【大阪市】今里新地
関西には「新地」と呼ばれる色街が存在している。
特に大阪には「五新地」というのがあり、戦前の遊廓や戦後の赤線の流れを汲む"料亭"街や"旅館"街が存在し、現役の遊興地として営業を続けている。
当ブログでは全国的に有名な飛田新地を取り上げてきたが、今回の関西遠征でひとまずは五新地すべてに足を運び終えたので、それまで取り上げていない他の新地をざっくりと触れていきたい。
なお、当サイトは風俗サイトではなく、あくまでも街並み散策のブログなので、新地の遊び方云々については各自でググっていただきたい。
で、前回は簡単であるが信太山新地を取り上げたので、残りの3つを続けて散策記を綴りたい。
タイムラグがあるので、もしかすると当時あった建物が現存していない可能性もあることを予めお断りしておきたい。
また、いずれも現役の遊興地なので、散策するならできるだけ人通りがない早朝が望ましいが、そんな街なので自己責任でお願いしたい(ましてや営業時間中でカメラ持って歩くのは論外)。
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今回取り上げるのは今里新地。
今里駅は近鉄、そして地下鉄千日前線と今里筋線の両方があるが、最寄り駅は近鉄の方。
南口を出て歩いて10分そこらで件の目的地にたどり着ける。
途中は何てことない商店街が延びているが、所々に戦前に建てられたと思しき店構えが多く残っている。
今里地区は大阪市内でも数少ない非戦災地区である。
交差点を見ると建物は角切りになっているのがほとんどだ。
特に今里地区は狭い路地が多く、こうした場所では角切りが小さく、窓がない。
そして、屋根を見ると小さい妻を上げているのが多い。
そして狭い通りに入ると、長屋状の集合住宅が多く残っていて、佇まいも古い。
これらは戦前から戦後にかけて多く建てられた「文化住宅」と呼ばれるものだ。
ここでいう文化住宅とは、「人間が文化的に生活できる住宅」という意味合いで関西に多く残っている集合住宅で、とりわけ戦後の高度成長期に爆発的に建てられた。
戦後の住宅欠乏期、住むところがない貧困世帯を救済する目的だった。
ちょうど登校時間帯で通学風景に出くわす。
新地があるとはいえ、周辺は生活空間でもあり、市井の姿が多く行き交う。
しかし、新地のエリアに近くなると、一転して歓楽街の街並みになる。
実は今里新地は知る人ぞ知るコリアタウンでもあり、夜の店に混じって韓国料理店も多く見られる。
大阪でコリアタウンというと鶴橋が真っ先に出てくるが、そこから近鉄で一駅の今里はその延長線上でもある。
夜の店に混じって古い佇まいの料亭が点在している。
今里新地が誕生したのは昭和4年で、飛田新地より新しい。
明治からあった北新地や難波新地が大火で焼失したことで廃娼となるが、大正から昭和にかけて大阪近郊に点在していた「土地建物会社」の地所に次々と花街が生まれる。
その一つがこの今里で、当初は芸妓置屋と料理屋から構成された"二業地"だった。
昭和30年刊行の『全国女性街ガイド』ではこの今里新地が紹介されている。
ここと住吉は祇園乙部型で芸者と赤線が混然一体をなしている里で、お茶屋百軒に芸妓、酌婦入り混ぜて三百名。いうところの二枚鑑札だから芸者風に遊べるが酒そのほかで高くつく。泊りズバリなら千八百円。
赤線廃止後は表向き"料亭"街として長らえるが......あとは察してくださいw
街並みとしては古い佇まい料亭が所々残っているので申し分ないが、遊びとなると二大巨頭の飛田や松島より地味な印象を受ける。
見た感じ、現役として看板を掲げている店は10~20軒ほどではないか。
商売をやめてひっそりと余生を過ごしている料亭だった建物も多い。
見番に当たる「今里花街組合」の建物。
ビル化しているのが主流にあって、ここは昔ながらの古い佇まいのままだ。
以前取り上げた飛田や前回の信太山とは違い、料亭と住宅が混然としていて、戦災に見舞われていないため古い佇まいを色濃く残している街並み、いい意味で散策にはお薦めである。
とはいえ、やはり現役なので早朝がお勧めである。
治安も決して良くないという話も聞くし、バシャバシャ写真撮りまくらない方がよいかも知れない。
(訪問 2018年11月)