ChatGPTをどう使うかが、毎日のように情報として目に入るようになり、AIを当たり前のように使いこなす時代となりました。

 

AIが広がることで、仕事が減る、困る、やっぱり人がやる方がいいなど、色々な話もありますが、これも正解はなく、うまく共存すればいいと思います。

 

AIができることはAIにやってもらって、人ができることは人がやる。

 

ではAIにやってもらうことはなにか。

 

一般的には、人の指示した内容をAIに実行してもらうイメージですが、逆にAIが指示した内容を人がやるのもありだと思います。

 

AIやパソコンの特長は何と言っても判断スピード、計算スピードの速さです。

 

一つの問いに対して、人が考える間にAIは判断して答えを出してくれます。

 

ならば、その判断を基に人が行動をするのもありではないかと思います。

 

人が行動できないのは、判断できない、やり方がわからないからというのもあります。

 

だったら、それをAIにやってもらって、人はどんどんその通りの行動をする。

 

何もしない、できないよりもありではないかと思います。

 

もちろん、AIに責任を取らせられませんから、全てを鵜呑みにはできないですが、うまく共存して、自分の行動力に活かせればいいと思います。

 

様々な情報が手に入る現代、すごいことをしている人というのも毎日見ることができます。

 

メジャーリーグで活躍する大谷選手は、ピッチャーとバッターをこれまでにないレベルでこなしています。

 

若くして社長となって事業を成功させている人、プログラミングの天才と言われる人、高齢になってから資格取得をする人。

 

すごさにも基準はなくて、これも人それぞれだと思います。

 

自分自身で、これまでできなかったことができた。今まで苦手だったものを克服した。ダイエットに成功した。

 

これも十分にすごいことです。

 

そして、さきほど挙げたすごいことをしている人の本当のすごさとは、いつしかそれを当たり前にしてしまっていることではないでしょうか。

 

最初にすごいと受け止めたことも、何度か見るとすごさを感じなくなる、すなわち当たり前になる、これこそが本当の凄味に思います。

 

そしてさらにすごいことは、本人も当たり前と思っていて、さらに高みを目指しているところ。

 

自分の中でできると思って実現する、それがたまたま他の人がやっていないこと、できていないことで、自分にはもっとできるとチャレンジする。

 

見習うべきは、この点ではないかと思います。

 

人それぞれ、すごいことができます。そして、自分にはすごいことができた、それが当たり前になった、じゃあもっとすごいことをしてやろう。

 

そんな思いが、どんどん自分を高められるのではないかと思います。

 

まず自分のすごさを認めましょう。そして、もっとすごいことをしてやりましょう。

 

何より、人が自分の置かれている環境で、生きていること自体がすごいことだと思います。当たり前になっていますけどね。

自分は絶対にこれはやらないだろう。自分には関係ないと思っていたことに、関わることってありませんか。

 

逆に、絶対にやる、絶対になると言ってやらない、ならないこともありますよね。

 

この心境の変化、考え方が変わることはいいと思います。

 

もちろん、仕事でやることになっていたことをやらないなどは別ですが、興味のあること、自分の普段の行動において、言ったこと、思ったことを変えることは進化だと思います。

 

そのときはそう思ったけど、違う考え、もっとよい方法がわかったため、別のことをする。

 

それに対し、一度言ったから変えづらい、止めづらいで留まることは意味があることだと思いません。

 

確かに、夢や目標を公言することで自分に行動力を促すという方法もありますが、そもそも自然とできていない時点で無理をしているので、プラスではないでしょう。

 

芸能人など、テレビやネットでの過去の発言を取り上げられ、違うじゃないかと指摘されることもありますが、考えが変わったんだからしょうがないですよね。

 

それをあの時ああいった、なぜなんだと指摘したところで意味もありません。

 

信念や根本的な考え方も、頻繁に変わることはプラスとは言えませんが、それすらも時代の変化や、自分の心境、環境の変化で変わってもいいと思うのです。

 

大切なのは、変わる理由と、周りが気になって変えたいのに変えられないことを気にしないことです。

 

周りに何を言われても、そのときはそう思ったけど今は違うね、と言ってさっさと次に移りましょう。

 

変わること自体が進化なのだと思います。

人の気持ちは完全には理解できないと思っています。なぜなら、その人ではないからです。

 

ですが、どういう経緯か、背景か、どんな思いなのかを聞こうと思いますし、知ろうと思います。その上で何ができるかを考えます。

 

人のことを理解できないのは、そもそもその前に自分のことも理解できていないのにということもあります。

 

自分のことでさえ、日々知らない自分がいたりしませんか。

 

こういう状況のときは、こういう感情になるんだ。こういう行動を取るんだと、気づいたり。

 

実はこういうことをしてみたかったのかと気づいたり。

 

小さなことでも大きなことでも、自分の違った一面を感じることも少なくないんじゃないかと思います。

 

なので、人のことも、自分のことも、理解できない、それでいいんじゃないでしょうか。

 

理解できないからこそ、新しい発見を楽しんでみる。

 

こんなところがあったのか、実はこうだったのか、意外とそんなことができるんだ

 

自分も、人も、これだと決めるんじゃなく、思っていなかったことが出て来るのは当たり前とし、それを新しい自分が見つかったと楽しんでみる。

 

であれば、相手を理解できなくても、理解されなくても、それほどショックをうけることもありません。

 

また、これだけ情報が飛び交っている世界、色々な人と接したり、本やネットを見ている中で、知らず知らずのうちに考え方や価値観が変わっていることもあります。

 

AIが進化しているように、人も日々変化しているんじゃないでしょうか。

 

そう考えると、新しい自分、新しい人の一面が見つかることも当然と言えますよね。

 

その新しい一面が見つかることを楽しんでみましょう。

 

 

みなさんは日々の自分の境遇や、周りの状況、ニュースやインターネットを通じて「自分はかわいそうだ」「この子はかわいそうだ」という感情を浮かべるときがあるでしょうか。

 

そういうわたしは、そう言われると最近(というか以前から?!)かわいそうと思っていないなと気づきました。

 

そうではなく、何があったんだろう、どういう背景があるのだろう、何か自分にできることはないか、なかったか、そう思います。

 

そして、今後はそのようなことがないようにするにはどうすればいいかを考えているように思います。

 

身近な人がメンタルで休むようになってしまったとき、何が元だったのか、自分ができることはなかったか。

 

ニュースで犯罪に巻き込まれたり、自ら命を断ってしまうのを見るのはとても悲しい気持ちになりますが、なぜそういうことが起きたのか、何が原因でそこに至ったのか、今後このようなことが起こらないためにはどうすればよいのか。

 

そのように考えます。

 

かわいそうだと思うよりも、どうすれば力になれるかを考えるということですね。

 

それに、そもそも本人がわたしはかわいそうな人だ、なんてわたしはかわいそうな運命なんだと思っていないかもしれません。

 

その人の歩んでいる人生はその人だけのもの。その中をみんな必死で生きています。

 

かわいそう、かわいそうじゃないはあくまでその人の基準であり、本人にとってはそれが当然であり、その中でできることをやっています。

 

なので、周りからかわいそうだと言われているんじゃないか、思われているんじゃないかと気にすることもありません。

 

かわいそうだと思う必要もないし、思われる必要もないということです。