝食と自分の弁当を

毎朝母と一緒に作りました。

作る途中で母が出勤するので

仕上げは自分でしなければなりませんでした。

この生活は看護師として就職するまで続きます。


あれ⁉️

養護教員を目指してたんだよね❓


はい、そうだったんですが、

わたしが看護学校の2年生の夏

母が突然、白血病のために倒れて

進学することができなくなってしまったのです。



あ〜と言っても、82歳になる母は今も元気にしています。

認知症になることもなく、毎日家事全般を自分でしながら

独身の弟と2人で暮らしています。



話がそれましたが、若干のコミュ障であるわたしは

同じ中学から進学した人が1人もいない高校で

高校デビューもうまくいかず

その当時は友だちと言える人もいたのですが、

今となってはその誰とも連絡が取れない状態になっています。


また、話がそれそうですが、

いろんな経験をしながら

なんとか高校の衛生看護学科を卒業し、


あ、成績だけは良かったんです。

なんせ、父が亡くなるまでは

公立の進学校を目指していたので

私立の衛生看護学科がある高校は

結構偏差値が低かったので💧

高校3年の時には看護学科の全国模試で

10位以内の成績でした。


ただし、同じ高校では常に2位🤣


希望通りの県立保健看護学校に進学しました。

もちろん准看護師の資格があるので

クリニックでアルバイトしながら

看護学校の2年目の学費と交通費

自分の小遣いは自分で稼いでいました。

看護学校の1年目の学費だけは母に出してもらいました。

と言っても、ひと月5000円という安さでした。


同じ高校から看護学校に進学したのはわたしを含めて4人。


わたし以外の3人は仲が良かったようでした。

わたしはここで最年長の生徒と仲良くなりました。

と言っても彼女が保健学科に進学して以来、

連絡は取れてません💧


そうなんです。

県立保健看護学校は

正看護師のコースと保健師のコースが

併設されていました。

もちろん保健学科に入学するには試験があり

併設されていてもなんの特典もありませんでしたが。


わたしも保健学科に進学するつもりでした。

しかし、わたしが看護学科の2年生の夏、

実習中の病院で実習指導の教師から突然呼び出されました。

血相を変えた指導教官から

「大変なことになりました。

 今すぐ◯◯病院に行ってください。

 お母さんが入院されたそうです。」


その当時の母は

正社員として病院の給食の職についていました。

朝食当番の週は早朝6時くらいの出勤で

帰宅は早かったです。

夕食当番の週は10時くらいの出勤で

帰宅するのが20時過ぎ。

週替わりの勤務でした。

その日も普通に出勤したはずでした。


勤務先の病院で立ちくらみを起こし

検査の結果“再生不良性貧血”の疑いで緊急入院。

母が勤務していた病院は看護学校も併設している

市内でもそこそこ大きな二次救急病院でした。


ですが、病院に着くと

母はすでに大学病院に送られたあとでした。


携帯電話もない時代ですからね💧


実習先の病院から大学病院までは徒歩15分くらいでしたが

◯◯病院まで公共交通機関で30分以上かかるんです。

そして、とんぼ返り😭


というか、大学病院に送らなければならないほどの病状ってなに?


看護学生でしたからことの重大さには気がついていました。


大学病院に着くと、19歳の看護学生のわたしと

35歳、独身の母の妹のふたりで

病状説明を聞かなければなりませんでした。

その時告げられた病名は急性骨髄性白血病でした。

しかも、前骨髄性白血病という、初めて聞く病名でした。


ここからがんサバイバーの母と
その家族で看護学生のわたしの生活が始まります。


長くなりそうなので、まずはこの辺で。
続きはいつ書けるかな⁉️


看護師、思春期保健相談士、介護支援専門員

看護学士(オーストラリア)

トータルヘルスダイエットアドバイザー®︎

薬膳スパイスアドバイザー®︎

出生期心理アドバイザー

アンチエイジング雑穀おかずマイスター

オーガニック薬膳マイスター

ナチュラルビューティスタイリスト(一期生)

介護アロマハンドセラピスト

上級守護神公認鑑定師

パワーストーンセラピスト

パワーストーンコンダクター

パワーストーンライフアドバイザー

楽習フォーラムアクセサリー講師



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