わたしのストーリー ① | 今日も笑顔になあれ〜起立性調節障害の兄妹と思春期保健相談士Rico*のブログ

今日も笑顔になあれ〜起立性調節障害の兄妹と思春期保健相談士Rico*のブログ

思春期保健相談士Rico *が日々の暮らしと不登校だった起立性調節障害の兄妹のことをつぶやいています。
いらいら子育てを卒業して、自分らしく楽しい暮らしをしませんか?
元気で明るいおかあさんが一緒にいたら、子どもにも家族にも笑顔が戻ってきますよ。

起立性調節障害の兄妹と一緒に


楽しい毎日を過ごしているアラフィフ、
家事より子どもと遊ぶのが好きな
ワーキングマザーです。

今日もブログを訪問していただき、ありがとうございます。

少しわたしのことを書きます。


生まれたのも育ったのも長崎市内北部。
三人姉弟の長女、第一子です。
今は、長崎市の隣町に住んでいます。


良妻賢母?な昭和の専業主婦な母と
亭主関白な、でも優しい父に育てられました。
小さな建設会社の事務員の父。
特に資格もなく、今にして思えばすごく安月給でした。
でも、お金はなくても、楽しくて仲良し家族でした。
父は少しでも時間があるとわたしたち姉弟と遊んでくれたり
公園や遊園地に連れて行ってくれたりするような人でした。
特に末っ子の弟を猫かわいがりにしていました。
大人になったら男2人で飲みに行くことを楽しみにしていました。

その頃のわたしは自分を表現するのが苦手で
うまくコミュニケーションをとることもできず
扱いにくい子どもだったと思います。
人見知りで、小学校高学年頃から
いじめにあったりもしていました。
でも、親に心配をかけたくなかったから、
意地張って、学校には通いました。
そして、人の役に立つ仕事がしたいとぼんやり考えていました。

そんな幸せも中学2年生まででした。
優しかった父が40歳の若さで、突然この世を去ったのです。

お酒が大好きで、陽気なお酒を飲む人でした。
家にはいつも仕事仲間のおじさんたちが集まり
母の料理で宴会をしていました。
タバコもそこそこ吸う人でした。
そのせいか、そのせいじゃなかったかはわかりませんが、
わたしが中学2年生、妹が小学4年生、弟が小学2年生の5月、
父は心臓突然死で、本当に突然いなくなりました。
なんの言葉もなく、覚悟も、準備もないままに父とお別れすることになりました。

そこから、専業主婦だった母が働き始めます。

その時の母の一言
「准看護師でもいいから手に職があったら、明日から働けたのに。」

なんとなく人の役に立つ仕事をしたかったわたしは
その母の一言から看護師への道を歩き出すことになるのです。



長くなりました。
続きはまた次の機会にしますね.


看護師、思春期保健相談士、介護支援専門員
看護学士(オーストラリア)
トータルヘルスダイエットアドバイザー®︎
薬膳スパイスアドバイザー®︎
出生期心理アドバイザー
アンチエイジング雑穀おかずマイスター
オーガニック薬膳マイスター
ナチュラルビューティスタイリスト(一期生)
介護アロマハンドセラピスト
上級守護神公認鑑定師
パワーストーンセラピスト
パワーストーンコンダクター
パワーストーンライフアドバイザー
楽習フォーラムアクセサリー講師



三男からもらった屋久杉のドルフィンテール。
マクラメでラリマーと合わせていきます。

ランキングに参加しています。
よかったらポチッとしてくださいね。

にほんブログ村 病気ブログ 起立性調節障害へ   にほんブログ村 子育てブログ 共働き育児へ   にほんブログ村 子育てブログ 子だくさんへ