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ピグ充日記〜発達障害のある大人がリア充を目指すページ〜

実はピグはずいぶんご無沙汰。ここは発達障害のある大人がリア充を目指すページに生まれ変わりました!

命の電話って、かかりにくいですよね。かけたいと思う時間がたいてい気分の重苦しくなる
深夜だからかな。電話が集中する時間帯というのがあるんでしょうね。

僕は今まで4、5回かな。命の電話の人とお話をしたことがあります。
う~ん、どうなんだろう。無料だからかなあ(こういう表現はよくないとは思うものの。)、
なんだか「説教」調か、あるいは「傾聴というより自分の考えの押しつけ」的な方が
割といますね。

もちろん、ボタンティアとして人の苦しみを聞いて受け止めるというしんどいことを
されている方々なので、そのことには頭が下がります。

ただ、「それができていたら今電話してないんだけど・・・」と思うような時もありましたね。
今みたいに外での仕事をしていない期間なんかだと
「新聞配達とかしたらどうや」とかね。でもそこで「自分には発達障害があってどうのこうの・・」
なんて話してみても、あんまり伝わらなかったり。言い訳を言っている自分がかえってまた
駄目に思えてきたり。

どうもああいう電話というのは、表面的に声が元気に聞こえたり、言葉に筋がきちんと
通っていたりすると、「こいつは大丈夫だな」という感じになるのかなあ。
「聞いてたらしっかりしているし、障害あるようにもおもえへんし」というのに近いことも
言われたことがある。
いやそれ、これまで生きてきてたびたび聞かされてきてうんざりしている言葉なんですけど。

なんか、一番最初にかけた時の方がいちばんよく共感しようとしてくれた気がします。
もう10年以上前になるのかもしれないけれど。
まず話をよく聞いてもらえる。そして自分が、「これは一般的には受け入れられないだろう」と
思うようなことも話してみたら、それもまた冷静に受け止めてもらえる。
あの人の対応、すばらしかった。今でもよくそのときの言葉の感じを覚えていて、
できればまたあの人とお話をしたいなあと思うことがあります。

逆に説教調やあまりにも「常識」にのっとった方だと、かえってこちらが気を遣う変な構図に
なったりしました。ひどいことを言われたこともあったな。
「あなた、もしかするとおうちの寄生中じゃないの?」とかね。
おいおい、そんなの、本当に追い込まれた人(いや、自分も追い込まれていたんですよその時。)
だったら、それがまた大きな心の傷になるんじゃないのと思ったものです。
僕はとっさの反応が苦手なのでつい上辺で答えなくちゃと思って、「いえ、一応仕事して
家にもお金も少ないながら入れているんですけど・・」とか答えたような。

ところが後になってだんだんとやっぱり自分にとってもそれは心の傷になっちゃってることに
気がつく。その後数年の間、
「もう一度あそこに電話してあの時のあの言葉、おかしいんじゃないですか!」って「抗議」
してやろうかと思ったこと数回。でも、しないでいますけどね。どのみち相手の人も誰だか
わからないし。

21歳の頃、ひきこもりを親に責められて、でもどうしようもなくてとても困った。
当時は黒電話しかなくて・・・ああ、これは今の若い人にはわからないだろうなあ。
要するに「ジャーン」というでかい呼び出し音のなる、ダイヤルが手回し式の、家にある
固定電話。かけるわけだから呼び出し音は関係ないけれど。今なら携帯でかける人も多い
でしょうね。

それで、その黒電話がうちには幸い、親の部屋と自分が寝起きしている部屋に二台あった。
でも21歳の僕は、なんだろうな、プライド・・・でもなく、そう、はっきり言って誰が出て
どんな話になるのかもわからない電話をかける勇気が湧かなかった。なかなか。
でももう相当に追いつめられた心境になって思い切ってかけてみたんですよね。
今でも覚えている。雨のザーザー降っている夜だった。

すると、やっぱり当時も今と同じく話し中。電話自体、かけることが怖かった僕は、
一度つながらないとわかってもうかけ直す力もわいてこず、受話器を置きました。

それで結局、追い立てられるように無理にアルバイトに出て、当時は自分の障害なんて
わからないものだから、人に合わせようとしてもできない自分が苦しくて苦しくて。
仕事も不器用だし人に合わせて適度に関わりをもちながらなんて器用なことができなくて、
自分では一生懸命にやるんだけど、決してずるもしないでやるんだけど、やっぱり孤立していく。

疲れ果ててまた引きこもってようやく精神科につながれたのは26歳のとき。もちろんその時も
「発達障害」はわからなくて「軽い対人恐怖」ということでその後長く精神科にかかった。
そして障害がわかったのは45のとき。

もしあの夜、21歳の追いつめられた僕のかけた黒電話が「命の電話」につながっていたとしたら、
何か変わっていたのかも知れないし、やっぱり同じ道筋をたどったのかも知れない。
でも、あの時一度お話をしてみたかったな。
ウツ気味になって起こっていることは、遅い時間にしんどくなってきたなと思ったら何か食べてしまうんです。去年の検診でメタボと診断され指導を受けて肥満領域からギリギリで抜け出したというのに、今は多分もう元に戻っちゃってるんじゃないかと思います。食べてしまうものも、これまた「遅い時間には避けるべき」とされているような、カップ麺とか甘いお菓子とか。普通の食事時間に食べるものも、以前なら年齢なりに薄味でも満足できるようになっていたと思うのに、今は濃いめ、辛めでないと物足りません。

お腹は一層出てくるし、今日など珍しく父親と大型の店舗へ買い物に行ったのですが、鏡に映る自分の姿が他のお客さんのそれより太っていてたるんでいて・・・もう、なんとも恥ずかしかった。

僕が今のように毎年メタボ検診で引っかかるようになったのは40代になってからですが、30代後半に仕事を一度辞めて一年半ほぼ引きこもり状態になった時に、やっぱり外へ出られなくなったんですね。しかもその頃は擬似的に家の近くで一人暮らしをしていたものだから、今のように外出を誘ってくれる家族もなく、他に何をするでもなく時間だけが過ぎていくというような日々でした。今もあんまり変わりませんが。

当時の主治医にその状態のことを話すと、いろいろと薬を調整されて、まだ出始めて間もなかったSSRIを処方されたりもしました。それが体に合わずに、食べる時以外はだるくてだるくて布団に横になっているだけという時が続いたり。鬱を治すはずの薬が自分には合わず(だいたい僕は抗うつ薬が合いません。)、逆効果になっていました。あの引きこもって横になっている時間が長かった一年の間に、加齢も重なって太るきっかけになったように感じます。

その後も仕事にまた就いたものの、パソコン相手の座り仕事がほとんどで、拘束時間が長く行き帰りが疲れるので車を使っていたりしました。すると体重もどんどんと増加していきました。おまけに胃腸の調子が悪くなり、その次の職場で義務付けられていた人間ドックを受けた時に胃にポリープが見つかり(良性ということでしたが。)、「胃の中や十二指腸まで赤くただれてるよ」と先生に言われて「さもありなん」と思ったりしました。

その後も仕事でプレッシャーを感じたり、何しろ人が怖くなっていたので仕事以外の時間もあんまりリラックスできなかったりして、胃腸の不具合は進んでいきました。今は仕事についていないし日常のストレスがだいぶ少ないので、あの頃に比べるとかなりマシだと思うのですが、やっぱり時々おかしくなります。親の健康のことをや自分の先行きのことなんかを悪く考える時なんかが特に。

運動も簡単な家事や、今は建物の壁の修繕作業を少しづつやっている程度で、疲れることが以前よりも早くて多く、ウォーキングとかジョギングとか、本当に体にいい運動と言えるものもしていません。で、最初に書いた遅い時間の間食?です(日に三度食べるのが原則だとすると、「夕食」に当たるものではあるんですが。)。

ともかく遅くて静かな時間になってくると、春までは割合に落ち着く時間だったのに、今はじりじりとした重苦しい時間になってしまっていて、一時何もできなかった時にはただしんどい時間を命の電話にかける子機を握りながら過ごしたし、その後、少しづつこうしてパソコンを触ったり写真を見れたり(写真を撮るのが数少ない趣味です。)できるようになってからも、やはり不安感が来る時には食べることが我慢できない。前は「遅い時間にお腹が減ったら温かい飲み物を飲んだりしましょう」という栄養士さんとの約束が守れたのに、今はそれができない。どうしても食べてしまう。

診察も前回はしんどくていけなかったのですが、近くまたあるのでそんな話も先生にしてみようかと思っています。
夏にうつ気味なのがひどくなってから、今もやっぱり状態がおかしいなと思います。こころの「高度」が低いところを多少上がったり下がったり。これで目前に「高い山」でも現れたらと思うと怖いですね。もうひとり、誰でもいいので若い人間が近くにでもいればずいぶん助かると思うのですが、家族の中で若いといっても中年域の自分がひとりでなおかつ障害認定を受けている状態。
両親は双方とも、間違うと致死性の高い症状を抱えながら、母親はだいたい横になっている。父親は僕より動いているもののやはり高齢には違いないし状態が少しでも不安定になるとやはりこちらも心配がつのる。

そういう状況の中で、僕に出来てきたことは多少の家事と親を診療所や病院へ連れて行って診察に付き添うことでした。仕事をやめているのだからせめてそれぐらいはと思ってやってきた。でもこれ、あんまり先に希望の見えることではない。いってみれば現状を維持する時間を長引かせるという作業。
ただ付き添うだけじゃないか、とも思えるのですが、実際にやっていると案外きついなと思ってしまうのです。高齢の親に先生が説明をしても、親は自分たちのことについて楽観したがる。けれど自分には先生の説明の深刻な部分なんかはわかるので、ただでさえ「胸に秘める」ことが苦手な特性もある上に、そうした状態を続けていることというのは、きついな・・・と思えてきました。

これまでも調子がわるいということについては、ほとんどの時間がそうだったと言えばそうでした。が、今のそれはちょっとこれまでとは質が違うように思います。煮詰まりに煮詰まった結果、「こころの高度」がこれまでになく落ちた感じ。ときどきかろうじて保っている平衡が乱れたりします。そういう自分を、もう少し俯瞰して眺められたらいいんだろうなと思うんですけどね。
まだやっぱりうつっぽいですね。テンションが続かないというのか、すぐ気分が落ちてくるというか。体を動かす方がいいというので、本来は外出して歩きなどしたらいいんでしょうけど、人が気になります。犬が日中ひまそうなので、昨日は久しぶりに少しだけ散歩に出してやりました。彼岸花が咲いていました。

本当は自助会のチラシ案の第二校を手がけようと思うのですが、それも気が向かず、というかパソコンにもあんまり向かう気にもなりません。まだ次回は先なのでそれまでになんとかできていればいいかというぐらいの気持ちです。「あれをしたい・・・」というか、「あれをしなければ!あれもやっておかなければ!・・・」という気持ちになって気が急くのですが、これはあんまりよくないことなのでしょうね。

別に誰に急かされているわけでもないのに「早くしないと!」「早く結果を見たい!」というのは昔からある傾向なんですが、これはなんでしょうね。発達障害的に無理矢理考えると、「想像力の障害」に属するところかも知れません。物事を計画的に順序立ててやるのが苦手なので、「とにかくやってしまおう。それでどうなるか見てみよう!」と思ってしまう。

それがうまくいくと結果としてはいいんですが、だいたい焦ってやってしまうことっていうのは失敗することが多いです。小さな頃、僕らの組み立てるプラモデルは接着剤を使ってモーターの位置決めなんかも自分で測りながらといった、結構むつかしいものでした。僕はだいたい自分で最後まで組み立てることが出来ずに、父親にやり直しを頼んでいたのを思い出します。父親は僕の組み立てかけたボートを見て、「なんやこれは。全然(組立図と)違う」と言いながら接着した部品をはがしてやり直していたものでした。

もう少しやさしく教えてくれていたらよかったのに。「これはな、ほらこの図を見てみたらここに付けるようになってるやろ。はがしたったからやってみ。ほら、できたやろ」とでもね。
小学校のとき、分数がまったくわからなかったので困っていたら「こんなこともわからんのか」と言われてたけど、教師からも同じことを言われてかなり傷ついていたので、せめて家では、昔臨時の教員もしたことがあるというのだったらなおさら、もう少し優しく教えてもらえていたら、慰めになったのではないかなと。

そういう、過去の悔しさはつらつらと今のことのように出てくる事があります。

発達障害をもつ人の中で割合にある特性のひとつに、何かひとつのことを考え始めるとそのことが「ふつう・定型」の人よりも長い間頭の中に残る、ということがあるような気がしています。それは自分自身の経験から。

僕程度の能力だと「考えがなかなか頭からまとまらないままに離れていかない。ああ、疲れる・・」で終わることが多いんですが、よく言われる独創的な仕事をされる「アスペルガー」タイプのような人たちがどうしてそれを成し遂げられるのかというと、この、「ひとつのことへの思考の集中と継続」が平均より際立っているということも、その理由にあるんじゃないかなあと想像したりします。

みんなで何かを考える時に、ふつうなら他のこともあるのである程度まで考えて結論が出ないのならそこでいったん考えるのを区切って、もしまた新しいアイデアが出たら皆と共有する。それが普通なんだとすると、僕はなかなかその「思考の区切り」をつけるのがへたくそです。なのでこれまで何度かそういう場面があった時に、一通り話が終わっても僕だけじっと考えている風なのを見た人から、「そんなん、いつまでも考えんでええで」と言われたことが何度かありました。

その時は「そうですね、あはは」と、表面上はかわすのですが、実はその後やっぱりずっと「どうすればもっとうまくいくんやろう・・」とか、考えていたりします。そしてそれでいいアイデアが浮かんでくるかというとそう簡単な話ではなくて、考えが頭から離れないので苦しくなったりする方が多いのです。

悪い記憶が残りやすいという特徴も、このことと関連しているのかなと思います。本当につまらないというか、普通の人なら受け流せることもなかなかそうできないのは、「思考に区切りがつけにくい」特性が裏目に出た場合のことなのかなと、自分なりに解釈してみたりします。

僕の場合、自分が悲しかったこと、つらかったこと、くやしかったことなんかが小さな頃からの記憶として今でもよく残っているものが多く、まあ、それがひとつ大きな困ったこととしてあるんですが、おそらくそういうことたちも、その時に自分がなんとか納得できるレベルで片付いていたとしたら、こんなにあとあとまで引きずることはなかったんじゃないかなあと思ったりします。
そのとき、片付けることができなかったことが、「考え始めると長く頭に残る」「思考の区切りがつけにくい」という特性にはまってしまって、「あのとき、つらかったなあ」といつまでも残ってしまう。小学校に上がる前のことから今に至るまでまだ苦しめられる記憶たちの存在。

認知療法というのがあります。有名?なのは、「しんどい」と思うことをノートの左のページに書き出す。これはかなり具体的に書きます。しんどかった、じゃなくて、「これこれ、こういうことがあって、そのとき自分はこう対応してしまった。相手は嫌な思いをしただろうな」、みたいに具体的に。

次にノートの右ページに、それに対応して、「合理的な考え方、受け止め方」を書いてみます。

「もしかすると相手は自分が考えるほどには嫌な思いをしなかった可能性もある。自分が相手のこころを完全に読み取ることができるわけではない。あの時の状況では自分は決して悪気はなく、自然とああいう言動をしてしまっただけで、少なくとも相手を嫌な目にあわせてやろうと悪意をもっていたわけではない。なので今後おなじような場面が出てきたら注意できればそうするようにして、今の思い込みだけに縛られて自分を責め続ける必要はないのではないか。もしどうしても気になり続けるようだったら今度のときに「あの時もしかして嫌な思いをさせたかもしれませんね。もしそうなら気をつけますね。」と率直に伝えてみてもいいかも知れない」

などと、例えば書いてみる。いや、これが「合理的な考え方」かどうか知りませんけどね。
たとえば自分以外の中立的な立場の人がもう一人いて自分の感じていることをどんな風に考えるかを想像して書いてみるのと似ているかも知れません。

具体的にノート(パソコンとかでもいいけれど、ノートにペンで書くのが一番いいみたいです。)の上でこの作業をするのはエネルギーが要ります。でも、どうしても気になる記憶が頭に残り続けて眠れないとかいう時に、こんな作業をしてみると、悶々としていたものがやや整理されてそれまでのゆううつな感じがだいぶマシになった、という体験が僕にはあります。20代から30代にかけては特に。

これは対人関係のように難しい場面だけでなくて、そんなに考えすぎなくてもいいのに・・・と定型の人たちからは言われるかも知れないけれど発達障害のある自分には気になるんだ!という事柄でも効くことがあるように思います。

でも本当に憂鬱の波に襲われているときにはしんどい作業なんですよね。
もう少し簡単にやるとしたら、とにかく気になることは書き出してみる。そして「今はこんなことが気になっている」と書いてみる。それだけでもある程度は区切りがつくかも知れない。
ああ、それなら今の自分でもできるかも知れないな。もちろん、できなくてもいいという大前提で。