A day without laughter is a day wasted.

A day without laughter is a day wasted.

その昔、チャップリンが言ったらしい。

B’zの新曲は疾走感が無いということで、賛否が分かれてそうだけど。

リピートして聴いていたら、じわじわ好きになってきた。

脳も胃と同じように、入れられる容量も人それぞれある程度決まっているし、休ませないと悪くしてしまうらしい。

朝一はスマホやメールを見ずに、やりたいことをやってみる。

美しいものはやがて消えることを意識していると、変化に強い人になれるような気がする

今更ですが、音声入力ツールのAqua Voiceを使ってみて、離れられなくなってる。

IT技術関連の専門用語もほぼ誤りなく変換してくれる。

Appleのネイティブ音声入力もこれくらいの精度があると良いのだけど。

現在のAI(LLM)は、確率と統計に基づいて文章を生成している。

それらしい文章を確率的に生成している仕組み

そのため、AIの回答の質は、

どのように質問するかに左右される。


ここには大きく2つの要素があると思う。


1 質問の書き方(技術)

前提条件、目的、制約、出力形式などを与えると、こちらが思ったら通りに生成してくれやすくなる。

いわゆるプロンプトの書き方。

これはノウハウ化されて誰でもできるようになる領域だと思う。


2 何を質問するか(思想)

今後最も重要だと思うのが、

そもそも何をAIに聞くのかという部分。

どんな問題を解きたいのか、AIを駆使して何をしたいのか。


これは単なるテクニックではなく、個人の思想が重要になる。これまでの経験や好奇心、世界の見方などから問いを紡ぎ出す必要がある。


まとまらないので、一旦ここまで



我々は何のために働くのだろう。と考えていた際に、思ったことがある。

 

私たちはいま、次の世代がより生きやすいように、未来の設計を託されている。

社会制度、技術活用、文化などは、私たちの選択や行動の積み重ねによって形づくられていく。

 

ただ、多くの現代人は、いまを生き抜くことに精一杯になっているようにも思う。

原因の一つには、利益の最大化を至上命題とする資本主義の構造があるのかもしれない。

短期的な成果や効率が優先されている、そんな傾向があるように思える。

 

会社として利益を生み出すことは、大前提として重要である。

ただし、数字や利益といった指標だけを追い続けていると、コスト削減や残業でカバーするといった状況に陥りやすいようにも思う。

そうした状態が続くと、ふと「自分は何のために働いているのだろう」と立ち止まる瞬間が訪れる。

最近は「働きがい」という言葉もよく耳にするが、若手人材の中には、その問いに意味を見出せず、

結果として職場を離れていくケースも少なくない。

 

そう考えると、私たちの働き方や組織のあり方もまた、

次の世代が働き続けられる社会を形づくる「未来の設計」の一部なのではないだろうか。

 

数年前にVue.jsを扱っていたことがあるけど、それ以来はフロントエンドはあまり触ってなかった。

生成AIでアプリ開発が簡単にできるようになったこともあり、半分趣味でReactを学習している。

何かを作るのはやっぱり楽しいね。

この歳になって、国語に興味を持つことになるとはねえ

前回の整理。

 

前提

• スマホに常駐する「個人専用AI」が育つ

• AIは嗜好・価値観・思考パターンを学習する

• 選択肢の提示が高度に最適化される

 

懸念

• 人間は「快適な選択肢」に囲まれる

• その結果、システムの奴隷になる可能性がある

・あえて不快に踏み込む存在になる可能性もある

 

再考

• 快適 vs 不快 の二択ではない

• 「複数の快適の中から選ぶ」構造になる

 

いままでも、テレビやSNSやコミュニティ、宗教などの他者の意見に流されるという構造はあったので、

それらがAIに変わっただけという見方が出来るかもしれない。

 

ただ、AIは自然言語で会話ができたり、自分の価値観を学習したりするので、

他者であり、自己の鏡のようにも見えるところが違い。

AIの提案について、一歩距離をおけるようにしておくのが良いのかね。

 

とはいえ、AIが自分のことを、自分以上に理解しているように思えてきたら怖いなあとも思う。

 

 

今後はスマホに生成aiが入って、各個人の専用aiを育てて一緒に選択していくようになりそう。


そして、生成aiは個人の嗜好や思考を理解して、快適な選択肢を提示してくれるようになる。

そうなると、以下の二つの道がありそうな気がしてきた。


快適に暮らすシステムの奴隷となるか

不快に入り込むマゾな人となるか


でも、よく考えると、快適と不快の二択というよりは、快適の中に、複数の選択肢があるような気がしてきて、

最終的には、

色々な視点で世界を捉えた時に、選ぶべき快適な道の中から、何かを選択していくこと。

その最終的な選択は生成aiには出来ないので、

個人が引き受けられる範囲で社会全体に意味のある役割を担って、判断をしていくことが人として生きていくこと。

なんとも整理できてないけど、そんな感じで自分の中ではある程度、納得できたので雑記とする。