🟩今日は何を持って帰りたいですか?🟩 本ブログを読むにしても、何かのセミナーに参加する時も、YouTubeを見る時、TikTok見る時、X見る時、読書する時、人に会う時、どんな時でも、『今日は◯◯を得たいなあ』という意図をすることで、本当にそれが実現可能となります。是非『何持って帰る?』と問いかけてから見てくださいね。
こんにちは
学校に行けなくなった時、愛する我が子のために、できることはないだろうか?なんとかしたい、と親は思うものです。
私も当時は、さしあたって本屋へ向かいました。こころの問題だから、心理学がいいだろうと。ウィスクの結果発達障害と診断されたので、グレーゾーンの書籍を探しました。
当時は、一般的な書店にはまだほんの数冊しか置いてなく、月一の医大病院診察の帰りに、医大生が寄る書店ならたくさんあったので、吟味してまとめて買うことにしていました。
グレーゾーン専門家が書いた書籍は、子どもの特性や特徴を理解するには少々役に立ちましたが、小中高と子どもの直接的な解決には至りませんでした。
書籍の中には教師達も目を通している、クラス編成や育成のための専門書もありますが、グレーゾーンの子どもに関わる大人や親のこころの気休めにはなりましたが、子どもの未開発のこころや、当時の不登校改善や、親の在り方に好転する影響を及ぼすことはありませんでした。
回りくどい言い方でしたが、つまり、専門家の書籍を読んで知識を入れたところで、不登校が改善するというわけではないことを、覚えておいて欲しいのです。
ですが、改善されなかったからこそのメリットはありました。「どうにかしたい」の道は開けませんから、どうしたらいいか?考えます。何が子どもにとっていいのか?どういうことがダメなのか?どう接していけばいいか?将来の可能性をどう見出せばいいか?仕事の合間、ふと考えます。
考えたからこそ、今となっては洞察力も、忍耐力も、柔軟性も、問題解決力も、ついたと思います。鍛えられたんですね。
(あの時このことがどう将来的に役に立つかなんて想像できませんでした。私がこうして文章を書いているのは、夢のような事なのです!)
このことの本質的な意味は、学校に行くのが通常なのに、行けないという事象は、通常を基準にすればbadです。自分の人生には起きて欲しくはなかったこと、関わりたくなかったことは、善と悪のジャッジメントをすると、badと受け取りますよね。
しかし、この世界の仕組みでは、badの反対側には動かざるgoodがくっついているのですから、自分には到底考えられなかった、洞察力、忍耐力、柔軟性、問題解決力、がついたのは、新たな気づきであり、人生を総合的に見た場合完全なるgoodなのです。
私たちは、必ずと言っていいほど、目の前の事象を見て、善と悪の天秤を即引っ張り出してきて、ジャッジメントします。
これは、良き
これは、悪しき
スーパーの買い物かごの中に、良き、悪しきと入れてるようなもんです。
このような善と悪のジャッジメントは、脳の思考パターンにすぎません。親の性格がそうさせているわけでもなく、子どもの性格が弱いからでもありません。
間違っても、子どもの能力が低いからとか、性格が歪んでいるとか、弱いからとか、そうではないことを肝に銘じて対応することです。そうでなければ、親から認められなかったこころの傷を、一生背負って、社会でも生きづらさを抱えることなり、孤独感に苛まれるかもしれないことを覚えて置いてください。
弱さとは、社会や周りに適応しないことを言うのではなく、自分を貫けないことを言うのでもなく、どんな状態であっても、そのありのままの自分を受け入れることができないことを言うのだと私は思っています。
予想しない状況の変化についていけず、当事者を責める人は一定数います。しかも身内にです。その人物こそ弱さを露呈している、と思うことです。
しかしそうだからといって、対立するのではなく、受け容れられない人とは距離を置くと決めて、子どもの健全な生活に意識をフォーカスすることです。
本をちまなこになって読んでも、スクールカウンセラーに相談しても、診察のために1時間待ちたった5分ドクターの良いですね〜の診察があっても、臨床心理士に相談しても、、、一瞬は気が休まるけれども、具体的な改善はされなかった、そんな実体験の私からお伝えできることは、
親が、こころを入れ替え、思考パターンを構築しなおすのが近道です。
子どもと言い合いが起こるのは、親が自分が正しいと主張を通そうとするから起こることでした。もう、もう本当に、疲れるので、この件に関わりたくない!、私の主張が大人として正しいのだから!誰か私の意見が正しいです!と第三者が言ってくれたらことは収まるのに!、と思うこともありました。
しかし、第三者は現れませんでした。
疲れ切って、だんだん希死念慮の兆候が私に出てきます。どうやったら楽になれるだろう?そればかりに囚われて、思考と感情と一体になり自分を見失いそうでした。
自分を見失う、その元となるのが、私の生い立ちにあったことは、息子が成人してからわかったことです。きっと臨床心理士は気づいていたはずですが、カウンセラーという立場上絶対言いません。カウンセラーとは聴くのが仕事ですから。(ちなみにコーチはコーチからはほとんど助言はせず、自ら気づきを与える質問をしていくものです。コンサルは課題を分析して問題解決をもたらします。)
もしもあの時、母親である私の生い立ちが不登校に関わっていることを知ることができたなら、、、そんなことを思い、シェアしています。
将来高校や大学など進学ができなかったらどうしよう、仕事に就けなかったらどうしよう、結婚できなかったらどうしよう、とどうしようが一日に何十回もぐるぐる🌀すると思いますが、それはどう考えても今起きていないことですし、今それを考えたところで、解説策は浮かびませんし、心地良くもありませんし、誰ひとりも幸せになりません。
でも考えてしまう、、、というのは、思考に乗っ取られているわけですから、自分と思考と感情を切り離すことしかありません。
誰かに、今こんな状態でさ、大変でさ、と話を聞いてもらってスッキリします??正直なところしませんよね?スッキリしたフリしてますよね?
SNSに惨状を吐露して、誰かが共感してくれて「一人じゃないんだ…」と瞬間的な安心は得られますが、夜になって布団をかぶった時、ぐるぐる🌀し出しますよね?
また思考と感情と一体化して、自分がどこにいるかわからない状態のまま眠りについて起床するわけですから、目覚めが気持ちいい〜はずありません……。
思考は、現実という目の前の現象に合わせるように勝手に湧いてきたものです。自分で考えている、のですが、過去を基準にして後付けしてませんか?そうは思いませんか?
感情も、あなたを追いかけて湧いてきたものです。
どうしよう、、、って思い、それに合わせて感情がくっついてきていませんか?
どうしよう、どうしよう
その思考は本当にそうなの?
その感情はなんでそう感じるの?
本当にそう?
自分で自分を受け止める力は誰にも備わっていますから、自分から逃げないで、過去を悔やみ、未来を憂う思考にストップをかけませんか?
思考パターンの多くは、目の前の現象に合わせて、過去の基準となっている既成概念を元に作られた(間違った)決めつけがほとんどです。『これは、そうである』と信じ込んでいるわけですから、思い込みなのです。
家にいて勉強しない→学業が遅れる→テストに合格することは難しいだろう。→進学が危ない→仕事に就けない→社会性が育たない→成人してからも面倒見たくない→孤独になる→親として無責任ではないか?
こんなふうにルートが続いてませんか?
これを変えることができるとわかっててもしないのが大人たちなのです。でも、してみましょう。
家にいて勉強しない→好きな学科だけやる→その学科は少なくとも点数とれる→安心と自信つく→じゃあ他の科目も手を出してみるか→できるとこまでやる→褒める→できるところまでやる→褒める→親も安心する→親がリラックスする→子どもの小さな成功体験が重なり自信つく→少し会話が増える→他の好きなこと見つける→没頭する→仕事になるかも💡と思いつく→マネタイズする→自分なりの生き方を開拓する
こんなふうな道も今はあるわけです。
収入の入り口は就職だけではありません。今はどんなこともマネタイズできるのです。例えばコンテンツを紹介して紹介料をもらう、交流会を開催して仲介料をもらう、スピリチュアルなんかもいい例ですね。目には見えないヒーリング、効いてるかわからないけどマネタイズできてますよね。外貨で運用にするもあります。
目の前にたくさんのマネタイズの原石はあります。でも、檻の中にいる大人達は『こうあるべき』が邪魔をして、見えなくなっています。
あなたには
どんな既成概念の囚われがありますか?
社会通念に縛られているのはどんなこと?
こうあるべき
そうあるべき
他にどんな決めつけがありますか?
偏った思考がどれほどあなたを縛り付けていますか?
偏った思考で、親子のあいだにどんなヒビを作っていますか?
私たちはまだ、多くの持たなくてもいい社会的責任を背負って、『決められたこと』と思い込んでる狭い檻の中を、ぐるぐる彷徨っています。
今日も読んでいただきありがとうございます😊
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私の記事の目的
私の記事の目的は、不登校を抱える親たちが、自己愛を育むことで、自己理解と自己受容を深め他者をも尊重することができる自分の軸を確立すること。自分の軸ができると周りや評価に振り回されることがなくなり、子どものありのままを受容れることができます。周りの価値観に左右されず、正しさを求めるのではなく楽しさや自分らしさを軸にした子育てで、本来の自分の価値観で生きる幸せをサポートすることです。子どもが学校に行くことも大事ですが、一番は子どもも親も自分らしく生きること、そして自己実現を果たしていけることと幸福度を上げることです。家族仲良く平和に穏やかに暮らせるのは"互いに尊重"しかありません。