起立性調節障害の娘と一緒に
楽しい毎日を過ごしているアラフィフ、
家事より子どもと遊ぶのが好きなRico *です。
わたしについては こちら をご覧ください。
今日もブログを訪問していただき、
ありがとうございます。
♂29歳・♂27歳・♂23歳・♀21歳の
4人の子どもたちを育ててきましたが
上の3人の息子は就職で実家を離れ
末っ子長女と夫の3人暮らしになりました。
4人の子どものうち、下の2人が起立性調節障害です。
わたしは生まれたのも育ったのも長崎市内北部。
三人姉弟の長女、第一子です。
今は、長崎市の隣町に住んでいます。
さて、前回は父が40歳で亡くなり、
専業主婦だった母が仕事を始め
わたしは将来人の役に立つ仕事がしたいと思ったのと
就職に困らないように看護師を目指す。
というところで終わっていましたね。
ですが、最初は保健室の先生を目指しました。
と言っても、まだまだ情報がない昔
わたしと母が知っている
保健室の先生になる方法は
看護師の免許を取った後に
保健師の学校に行き、
保健師と養護教員の資格を取る
という、最長の道でした💧
最短は高卒後短大で資格を取るという、
20歳で養護教員になる方法があったのですが
その道は知らなかったのです。
最長の回り道の中でも最短を目指したので
高校は衛生看護学科に進学。
高卒と同時に准看護師の資格が取れて
その後専門学校に進学すれば20歳で正看護師。
そのあと保健師の学校に進学すれば
21歳で養護教員になれます。
まあ、わたしはそれなりにがんばり、
母はすごくがんばって
わたしたち三人姉弟を育ててくれました。
母はまず近所のかかりつけのクリニックで
事務員として働き始めます。
その後、早朝から午後3時くらいの
パン屋の仕事を見つけてきます。
パンを焼く仕事ですから朝が早いのです。
弟が小学校低学年だったので
なるべく早く家に帰れる仕事にしたかったと思います。
ですが、中学生だったわたしも母と同じ5時起き💧
妹弟の朝食と自分の弁当を
毎朝母と一緒に作りました。
作る途中で母が出勤するので
仕上げは自分でしなければなりませんでした。
この生活は看護師として就職するまで続きます。
あれ⁉️
養護教員を目指してたんだよね❓
はい、そうだったんですが、
わたしが看護学校の2年生の夏
母が突然、白血病のために倒れて
進学することができなくなってしまったのです。
あ〜と言っても、82歳になる母は今も元気にしています。
認知症になることもなく、毎日家事全般を自分でしながら
独身の弟と2人で暮らしています。
話がそれましたが、若干のコミュ障であるわたしは
同じ中学から進学した人が1人もいない高校で
高校デビューもうまくいかず
その当時は友だちと言える人もいたのですが、
今となってはその誰とも連絡が取れない状態になっています。
また、話がそれそうですが、
いろんな経験をしながら
なんとか高校の衛生看護学科を卒業し、
あ、成績だけは良かったんです。
なんせ、父が亡くなるまでは
公立の進学校を目指していたので
私立の衛生看護学科がある高校は
結構偏差値が低かったので💧
高校3年の時には看護学科の全国模試で
10位以内の成績でした。
ただし、同じ高校では常に2位🤣
希望通りの県立保健看護学校に進学しました。
もちろん准看護師の資格があるので
クリニックでアルバイトしながら
看護学校の2年目の学費と交通費
自分の小遣いは自分で稼いでいました。
看護学校の1年目の学費だけは母に出してもらいました。
と言っても、ひと月5000円という安さでした。
同じ高校から看護学校に進学したのはわたしを含めて4人。
わたし以外の3人は仲が良かったようでした。
わたしはここで最年長の生徒と仲良くなりました。
と言っても彼女が保健学科に進学して以来、
連絡は取れてません💧
そうなんです。
県立保健看護学校は
正看護師のコースと保健師のコースが
併設されていました。
もちろん保健学科に入学するには試験があり
併設されていてもなんの特典もありませんでしたが。
わたしも保健学科に進学するつもりでした。
しかし、わたしが看護学科の2年生の夏、
実習中の病院で実習指導の教師から突然呼び出されました。
血相を変えた指導教官から
「大変なことになりました。
今すぐ◯◯病院に行ってください。
お母さんが入院されたそうです。」
その当時の母は
正社員として病院の給食の職についていました。
朝食当番の週は早朝6時くらいの出勤で
帰宅は早かったです。
夕食当番の週は10時くらいの出勤で
帰宅するのが20時過ぎ。
週替わりの勤務でした。
その日も普通に出勤したはずでした。
勤務先の病院で立ちくらみを起こし
検査の結果“再生不良性貧血”の疑いで緊急入院。
母が勤務していた病院は看護学校も併設している
市内でもそこそこ大きな二次救急病院でした。
ですが、病院に着くと
母はすでに大学病院に送られたあとでした。
携帯電話もない時代ですからね💧
実習先の病院から大学病院までは徒歩15分くらいでしたが
◯◯病院まで公共交通機関で30分以上かかるんです。
そして、とんぼ返り😭
というか、大学病院に送らなければならないほどの病状ってなに?
看護学生でしたからことの重大さには気がついていました。
大学病院に着くと、19歳の看護学生のわたしと
35歳、独身の母の妹のふたりで
病状説明を聞かなければなりませんでした。
その時告げられた病名は急性骨髄性白血病でした。
しかも、前骨髄性白血病という、初めて聞く病名でした。
看護師、思春期保健相談士、介護支援専門員
看護学士(オーストラリア)
トータルヘルスダイエットアドバイザー®︎
薬膳スパイスアドバイザー®︎
出生期心理アドバイザー
アンチエイジング雑穀おかずマイスター
オーガニック薬膳マイスター
ナチュラルビューティスタイリスト(一期生)
介護アロマハンドセラピスト
上級守護神公認鑑定師
パワーストーンセラピスト
パワーストーンコンダクター
パワーストーンライフアドバイザー
楽習フォーラムアクセサリー講師
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