軍都とともに生きる現役遊里
大阪から和歌山に向かう途中、ふらっと立ち寄ろうと途中下車したのが阪和線の信太山駅。
そう、この駅の近くにはいまも健在な現役遊里が存在している。
それが今回の「信太山新地」、大阪五新地の一つだ。
天王寺から阪和線電車で揺れること30分だろうか、大阪市から外れ、更に堺市を越えて南の和泉市に件の遊里は存在する。
なぜこのような立地という疑問は、背景を知れば氷解する。
この近くには戦前から陸軍信太山駐屯地が存在していたから。
現在も陸上自衛隊の駐屯地となっており、そのまま軍都として受け継がれているというわけだ。
まさに軍隊ある所に遊里ありの典型である。
信太山駅を降り、スーパー玉手の派手に目立つ看板の裏手にその遊里は存在する。
阪和線の線路沿いにこうした風景が広がっている。
"スタンド"と"旅館"、それ以外は他にない、まさに純粋な遊里だ。
大阪市からかなり離れているのにもかかわらず盛況なのは、前述の自衛隊の近くという立地のお陰に他ならない。
何しろ男社会の仕事場、それ故に女を求めてこの地に足を運ぶのだろう。
もっとも、この新地は隊員のみならず、評判を聞きつけた多くの好事家たちの人気が高いらしい。
例によって風俗サイトではないので詳細は各自ググっていただくとして、需要がかくも高いゆえに立地にもかかわらず盛況なのだろう。
因みに今回は和歌山に向かう途中、早朝の訪問である。
写真が少ないのは、早い時間からここに住む人が掃除に出てきたから。
そうなるとじっくり回って、というわけにはいかない。
風のように訪れて風のように去るのがいい。
因みに、この新地は定休日があって、毎月20日なので、散策ならこの日の早朝が最も良いかも。
それでも、現役の遊里を歩くのはやはり緊張するものだ。
実は今回、途中下車してまでこの信太山新地に立ち寄りたかったのは新地そのものもそうだが、この神社を訪れたかったから。
地図では「信太山新開地淡島社」とあるが、和歌山の加太にある淡嶋神社の末社なのだろうか。
加太の本社は婦人病の治癒や安産・子授けの神様なので、この立地にしっくりかも知れない。
ここで働く女性たちの信仰を受けてきたのだろう。
それよりも気になるのは、鳥居横にある石碑だ。
「信太山新開地 五十五周年記念」と刻まれている。
石碑の裏を見ると、「平成十九年」とあるからそれほど古くない。
寄進者として「信太山新開地協同組合」の名が刻まれている。
平成19年から55年前ということは、この新地が生まれたのが昭和27年ということになる。
売春防止法施行の昭和33年より6年前のことだ。
因みに、いつも参照させていただいている『全国女性街ガイド』にはこの信太山新地に関する記載がない。
大阪五新地で唯一記載されていないのがこの信太山なのだが、年代的に考えると赤ないし青の形で生まれたのは確かだろう。
ざっくりと回った印象としては、他の赤線跡と違って一目でわかるカフェー建築が見当たらない。
滞在時間がなかったから実際には細かいところで当時の跡が残っているのを見落としているかも知れない。
また再度訪れたいところだが、立地が立地だけにちょくちょく立ち寄れないのが難点かな。
(訪問 2019年7月)