わたしは普段会社員をやっており、今はなるべく早く帰れるように考えていますが、以前は長時間働いていることもありました。

 

そのときからも聞かれることで、「よくモチベーションが続きますね」とか、「ずっと働けておかしくならないですか」ということです。

 

元来があまり引きずらない、悩まないタイプであることも前提としてありますが、モチベーション、テンションという面でははっきり言ってありません。

 

もっと言うと、高いときも低いときもないということです。

 

なので、モチベーションが高いから仕事が捗ることも、テンションが低いから仕事が進まないこともありません。

 

やらなければいけないことはやるし、できれば早く終わらせたいことはさっさとやります。

 

仕事も好きじゃないです笑

 

そりゃ、仕事しなくても自由な生活ができるならそうしたいですけど、それは今は無理な状況なので、働いています。

 

仕事は好きではないですけど、嫌いでもないです。ただ必要だからやっている。

 

そこに最近は、人の可能性を見出すという意義が見つかったので、より貢献する思いは強くなりました。

 

気分がよいときはもちろんあります。

 

天気がいい日、楽しみな予定がある、おもしろそうな本を見つけたなどなど。

 

でもそれと仕事の出来は関係ありません。

 

よく仕事を一連の流れとして、ルーティン化すると聞きますが、それも同じことなんじゃないかなと思います。

 

仕事に楽しみを見つけることもあっていいと思いますが、それだと見つからないときはどうする、常に楽しみがないとうまくいかないことになりますので、淡々とできるように、うまく割り切った状態を作ることかと思います。

 

 

人は誰でも得意なこと、特長があると思っています。

 

得意なことと言うと、特別秀でているもの、優れているものと思いがちですが、優劣ではなく、その人が自然とできるもの、無意識のうちにやっているもの、違和感なくやれるものと捉えています。

 

特に小さいころから何となくできていたものがよい例で、手先が器用で工作ができていた、クラスや集団のまとめ役になっていた、人の話を聞く機会が多かった、楽器がうまかった、何でもよいです。

 

そして、自分では当たり前のように、無意識にできているので気づかないこともあります。

 

そんなときは周りに聞いてみたり、自分ができていて、他の人ができていないことに注目してみたりしてください。

 

簡単にできていたけど、実は周りは簡単じゃなかった。当たり前だと思っていたけど、やっている人は少なかった。そんなこともあるかもしれません。

 

そこで1点、周りから得なこととして言われたことは、一回受け止めて自分で本当にそうか考えてみましょう。

 

例えば、親や友だちからスポーツの才能があるよ、歌がうまいよ、と言われたけど、自分ではそうは思わないようなときです。

 

得意なことかもしれないけど、自然ではない、好きではないこともあります。

 

子どもの頃は周りからはすごいと言われたけど、だんだん伸び悩む、伸び悩んだときにもっとやろう、うまくなろうという気持ちになれない。

 

それは本来の自分の得なこと、自然とできることではないかもしれません。

 

これをやらせればうまくできるのに、別のことをやっている。そんな人いませんか。

 

周りからよく言われても、本人はそう感じていないからこそだと思います。

 

よくないことは、周りから才能があると言われ、本人がその気になったものの、壁に当たったときに、何もできない、越えようと思わないことです。

 

自分の得意なことがわからない、そんなときに周りから聞くことはよいことですが、最終的にそれをどう生かすのかは、やはり本人が決めることだと思います。

誰でも仕事や、日々の活動の中で、やらないといけないが、嫌なこと、苦手なこと、できればやりたくないことがあるかと思います。

 

わたしは、仕事に関してはあまり好き嫌い、得手不得手を考えずに、やらないといけないことは無になって淡々と取り組みますが、どうしても億劫になる人もいると思います。

 

そんなときはさっさとやるために、とにかく効率化する、あまり関わりたくないことだからこそ無駄を削いで、必要なことをやる、そんな取り組み方をしてみて下さい。

 

反対に自分が得意なこと、やっていて楽しい、楽だと感じていることほど、非効率な部分、こだわりがあって、必要以上にのめり込んでしまうところもあるかもしれません。

 

嫌なことを早く、効率よくできることは、他のことにもこうすればいいんじゃないかと質の向上につながることもあります。

 

どうやって効率化しようか、どうやって無駄をなくそうか、どこを削ろうかと考えても思いつかないときは、嫌なことを早くやるという自分の感情の力を借りて、その方法を学んでみて下さい。

 

やりたくないからこそ、不要なことは躊躇なくなくすこともできます。

 

自分の負の感情も、よい使い方をしてあげると面白いですね。

子どものころは毎日やっていたことで、大人になってあまりやらなくなったこと、色々あると思います。

 

その一つに「楽しむ」ことがあります。

 

楽しむことをやらなくなったという表現はあまり適さないかもしれませんが、子どものころは何をするにも楽しんでやってたということはありませんか。

 

もちろん楽しいことだけをやっていた、好奇心に任せていたということもあるかと思いますが、勉強をするにしても、知らない人と接するにしても、楽しもうと無意識にしていたのではないかと思います。

 

それが大人になるにつれ、楽しもうという意識は薄れていきます。

 

よくスポーツ選手が、大事な試合に向けて楽しみたいという表現を使いますが、楽しんで取り組むことが良い結果につながるということではないかと思います。

 

これは仕事についても当てはまります。

 

仕事というとやらなきゃいけないもの、やらされるもの、モチベーションを保ってやるものと捉えがちですが、楽しんでみようとしたらどうなるでしょうか。

 

接客業であればお客様との会話を楽しむ、お客様を楽しませるなどわかりやすいかもしれません。

 

事務仕事であれば、期限通りにやることをタイムゲームとしてやってみる、入力作業をより速く正確にできるようにやってみる、ただ同じような仕事をこなすのではなく、ちょっとずつ人が気づかないところを変えてみるなど。

 

ただのプラス思考かもしれませんが、そもそも楽しもうという意識もいつの間にかなくなっている、それを思い起こしてみるのです。

 

遊ぶように仕事をする。そんな感覚で楽しそうに仕事をしている人がいたら、周りも楽しくなりますよね。

 

子どもが人を笑顔にするのはそういうところじゃないかと思います。

 

子どものころはとにかく楽しいことをやっていた。好奇心を持ったものに触れていたように思います。

 

外で遊ぶ、ともだちと遊ぶ、ゲームをするはもちろん、大人が食べているものや、やっているものに何だと興味を持ちます。

 

勉強についても、書けなかった字がかける、絵が描ける、漢字を読めるようになる。ひとつひとつを楽しみながら身につけていったように思います。

 

それが時間が経つにつれ、いつしか楽しくないことに変わります。

 

人間関係で悩んだり、うまくいかなくなったり、好奇心があったとしても実際に触れてみるのに躊躇する。

 

勉強についても、楽しいよりもやらなければならないからやる。できればやりたくない。

 

そのように変化していきます。

 

子どもは経験がないから純粋に物事を見れる、大人になると現実的になり、できるできないが認識できて行動が制限される。

 

確かにそうかもしれません。

 

また人は本能的に身を守る習性があると言われていて、リスクについて反応するものと言われます。

 

うまくいくことよりも、うまくいかなかったことを考える。できるイメージよりも、できないイメージが先行する。このようなことも仕方がないかもしれません。

 

ではそういった性質を理解してみてはどうでしょうか。

 

周りを気にするようになったと思ったら、本能的に周りから身を守る習性が現れてきた。

 

勉強をするのが億劫になってきたら、知る楽しみよりも、できないことで成績が悪くなることを考えはじめてきた。

 

人間関係については、自分が嫌われないように、無難にするようになっているかもしれない一方で、相手も同じ意識が出ているかもしれません。

 

こういったことが無意識に出ている、知らず知らずにやっている自分がいる、それは自然なことであると考える。

 

その上で、じゃあどうしようかと。

 

守る自分が出てくる、動くのが億劫になる自分がいる、やりたくない勉強が目の前にある。

 

それは本能であり仕方がないこととして捉える。

 

でも元々は子どものようにもっと良いことを考える本能にしたがっていたはずです。

 

どちらも本能的なものかもしれませんが、小さいころの行動こそ本来の自然なことのように思います。

 

経験や体験によって、身を守る本能が出てしまった、それに従うのではなく、楽しいことをする小さいころからあった本能に従うべきです。

 

身を守る本能は、目の前の悪い出来事に触れれば触れるほど現れてきます。

 

それよりも楽しいこと、好奇心があることに目を向けてみましょう。