まだまだうつっぽいです。なんだろうな、今になって。
ひとつは、単純だけど疲れました、生きるのに。このセリフは20代に初めて保健所へ精神保健相談へ行く直前にこころの底から口に出したことがある。あのときも本当に疲れていた。
うつっていう症状も、人によりいろいろとあるんだろうと思います。
たとえば最近話題になった「新型うつ病」という言葉。普段の生活や遊びなら動けるのに仕事などこころに負荷のかかる場面になるとうつになる。「えらく都合がいいじゃないか、甘えだろう」という意味合いも含めて造語されたものですが、これもまた実は従来からあったうつの現れ方のひとつにしか過ぎないそうです。
まあ、精神科の病名には曖昧なものが多いということだと思います。なんせまだまだ解明が遅れている脳内の機能に関わる症状でもあるし、原因がわからない以上、効果的な薬の開発も「偶然」に頼ってきたような場合が多かったようです。全く別の病気の薬を開発していたら「副作用」で精神的症状に対して効果があったので、そのまま精神科向けの薬にしちゃった、とか。そんなのも以前は多かったようです。
発達障害も今は精神科領域に含まれていて、たとえば手帳を申請するときの診断書に発達障害の項目があります。実際、発達障害があるために精神的症状が出てくる人も多いので、そのことが大きく違っているとは思いません。
僕の場合は5歳くらいの時から不意に悲しさに襲われるという症状に苦しんできました。悲しさを感じて当たり前の場面はもちろん、決してそんな必要のない、むしろ幸せでいてもいい時にも同じように悲しくなることがしばしばありました。それは大人になってからも続いています。主に対人関係に関わって出てくる症状だと今は思っています。対人関係の取り方の戸惑いは、発達障害のひとつの大きな要素です。小さな頃、これについてどう捉えていくか、支援してもらえるかでその後の症状の現れ方は大きく違っていたのではないかと思っています。
それは凸の部分を伸ばすことで周囲からの評価、自分自身についての自信、「この世界にいてもいいんだ」という自己評価の安定。そんなこととつながっているように思います。僕はそれには失敗してきた。でもそれは自分一人で解決できるものではなかった。今の僕のうつの具体的な様態は、「自分は出来損ないである、今後存在していても周りに疎まれるだけ」というものです。