最近は一時期ほど騒がれなくなったが、ペットロボという存在が一般に定着しつつあるようだ。有名どころではAIBOというのがある。価格が下がったと言いつつ、10万円以上するものが、結構売れているようだ。本物の犬や猫のように、細かい世話をしなくてすむからだろうか?イタズラしないし、糞尿もたれないし。

 こういうものが世の中に定着すると、生き物万歳主義の人が何か言わずにはおかないような気がする。命の大切さがわからない子供が増えるんじゃないか、とかなんとか。その他いろんなことを言いだしそうだ。もうどこかでさんざん言ったのかもしれないが。

 しかし、こういうペットロボが出てくるずっと以前から、生き物の大切さがわからない子供はいたし、大人はそれ以上にいると思う。カブトムシを分解して、電池がないと言った子供の小話なんて、もう十年以上前に聞いた話だ。

 僕はむしろ、ペットロボが定着するほうが、生きたペットが一時の流行で大量に出回るよりはるかに良いと思う。流行に乗って買われたペットなんて、それはもう悲惨だ。流行に乗ってファッション感覚でペットを買うような人は、本当に動物好きなわけではないだろうし。ヨレヨレになって鎖に繋がれっぱなしのハスキー犬とか、いまだに見ることがある。その教訓(?)が生かされたのか、今は小型犬が流行のようだ。しかしその大半はブームが去ればハスキー同様、保健所行きとなるのだろうが・・・

 本人は可愛がっているつもりでも、飼われてる動物にしてみたら拷問みたいな生活ではないかというパターンもよくある。独り善がりな可愛がり方をする人に飼われている動物とか。そういう人は、ペットに限らず子供までそういう可愛がり方をするから、とんでもなくひねくれた子供になってたりするんじゃないだろうか?そういう人に限って、自分は動物好きだと思いこんでたりするから困りものだ。

 それほど動物好きでない人が、ペットロボに流れれば、生きたペットを飼うのは本当に好きな人に限られてくるわけで、幸せなペットがそれだけ増えるかもしれないし、捨て猫や捨て犬が減るかもしれない。年間数十万単位で無理やり窒息死&焼却死させられる命が減るかもしれない。

 しかし、珍しい生き物を飼いたがる人はペットロボには流れないだろう。ワシントン条約に引っかかりそうなのが好きな人がいる。困ったもんだ。そういう人には限定ペットロボなんてどうだろう?特注ペットロボとか。

 人工ペットが本格的に定着すると、今度は獣医さんの仕事が減るかもしれない。大変だ、獣医さん。

 こうしてまたもや大衆に新たなおもちゃが与えられたわけだが、このおもちゃを人がどんなふうにいじくっていくのか、そして人がこのおもちゃにどういじくられていくのか、なかなか面白そうな分野ではある。

 個人的には、ペットロボじゃなくて、人型ロボのほうに興味がある。昔、「プラレス三四郎」というマンガを見て、こんなの欲しいなぁと思っていた元少年としては。ノートパソコンを開きながら、「獣王丸、セットアップ!」と言ってみたいものだ。
 新聞の折込広告、雑誌の広告、いろんなところにダイエットに関する記事が載っている。ダイエットの方法に関する本もごまんと出版され、それ以上に多くのダイエット商品が出まわっている。

 しかし、ダイエットするのにわざわざ薬みたいなものを飲んだり、カロリー計算したり、なんとか法を試したりする必要があるのだろうか?

 要するに余分な脂肪を減らしたいわけだから、脂肪分や糖分の量を減らして、適当に運動すれば済むはずだ。全然お金も掛からないし、むしろ食費が浮いて家計が助かると思うのだが。

 にもかかわらず、一生懸命ダイエットに励むというのは、本当はダイエットするつもりがないんじゃないだろうかと思う。「ダイエットするぞ」と構えるほど大変なことではないはずだ。しかしこれは肉体的な側面から見ればの話である。

 思うに、ダイエットで一番大変なのは、自分自身との心理的な戦いではないだろうか。つまるところ、様々なダイエット法に走るのは、それだけのお金や時間をかけることで、自分に暗示をかけるという意味合いが強いと思う。

 それでも失敗するということは、心の奥深くではダイエットするつもりがないということだろう。意識と無意識が戦えば、勝つのは常に無意識だ。無意識のレベルで痩せるつもりがなければ、意識的にいくらダイエットしようとしても叶えられないのは当然のことだと思う。

 また、「即効でやせる!」とか「簡単ダイエット!」などのお手軽な方向に進む人は、「努力するのはイヤ。簡単に目的を達成したい」という怠け心の持ち主なわけだから、まさに太りやすい心理体質と言えるだろう。それこそ「太ってあたりまえ」だ。

 あるいは、ダイエットがすでに痩せるための方法ではなく、一種の趣味になっていることもある。痩せるかどうかは二の次で、いろいろな方法を試すことが楽しくてやっている場合だ。これは最初から痩せる目的ではないので、ダイエットという名の娯楽と言えるだろう。

 たぶん、肝心なのは「太らない心」であって、「痩せようとする意志」ではないと思う。心の奥にある何かが「原因」となって、体が太るという「結果」が現れる、ということではないだろうか。結果として体が太ってしまうような心の体質とはどんなものだろう。それを理解した上で、心の姿勢を見直せば、ダイエットに励む必要もなく、決意も意気込みもなく、自然に体重を落とせるのではないだろうか。
 久しぶりに街に出て、いつものパン屋で昼食を調達し、いつもの公園に来た。

 僕と同じように昼食を取りに来る人、おしゃべりに夢中な少年たち、砂場で遊ぶ子供、赤ん坊を連れたお母さんたちがいた。

 この公園にはいつもハトがいる。2、30羽はいるだろうか。そして彼らは食べ物を持っている人にたかる。ほとんどのハトは、遠巻きに餌を待っているが、中には積極的なハトもいて、すぐ足元まで餌を取りに来たりする。もっと勇気のあるハトは、手から直接餌を取る。僕はいつもハトたちに昼食をおすそ分けする。

 しかし今日は、いつも座る木陰の席に先客がいたので、そこから離れたベンチに腰をかけた。

 その日は時間帯がずれているせいか、ハトたちの姿があまり見えなかった。いつもなら、食べ物を持っている人を見つけると、バサバサとうるさく舞い降りてくるのだが。

 結局、今日はハトに餌をやることなく、公園を出ることになった。少し心残りだ。

 出口に向かう途中、1羽だけハトがいた。地面に落ちているものをしきりについばんでいる。僕のところに来れば餌をやったのに・・・と思いながら見ていると、どうやら餌を探しているのではないようだ。

 そのハトは、小枝を拾っては投げているのだった。しかも同じ小枝を。拾っては投げ、拾っては投げ、同じ小枝を追いかけている。その行動の意味がしばらくわからなかったのだが、どうやら彼(彼女?)は小枝で遊んでいるようだった。

 ただ拾って、投げて、拾ってということを繰り返しているだけだったが、ハトの様子をみていると、それがとても楽しそうに見えた。子供が一人遊びに夢中になっている様子によく似ていた。

 その小枝は、彼(彼女?)のおもちゃだったのだ。僕は失礼ながら、ハトにおもちゃを使って遊ぶほどの脳ミソはないと思っていた。メスを追いかけ回すか、餌をねだるところしか見たことがなかったので。しかし、これほど楽しそうに、しかも熱心に遊ぶハトを見たのは初めてだった。

 とても面白いハトとの出会いだった。
 だいぶ前の話だが、チェスの名人がコンピュータに負けて、大騒ぎになったことがあった。将棋の世界ではまだそういう事件は起こっていないようだが、いずれは同じことが起こるのではないかと思う。

 ゲームの能力に関して、やたらと人間の肩を持ったり、逆にコンピュータの肩を持ったりする人がいるが、そんなのどっちでもいいじゃないか、と思う。

 コンピュータは、たとえばチェスならチェス専用の思考回路を持っている。人間は、何もチェスのことだけ考えるための脳を持っているわけではない。チェスで名人を負かしたコンピュータが専用機だとするなら、人間の脳は汎用機だ。専門的作業で、専用機が汎用機に優るのは当然のことだと思う。

 コンピュータは機械。人間は生物だ。チェスにしろ将棋にしろ、コンピュータが人間に勝ったといって大騒ぎするのは、100M走で、車が人間に勝ったといって大騒ぎするのと同じようなもんじゃないだろうか。両者を同じ土俵で比較すること自体が無意味だと思う。

 コンピュータは初めからプログラムされた状態でゲームに臨む。人間は、経験を繰り返しながら自身をプログラムしていく。自分自身をプログラムする能力において優れた人間が名人になるわけだ。そして人間は、その過程においてさまざまな喜びや苦しみを味わう。コンピュータは、ゲームを楽しむだろうか?ゲームに勝ったときには喜び、負けたときには悔しがるだろうか?勝ち負けのみにこだわると、ゲームの楽しみが失われてしまうのではないか。楽しんでこそのゲームではないだろうか。

 それでも、人はえてして優劣のみで物事を判断しがちだ。それがいかに下らないことであっても。どうしてだろう?
 最近はあまり聞かなくなったが、以前、電車で化粧をする女性が増えたことをマスコミが取り上げて、嘆かわしい現象だとか騒いでいた時期があった。公衆の面前で化粧をするのは、公私の区別がつかない証拠だというのだ。

 公私の区別がどうとかいう話は別として、僕は女性が化粧をする姿が嫌いではない。そもそも電車に乗ることが少ないので、電車で化粧をする女性に出くわしたこともないのだが、想像してみても、それがそんなにみっともないものだとは思えない。化粧の結果を見てみっともないと思うことはあるかもしれないが・・・。

 男が電車の窓を見てやたらと髪型を気にしているのを見ると、いささか怖気が走るが、女性が自分の身なりを気にするのはさして気にならない。手鏡を出して前髪を整えている女子高生や、口紅を塗る女性などを見ると、可愛らしいとは思うが、みっともないとは思わない。

 女性は身だしなみを気にするものだし、気にしない女性は男の立場からは敬遠したくなる。外見ばかりにこだわって・・・という意見もあるようだが、外見にこだわって四苦八苦する女性は可愛いものではないだろうか。その結果についてはとりあえず置いといて、とにかく努力する姿が可愛らしいと思う。

 しかし、こういったような細かいことにいちいち目くじらを立てる風潮もどうかと思う。新聞にしろ雑誌にしろ、貴重な紙面を削ってまでわざわざ書くようなネタでもあるまい、と思うのだが・・・。もしかしてそんなに貴重じゃないんだろうか。