【大阪府】大阪五新地を歩く「滝井(千林)新地」 | 日本あちこちめぐり”ささっぷる”

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観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

【大阪府】滝井新地

  

一・十・百・千......の先の桃源郷

 

【大阪五新地を歩く】

飛田右差しこちら

松島右差しこちら

今里右差しこちら

信太山右差しこちら

滝井右差し今回

 

関西旅の後半、早朝に訪れたのは大阪の下町、千林。

関西ではテレビでよくインタビューを受けるおばちゃんを見るのだが、その場所がほとんど千林の商店街。

恐らく、大阪のおばちゃんが住む場所のスタンダートと思われてるんでしょうか。

その千林は庶民に親しまれている商店街があって、中内功が開業したダイエーの一号店もここ。

その商店街を抜けた先に、今回取り上げる「滝井新地」がある。

これも戦後の赤線からの流れを汲む遊里で、当時は「千林新地」とも呼ばれていた。

 

 

最寄駅は京阪電車の千林駅と滝井駅、この2つの駅の中間に件の新地がある。

因みに、千林と滝井間は400m程で、お互いのホームが見えるぐらいに近い。

そのいずれから歩いて5分程だろう。

ダイレクトに"そっち"目的ならそれでもいいが、今回はあえて地下鉄谷町線を使い、千林大宮駅で下車する。

周辺の商店街や街並みも併せて見ておきたいからだ。

 

*  *  *

 

 

千林大宮駅を出てすぐ目の前がアーケード街の千林商店街。

早朝なのでシャッターもほとんどおりていて、人もまばらだ。

 

 

千林周辺はあの大阪大空襲の被害から免れており、非戦災地区となっている。

アーケードの店舗を注意深く見ると、戦前に建てられたと思しき外観も所々見られる。

 

 

商店街の歴史は古く、明治時代に遡る。

京阪電車の森小路駅(現在の千林駅)開業とともに商店街が生まれたらしい。

当時は公設市場として衣類や生鮮食品をはじめとする店舗だけでなく、演芸場もあったという。

住友銀行や三和銀行の支店も大正期にでき、「十銭ストア」と呼ばれる100均のはしりもこのころから存在していた。

 

 

現在は地下鉄千林大宮駅前から京阪千林駅前までの東西全長400mにアーケードが伸びている。

 

 

アーケードから外れると住宅が集まっており、その佇まいも軒並み古い。

戦前からと思しき木造の町家も残っている。

 

 

京阪千林駅前にあるオーエスドラッグがある場所にダイエー1号店があった。

創業は昭和32年、「主婦の店ダイエー薬局」という名で奇しくも薬屋さんでのスタートだったが、今で言う「ドラッグストア」のはしりではないかと思う。

 

 

千林駅前でアーケードは終わり、ど派手なスーパー玉手の看板が掛かっている。

それにしてもこのスーパー玉手は新地の近くに必ずある気がする。

前に取り上げた信太山新地近くにもあったし。

 

 

線路沿いに北へ進み、スナックが向かい合って並ぶ通りに入ると、いよいよ目的地だ。

 

 

長屋状に4軒入っているが、すでにオワコン状態。

もしかすると青線的な商売もやっていたんだろうか。

 

 

飛田も松島もそうだったが、新地ある所にこうした飲み屋街が付き物となっている。

しかし、ここに関しては廃墟の状態になっているが。

 

 

細い路地にももう一軒、看板が掛かっていた。

 

 

さて、いよいよ本体に入る。

一本の通りに向かい合う形で料亭の看板が5軒掛かっている。

 

 

手前のアーチが掛かっている部分に辛うじてカフェー建築の名残りが見える。

 

 

滝井新地の歴史だが、ググって見てもどうにもはっきりしない。

古くは京街道が近くを通っていて、その名残で遊里ができたのではという説もあるらしいが。

京街道に沿って京阪電車が走っているが、そういえば沿線には枚方や橋本、中書島といった遊廓もあったし、京に入れば清水五条近くには五条楽園、更には祇園や宮川町、先斗町と遊里が並んでいる。

 

 

突き当りの通りにも料亭があって、現在は7~8軒といったところか。

五新地の中では断トツで規模が小さい。

新地内を散策といっても、1~2分で終わるだろうw

 

 

そんな感じでマイナー色たっぷりな滝井新地だが、いつもお世話になっている『全国女性街ガイド』には「千林新地」という名で短く紹介されている。

それによると、

守口市の千林新地に五十軒ほどの赤線が誕生したが風情はなく......

といった感じで、やはりパッとしない赤線だったらしい(苦笑)

 

 

とはいえ、10軒足らずの現状と比べれば、50軒という規模は大きい。

今よりももう少し広い範囲で遊里が広がっていたのは明らかだが、それもまたどんな感じで広がっていたかは分からない。

当時の商業地図とかあれば何とか見当付けられるのだが。

 

 

因みに、滝井新地にはかつて「千林トルコ」という名前のお風呂屋さんもあったという。

お風呂屋さんといっても銭湯ではなく、特殊なやつね(笑)

前回も書いたが、現在の大阪府には、その手のお風呂屋さんは条例で一軒も存在していない。

 

 

あまりにも小規模な新地ゆえに本編は短く終わってしまったが、帰りにこれまた圧巻な街並みを目にする。

 

 

細い通りに2棟の長屋が並んでいる。

昭和12年築で、大阪市の都市景観資源に選定されている。

 

 

それぞれに4軒と5軒の居住空間が入り、それぞれに三州瓦でできた入母屋風の屋根が備えられていて威風を放っている。

壁はスクラッチタイル貼り、窓廻りと庇は銅板、高級な国産ヒノキで建てられているという。

大阪の下町にこれほどまで気品高い住居が残っていたとは思わなかった。

 

 

再びアーケードへ。

こちらは今市商店街と呼ばれている。

 

 

で、こちらもやはり非戦災地区らしく戦前からの店構えが多く残っている。

 

 

こちらにも時計と貴金属、眼鏡を同じように大事に扱っている店が。

昭和にはこうした時計屋さんが多く存在していた。

 

 

 

アーケード街にこれまた風情ある町家が建っている。

 

 

アーケードからではわかりにくいので、外から眺める。

白壁の蔵が裏手に控えていて、かなり大きい。

 

 

古い住居表示版には仁丹広告。

仁丹歯磨きのものは初めて見た。

 

 

ちょうど登校風景に出くわす。

絵になる光景だ。

 

 

こういう下町風景が残っている、大阪もまだまだ捨てたものではありませんな。

 

 

ここで最初の千林商店街と合流する。

2つのアーケード商店街は雰囲気も似通っていて一体化している感じ。

早朝もいいが、やはり賑わいを見せている日中に歩きたいね。

 

そんなわけで、新地の街並みよりも周辺の商店街と下町の風景に圧倒されてしまいそうな「滝井新地」編でした。

とりあえず、大阪五新地巡りはここで一区切り。

(訪問 2019年7月)