「うつ」と言われてからしばらくは寝ていることが多かったのですが、やりたい・・・というより、「やらなければ!」という気持ちがわいてきて、文書づくりにパソに向かうものの少しすると煮詰まってきて頭を抱える(本当に抱える!)。で、ベッドへ。
もっと大きなことも考えたりする。たとえば家の壁にずいぶん前から水漏れが発生してしまって、その修繕見積もりを出してみたら「アホか!」と独り言を言いたくなるほどの額でとても業者さんに頼むのはムリ。
で、それを自分でなんとかできないかとかねてから考えていたりするのだけれど、「うつ」ですと言われてから横になっている時間にもなんとかならないか?と考えていたりする。
「やらなければ病」になってしまっている。
親や今後の自分自身の生き方で頭が煮詰まってしまっているのが今回の原因だと思い、なるべく親から離れて過ごしてみる。しばらくそうしている間にちょっとマシになってきたのかな?という感じ。
発達凸凹というくらいなものだから、この障害、凸の方に目を向けるとなんだか救いようが出てくる気がします。たとえば僕はパソコンは好き。プログラムは書けないけれど、機械自体が好きだし以前はウィンドウズ機の自作なんかもしていました。
ソフトウェアも、OSを含めていろいろと触るのが好き。イラストレーターやフォトショップで、素人と言われようとも何かを作るのが好き。一部、ささやかなお仕事にしている部分もあります。
実は最初に書いた文書っていうのは、発達障害の自助会を作りたいんですね、地元に。その準備、呼びかけのための文書。文書っていうと固いけれど。
だから、お金のことはちょっとおいておく(おいておかざるを得ない場合もあります、僕みたいに。)として、どこかで自分の技術や知識が役に立つことが、発達凸凹者としての生きがいにつながるのだろうなと、ぼんやり思ってみたりします。もう、それしかないんだもの。
生きていくためのお金の工面。まあ、職業を持つってことかな。これはこれで大切なことだと思う。でも50代に入ってどこがそんなにお金をくれるだけの仕事を持たせてくれるの?で、自分はその仕事に耐えられるのか。ということがある。
このことはしばらくは支援センターや職業センターに任せておく!として、それでも生きるのに大切なことの大きな一つに、「自分はこれが凸です」というものがあって、実際に人のために役立てることが出来たなら、それはそれですごいことだと思うわけです。
世の中、仕事だけがやるべきことの一等にあげられる。あれでしょ、生活していくにはそれが必要だからっていうことでしょ。まあ、確かにそれはある。でもね、生まれつきとっても恵まれている人もいます。特別苦心かさねて仕事をしなくても、親の資産で贅沢な暮らしをしている人も、世の中たくさんいますよ、と前の主治医も話していた。自分がたまたまそういう環境に生まれなかっただけでね。
じゃ、逆に、僕自身についても、仕事なんて第一じゃないという事も言えるのではないかな。もしそう言うのなら、この不公平な経済社会をまともに修正してからにしてほしい。
それで僕は思うのです。特にぼくら発達凸凹組は、凸の部分を生かすことが自分の生き甲斐、生きている意味になるんだと。
だから僕は今、発達の自助会のチラシを作っています。よくわからないFacebookページも作ろうと研究にかかっています。家の壁は内側から古い壁をとって自分で修繕してやろうとおもっている。
でもまだまだムリはできない。今は今の主治医さんの顔を思い浮かべて「ムリをしないで、少しずつ」だと思いながら。