日々喫茶 アムリタ ~自分と、世界とつながりなおす~ -60ページ目
教室のすみっこで
読書してるような
学生時代でした。
みんなと混ざりたくても
広い場所へ出て行きたくても
自分が誰にも
見つけてもらえないのは
ひどく怖くて、傷つくことだから。
それなら
ひとりのままでいいや。
そんな自分が
ちょうど、今年に入ってから
ブログを始めたり
オンラインのコミュニティで
イベントに参加したり
本当にありがたいことに
そこで、たくさんの人と
出逢って、
お話をすることができたりしている。
今までのわたしの
5年分くらいの出会いを
今年はもう、済ませちゃった気がしている。
どうして、わたしに
そんな変化が起きたか? といえば
それは、ひとえに
「そう、心から望んだから」
だと思う。
………あれっ
それだとちょっと
身も蓋もない感じだから
もう少し丁寧に順を追うなら
・わたしがそれを、
望んでいることに気づけたから
・わたしがそれを望んでいること、
それに向かって行動することに
許可が出せたから
・行動しても、すぐにうまくいかなくて
揺らぐ自分も、受け入れられたから
そんなプロセスを
くぐり抜けてきたからかな、って思います。
「自由に自分を表現して、それを
受け入れてくれる人と出会いたい」
心の中と向き合っているうちに
そんな望みに、
ある時点で気づいてしまっても
いやいやそんなの、
高望みでしょうとか
何を大それたことを、とか
色々な抵抗があって
かなり時間もかかって
それでも、これが
自分の望んだことだからと
ある時点で、あきらめて
境界線を踏み越える。
そうやって、歩き出して
無我夢中でも
気がついたら
思いもよらない景色が
見えていた。
今、そんな気がしています。
まだ怖いし
まだ揺らぐ。
それでも、自分がそう望んだから。
もう一度、人と関わると
自分でそう、決めたから。
「やっていいし、言っていい。」
これは、今朝
素敵な人から、贈られた言葉。
その人のタイミングで
気づきはやってくる
その人のタイミングで
境界線を越えて
心が望む場所へ。
お越しくださり
ありがとうございました。
明日も、あなたが
笑顔でありますように。
小学生だった頃、
金木犀(キンモクセイ)の花言葉が
「追憶」
だということを知りました。
その一致感に、子どもながらに
深く納得して
今もそれを思い出し続けています。
残暑がやわらいで、
空気が少しひんやりしてきた頃に
ひたひたと香りで満たして
数日後の雨に散らされて
さっと消えてゆく
そんな花の香りに
ほかの人たちは、
どんな記憶を重ねるんだろう。
この香りが好きな人も、
嫌いな人も
好きだったのに、
ある時から嫌いになった人も。
わたしが高校生だった頃。
文化祭の準備に明け暮れて、
全力投球した思い出と
それが終わって、力が抜けたような
ぼんやりと虚しさが漂う。
金木犀は
その記憶に
そっと重なる香り。
当時、好きだった人のことも
その後も
わりと長い間、想い続けて
その恋が結局
叶わなかったことも
ぎゅっとまとめて
一緒に、思い起こされるので
なんだか、、、
、
、
、
もう、めんどくさいよね。
めんどい。(2回言った)
もう、気持ちは整理がついて
自分にとって
特別じゃない存在に
なっているはずなのに
条件反射のように
一瞬だけ、思い浮かんで消える。
わだかまりを抱えていた頃は
「胸が締めつけられて切ない」と思ってた。
今はもう、とくに何も思わない。
めんどい。(3回目)
けれど、もし別の見方をするなら
わたしはそれをきっかけにして、
自分が生きてきた
道のりを
再確認したりもする。
失恋の悲しみ以上に
自分が必要とされなかった、痛みが
心の中に残り続けていた。
その人の存在そのものじゃなくて
喪失感だけを、いつまでも
抱えてしまっていた。
そのことを
わたしは
その後の自分の人生で
気づいて、手放して、癒して
何事もなかったかのように
また歩き続けている。
そんな自分を
今日は
褒めてあげようかなと思います。
* * * * * * *
書いていて、途中で
「これ、瑛人の香水みたいなこと言ってないか」
と思ったけれども。
弾き語りするほどのパッションは
私の中には残ってなかったよ。
人生長くなってくると
だいたいのことは
「時が経てばなんとかなる」って
思えるもんね。
時が経ったのに
なかなか忘れられないのは
それだけ
好きだったからなんだよね。
お越しくださり
ありがとうございました。
明日もいい日でありますように。
「許す」というのは
自分の意思で
できることのようでいて
自分の意思で
できる範囲を超えている気がする。
「わたしは許します」と、
自らの意思で決めて
許そうとしたところで
心の奥底に、
何らかの感情が
拭い去れないわだがまりが
残ってしまうのなら
本当の意味では
「許せて」いない、のかもしれない。
それは決して
いい・悪い ということではなくて
ただ単に
まだ、その時が来ていない。
ただ、
それだけだと思う。
一番 苦しいのは
「許した」はずなのに
「まだ、許せていない」
という矛盾を、
自分が許せていない時
かもしれない。
どんなに頭で考えて
「許す」と決めたことでも
心の奥底に
「許せない」という感情が残っているのなら
今はまだ、その時ではないんだ。
今は、まだ許せなくても
許そうと思って許すのではなく
許せないと思う気持ちが
ひとりでに 手を離れて
ひとりでに 解き放たれていく。
まるで、意思を持ったかのように。
いつか、その時はくるはず。
「一生許さないと決めている」
と、静かな顔で語る人もいる。
許せないと思っていたのに
年月が経って、
もういいのかもしれないと
自然に消えていく思いもある。
だから
「許せない」自分を、どうか
許してあげてほしいなと思う。
お越しくださり、
ありがとうございました。
明日もあなたが笑顔でありますように。

