世間には、ときどき「やたらと頑張る人」がいる。

 とにかく、うっとおしいくらいに頑張っている。これ見よがしに頑張っている。そして、その頑張り方がヤバいレベルの人は、かなりイッちゃってる目つきをしていたりする。まるで何かに取り憑かれているような。正直言って、あまり関りたくない種類の人たちだ。

 頑張るのは別に悪いことではないと思う。ほんとに頑張っている人は見ていて気持ちがいいものだ。けれど、ほんとに頑張るのと、やたらと頑張るのはどうも違う気がする。

 やたらと頑張る人は、自分が頑張っていることをすごく意識している。それで、成功哲学とか、夢の実現とかいう話が好きだ。そしてたいてい、頑張らないヤツは人間として失格だ、みたいな考えを持っている。頑張って、お金儲けて、いい家に住んで、いい車に乗って、それが人生における幸福の全てという感じなのだ。

 ほんとに頑張ってる人は、自分が頑張っていることに意識が向いていない。頑張りを発揮する対象、たとえば仕事とか趣味とか、そういうものに全神経を向けているので、頑張りそのものには興味がないようだ。だから、自分がどれだけ頑張っているか、という話はしなくて、頑張りの対象、自分が取り組んでいるものの話ばかりする。

 やたらと頑張る人は、自分が頑張っている事を意識しているから、人にも頑張る事を要求することがある。「オレがこれだけ頑張っているんだから、オマエも頑張るのが当然だろう」という頭があるようだ。その人にとっては、頑張る事が人間の価値基準になっているので、他人にもその価値基準を押しつけるのだ。そして、それが通用しない相手は「ダメ人間」として彼の価値基準の底辺に並べられるのだ。

 世の中で組織の上辺近くにいる人の中には、やたらと頑張るタイプの人が多いような気がする。だから、そういう人たちの価値基準が、社会全般に浸透しているのかもしれない。学歴偏重しかり、出世至上主義しかり、成功願望もまたしかり。それで、成功のピラミッドに上れない人、あるいは上ろうとしない人は、社会的に低く見られるのではないだろうか。

 しかし、そんなに頑張ってほんとに幸せなんだろうか。身の回りにはなぜか一人や二人はそういう人がいるものだが、彼らを見ていると、胡散臭いと同時に、哀れさのようなものを感じる。なんとなく可哀想になってくる。成功と引き換えに人間的な幸福を犠牲にするというパターンはあまりにも多いような気がするのだ。あんなに頑張っても幸福になれないのかと思うと、自業自得ではあっても、可哀想な気がする。

 人間、どうせ頑張るなら幸福になりたいものだ。あるいは、幸福な人は最初から幸福で、幸福だから頑張れて、幸福だから成功を掴めるのかもしれない。僕はどちらかといえば、そんな人生のほうがいいと思う。
 テレビでよく「絶滅寸前」という言葉を聞く。そして絶滅寸前の生き物を守るために活動している人たちがいる。絶滅寸前の生き物は、それはもうたくさんいるらしい。

 でも、絶滅寸前だから大事にする、というのがどうも引っかかる。「人間が保護してあげなければ絶滅してしまうのだよ」という姿勢には、いかにも人間の傲慢さが表れているのではないか。だいたい、ある生物種の絶滅などは、何十万年、あるいは何千万年というスパンで考えたら、日常茶飯事なのではないだろうか?

 アンモナイトも、三葉虫も、恐竜も絶滅した。その頃に生えていた植物もたくさん絶滅している。もっと新しい時代にも、生まれては消えていった種というのが数え切れないほどあるだろう。人間だってそういう種の中の一つに過ぎないだろう。そもそも、自分たちが滅びそうな勢いなのに、いちいち他の種のことを気にかけてる場合なんだろうか?自分たちを救えない種が、他の種を救えるんだろうか?

 絶滅寸前といわれる生物種をまとめた「レッドデータブック」なるものがあるそうだ。人間もその中に入れたらどうだろうう?なんだかんだ言って、一番ヤバいんじゃないか?人間の社会活動のせいで絶滅した種、あるいは絶滅寸前に追い込まれた種というのもたくさんあると思うが、自分たちで絶滅に追い込んでおいて、今さら守りましょうと言うのも滑稽なことだ。

 そもそも、「希少価値」などという、人間の物差しで生き物の価値を決めているようなところが間違いなんじゃないだろうか。要するに数が少ないから大事にするということだ。命ってそんなもんだろうか?絶滅寸前の種を守るというのは、その種を守りたいのではなく、「希少価値」を守りたいのではないか?

 だから、絶滅寸前の生き物を守るというような話を聞くと、感傷にどっぷり浸かった偽善のニオイがプンプンする。命を守っているのではなくて、希少価値を守っているのだから。数が少ないから大事にする、たくさんあるから粗末にしてもいい、命ってそういうものだろうか。

 絶滅しそうな生き物を放っておけと言うわけではないが、人間をなんとかしなければ、自然も生態系もどんどん破壊されていくばかりだ。ある種を救おうとする試みが、他の種を絶滅に追い込むこともあるかもしれない。生態系のことは自然に任せておいて、まず人間を、自分たちの生き方を変えなければ、何一つ解決しないのではないだろうか。
 公園には噴水があって、その近くでモデル撮影会をやっていた。若くて奇麗な女性が、ピンクのスーツ姿で、噴水の脇に立っている。それをレンズで狙っているのは、いずれも中高年のおじさんたちだった。

 カメラマンとモデルの間には噴水の水を受ける浅い池があり、少なくとも10m以上の距離はあったと思う。そのためか、やたらとデカい望遠レンズを付けている人もいた。何十メートルも先の小鳥を撮るわけでもなかろうに・・・と思いながら見ていた。周りは散歩中の老人や子供連れの主婦が多く、モデルとカメラマンが作っている空間は、完全に周りの風景から浮いていた。

 モデルに集中している中高年諸氏の脇を通り過ぎ、鯉が放されている池のほとりに出た。少し大きめの岩の上に座って、キャラメルコー○を食べ始めた。池の水は濁っていて、底が全く見えない。

 鯉は、水面からほんの2、30cm下を泳いでいたが、水が濁っているためにほとんど形がわからない状態だった。岸に近づけば、餌を求めて寄ってくるかと思ったが、一向に集まってこない。「釣りはしないでください」という立て看板があるにもかかわらず、釣りをしている人がいるので、案外スレているのかもしれないと思った。看板はあちこちに立っていたが、釣りをしている人もあちこちにいた。特定の字が読めない人はどこにでも居るものだ。

 水面に落ちたツツジの花を餌と間違えて食べに来る鯉がいたので、キャラ○ルコーンを一つ放ってみた。しばらくは何も起きなかったが、やはり目ざとい鯉がいて、あっという間に黄色い芋虫状の菓子を吸い込んだ。それを皮切りに、次々と鯉が集まってきたので、キャラメ○コーンはどんどん減っていった。

 やがて、池の中央にある島の向こうから、鴨が3羽、列をなしてやってきた。首から上は光沢のある緑色だ。彼らは小さな目を期待に輝かせながら、餌の持ち主を取り囲んだ。一番近くにいた鴨に、キャ○メルコーンを一つ投げたのだが、うまく食べられなかった。他の鴨も同じように食べられない。いつもはパンなどの柔らかいものを貰っているのだろう。固い餌は食べ慣れていないようだ。水の中でパクパクしてふやかそうとするが、すぐにはふやけないので簡単にあきらめてしまう。少し小さめに砕いたものをやってみたが、結果は同じ。もっと長くふやかせば食べられるだろうに。あきらめられたキャラメル○ーンはみんな鯉に飲み込まれていった。

 じれったそうな顔をしている鴨の三兄弟のうちの1羽が、妙な形に首をかしげているのに気がついた。しかも、見ているうちにどんどん首を曲げていく。とうとう、顔が水面と平行になるくらいに首をかしげた。その妙なしぐさに驚いてまじまじと見ていたが、その時上空にヘリコプターの羽音が聞こえているのに気がついた。彼はヘリコプターの姿を片方の目で追っていたのだ。

 そのうち、餌が食べられないと知って、鴨たちはその場を離れようとしていたが、それに向かってなおもキoラメルコーンを放り投げた。すると、何回かチャレンジしているうちにコツをつかんだのか、前よりも長い時間パクパクして、1羽の鴨が食べることに成功した。しかし、彼だけが2、3コ食べて、他の者は結局一つも食べずに去っていった。

 その池には亀もたくさんいた。しかし亀は用心深く、近寄っては来なかった。近寄ってきたとしても、亀にキャラメルコーンが食べられるかどうかはわからない。鯉が餌を貰っているのを見て、鳩や雀も近寄って来た。その頃にはもうキャラメルコーンはほとんどなくなっていて、ピーナッツが袋の底に残っていた。鳩と雀には、キャラメルコーンのカスと、ピーナッツをプレゼントした。

 鯉と、鴨と、鳩と雀に餌をやっているあいだ中、1羽の大きなサギが、島の一隅でじっとたたずんでいた。彼だけは、餌をめぐる騒ぎとは無縁の世界にいるようだった。
 台所になめくじが出た。

 ステンレスの流し台の端っこにぬめぬめと張りついている。つまんではがそうとしたが、ぬるぬるしてつまめない。おまけに、気持ち悪い。何度もチャレンジしようという気が起きなかった。

 指にぬるぬるが付いたので、水で流そうとしたが、なかなか取れない。水を流しながら、指先をこすり合わせたりしたが、予想を越えるしつこさだ。なんでこんなに強力なぬるぬるを出せるんだろう?

 指先のぬるぬるに気を取られているうちに、なめくじが姿を消した。流し台の端から、ステンレスの裏側へ進入したようだ。急がないと逃げられてしまう。忘れた頃にひょっこり出てきてもらっては困る。

 串の先に塩を付けて、進入したと思われるすき間を探った。すぐに手応えを感じ、一気に掻き出したら、床にぽとりと落ちた。塩が体に付いたので、あわてている。普通のときより動きが速い。逃がすか。

 なめくじの全身にまんべんなく塩を振りかける。彼には消えてもらうことにした。が、その時驚くべき光景を目の当たりにした。なめくじの背中がめくれ上がったのだ!まるでウミウシのひれのように、背中がめくれ上がり、一瞬ひらひらと動いて、また何事もなかったかのように収まったのである!

 今まで何度となくなめくじを見てきた。塩も振りかけた。だが、背中がめくれ上がるなど、全く聞いていない。当然見たこともない。それを今、目の前で見たのだ。なめくじの背中がめくれ上がるものだとは、この歳になって初めて知った。

 好奇心をあおられ、さらに塩をおみまいする。まただ!また背中が!なんなんだこの人は?いや、このなめくじは。新種なのか?背中がめくれ上がるなど。なめくじはみんなそうなんだろうか?なぜ今まで黙っていたのか。もっと見せろ。

 しかし、彼の体力は限界に来ていた。体を進めることなく、同じ場所でうねり続けている。やがて、彼の動きが止まった。南無阿弥陀仏。成仏してくれ。君のおかげでいい勉強させてもらったよ。ありがとう。
 甘いものが好きなほうだが、その甘いものをちびちび食べるのがとても好きなのだ。

 あんこが中に入った最中(もなか。さいちゅうと読まないように)やまんじゅうは、ちびちび食べてもそれほど面白くない。ちびちび食べるといっても、ただ少しづつかじるくらいしかできないからだ。つぶあんなら、あずきのつぶつぶを一つ一つ舌で確認しながら噛みつぶすという楽しみもあるが、こしあんではそういった楽しみもなく、今ひとつ面白みに欠ける。

 ちびちび食べる醍醐味を存分に味わえるのは、カップ入りの生洋菓子、すなわちゼリー、プリン、ヨーグルトなどだ。ゼリーの中には、フルーツやナタデココなどが入ったものもあるが、これらはあまり歓迎されるものではない。ちびちび食べることに専念するには、余計な固形物は混ざっていないほうが都合が良いからだ。味覚および食感という点で見れば、確かに楽しめる要素かもしれないが、ゼリーへの集中を妨げるという意味で、基本的に異物は避けたいものだ。

 さて、ちびちび食べる技術の実際について触れてみたいと思う。ここでは、ちびちび食べるのに最も適した食材であるとされるゼリーを例に、話を進めてみよう。

 「ちびちび食べる道」入門 ~ゼリー編~

 まず、ふたを取る。多くの場合、ゼリーのふたはアルミ箔またはビニールだ。プリンやヨーグルトもだいたいそんな感じだ。それ以外の素材で作られたふたを見た記憶はあまりない。あっても、特殊なふたがついたものは、中身もやたら凝った作りのものである場合が多く、初心者向けとは言えない。アルミのふたに比べて、ビニールのふたはめくるのに苦労することが多いので、焦って容器をひっくり返したりしないように注意しよう。

 ふたを取ると、ほとんどの場合、その裏にゼリーの残滓が付着している。なめたい誘惑に駆られるかもしれないが、ここは我慢だ。ちゃんとスプーンですくいとって、容器に戻してから食べよう。しかし、いったん容器に戻したゼリーの残滓は、容易に捕まらない。細いひも状になっている場合が多いので、端をすくっても滑り落ちてしまうのだ。ここでひとしきり前戯を楽しむことで、本番への期待を膨らませる。

 さて、いよいよゼリー本体を攻略するが、その前にまだやることがある。鏡面のように輝くゼリーの表面を、スプーンの裏で撫でるのだ。その動作によって、スプーンを通してゼリーのツルツルした感触を味わおう。そしていよいよゼリーにスプーンの先端を潜らせる。先程、スプーンの裏で感じた表面の弾力に逆らって、ゆっくりと力を込める。ゼリー表面の抵抗力が臨界に達し、スプーンの先端がゼリーの内部に入り込む瞬間のスリルを、思う存分に味わおう。スプーンの裏で表面を撫でるというのは、この臨界点を測るという役割もあり、かなり重要な行為なのだ。これを怠ると、臨界点の目測を誤り、スリルを味わう前にあっさりスプーンが潜り込んでしまったりするので注意が必要だ。

 ここで、再び注意しなければならないのは、スプーンを入れる場所だ。いきなりど真ん中に突っ込むなどはもってのほか。縁から攻めるのがセオリーだ。これは初心者が犯しやすい間違いなので、十分に気をつけよう。

 縁から攻めるといっても、容器の形状によってそのポイントは微妙に異なる。口が円型の容器の場合は、その円周上であればどこでも同じだが、角型の場合はやはり角から攻めるべきだろう。まず四隅を削り、それからその間、つまり四辺の中心を突く。円型の場合は、はじめにスプーンを入れたポイントから、左回りに円周をなぞるのが良いとされている。これらの手法はあくまで基本なので、縁から攻めるという原則を逸脱しなければ、自分なりに工夫してみるのも良いだろう。しかし、ある程度習熟してからにしよう。

 ここまでが、ゼリーにおける「ちびちび食べる道」の第一歩だ。

 ポイントをおさらいしてみよう。

 1.できれば混ざり物(フルーツ・ナタデココ等)は避ける。
 2.フタの裏に付いた残滓はいったん戻してから。
 3.スプーンの裏で撫でるのを忘れずに。
 4.容器の縁から攻めるのが基本。

 これらの基本を押さえておけば、導入部で失敗することはまずないだろう。裏を返せば、基本ができていないと、「ちびちび食べる道」に入ることすらままならないということだ。この先の長い道のりを確実に辿るには、基本を正確に理解し、しっかりと自分のものにすることが必要不可欠なのである。