ホメられて伸びるタイプと、厳しく言って伸びるタイプがいる。一見相反することのようですが、どちらも可能性を引き出すことに変わりはありません。

 

ホメるということは、できていることをきちんと伝える、可能性を見つけ出して、よくできていることにフォーカスすることでしょう。

 

厳しく言うということも、もっとできると、まだダメだと、現状に満足させず、さらに可能性を引き出そうとしていると言えます。

 

要するに、今の可能性を見つめることと、将来であり、潜在的な可能性を見つめることの違いだけに思います。

 

どちらにせよ、よく相手のことに気づいていないと言えないことです。

 

どちらも大事なのは、言ったあとにきちんとその人が伸びていること、さらに成長することです。

 

そのときだけ気持ちよくさせる、そのときだけ気持ちを奮い立たせるだけでは十分と言えないでしょう。

 

ホメるも、ホメないも、可能性を見つけるのも、もっとできるだろうと気づくのも、成長への第一歩です。

 

何事もですが、大切なのはその後どうなるのかではないかと思います。

「不易流行(ふえきりゅうこう)」とは、

不易、いつまでも変化しない本質的なもの

流行、時代によって変わっていくもの、とし

昔から変わらないものに新しいものを取り入れる考え方とされます。

 

言葉にするとよくわかりますが、行動にするとなかなかできないこともあります。

 

自分のこだわりを持ち続けてしまう、今までのやり方のほうが楽だから変えようとしない、そもそも変化することはエネルギーがいるから進まないなど。

 

転職のような環境が変わったときに、早く馴染める人と馴染めない人も不易流行の面があるように思います。

 

早く馴染める人は、「流行」を優先して、環境の変化に合わせようとします。

 

すぐに馴染めない人は、「不易」を優先して、自分のこれまでのやり方、自分が正とするやり方に環境を当てはめようとします。

 

自分自身に、人それぞれに不易の部分があるように、変わった先、新しい環境にも不易があります。

 

新しく加わった人に、好きなようにやっていい、自由にしていいと言うものの、何でもかんでもやっていいというわけではないですね。

 

ここに日本の空気を読む、表現と本質が違うという厄介な部分がありますが、環境が変わるときは、ひとまず不易は自分の中にしまっておいて、流行を優先するのがいいでしょう。

 

ただし、不易の部分はいつでも思い出せるようにして、忘れないことです。

 

始めは流行でいいですが、不易を頭の片隅に入れておかないと、いつの間にか不易が見えなくなります。

 

自分の中の不易とは何か、そしてそれを忘れないようにする。

 

わたしは、不易はあまり数多くないですが、柱の部分はあります。反対に、それ以外は全て流行でいいくらいに思っています。

 

自分の中で変えないもの、大事にしているもの、言い換えれば価値観は、いつでも大切にしておいてください。

「あきらめたら試合終了です」

 

誰もが知っている言葉で、本当によく思い浮かぶ言葉で、いい言葉だと思います。

 

このあきらめるという言葉の語源に、「明らめる」という意味があるそうです。

 

明らめる、すなわち明らかにする、はっきりするということです。

 

そうすると、「あきらめない」ことにも受け止め方が異なります。

 

普段思うあきらめるとは、やめるとか、投げ出すとか、希望を捨てるという意味になるでしょうか。

 

それが明らめるとなると、現実を受け止め、それをどう捉えるかということになります。

 

そう考えるとあきらめることも大事であると思いませんか。

 

物事には自分ではどうにもできないこともあります。

 

それをあきらめる(=明らめる)ことで、無理なことは無理だから、じゃあどうしようか、どうすればいいかということに考えが移ります。

 

それをいつまでもあきらめない(=明らめない)ことで、できないことをし続けることになります。

 

もちろん、それがいつか花開くこともありますが、大事なのは目的を達成することで、現実を明らめないことではないはずです。

 

今の状況を明らめて、別のやり方を考える、違う方法がないか考える、これが悪いことではないでしょう。

 

自分もそして周りも、あきらめることをもっと積極的にしていいと、明らめる意味は伝えているのだと思います。

 

 

わたしは昭和生まれなので、最近のSNSの流行には疎いです。

 

知らない間にInsta映えという言葉が今は廃れていると聞き、そうなんだと思いながら笑

 

確かに連絡のやりとりをするにしてもLINEは使わなくなりましたし、メールは特に使わない、ただ特定の何かというわけではなく、目的によったり、相手によって変えているように思います。

 

Facebookで情報が分かるときはFacebookを見て、Instagramで詳しい情報が載っていればInstagramを見る。

 

要するに、大事なのは目的であり、なかみであるので、それに合った手段を使えばいんじゃないかなと思います。

 

なので、手段の面でついていけないとやり取り自体ができないので、今どういう手段があるのか、どういったものが使われているのかは知っておきたいと思いますけど。

 

日々色々な情報が見れ、耳に入ってくる中で、この目的というのを忘れがちになります。

 

「そもそも何だっけ?」「そもそも何のためにやるんだっけ?」

という状態です。

 

体裁や見た目、手段ばかりを考えていると、本来の目的がわからなくなります。

 

何のために、どういった相手に、何を伝えたいのか、何を知ってほしいのか

目的によってやり方が様々にある時代だということです。

 

反対に、自分が知りたいことがあったときも、一番わかりやすいもの、知りたいことが知れるものを見ますよね。

 

大事なのはなかみであり、目的であることを忘れないようにしたいです。

天気予報のコーナーでは、晴れの日について、「今日はいい天気になるでしょう」「明日はいい天気になりそうです」という表現は使わないようにしているそうです。

 

おそらく大半の人は晴れ=いい天気という認識があるかと思いますが、晴れを良いと受け止めない人もいるからだそうです。

 

例えば、農家の人にとっては雨が降ってくれた方が作物が育ちますし、花粉症の人は晴れていない方が花粉が飛ばないから助かるとも言われます。

 

わたしも、出かけるときに雨は嫌ですが、室内にいるときは雨の音が好きだったりします。

 

要するに、物事には色々な面があり、人それぞれ受け止め方も違うということです。

 

仕事一つ取っても、得意な人、好きな人もいれば、苦手な人、できればやりたくない人もいます。

 

清掃を仕事にしている人は、本当に細かいところまで気づいてやってくれますが、掃除が苦手な人にとっては苦痛でしかないでしょう。

 

なので、目の前のことにあまり一喜一憂するのではなく、その中で自分にとって良いところ、プラスになるところを見つけてみることではないかと思います。

 

天気が晴れならばこの服を着よう、雨のときはこの服、この傘を使おう、そんな対応をできれば天気がどちらでも気持ちが沈むことはないですよね。

 

一瞬嫌な気持ちになってしまうこと、それに対しどう良い面を見つけるか。こう考えたらいいんじゃないか。

 

そう意識すると実は全ていいところあるじゃん、って思えるかもしれませんね。