中編です。
キャラについての感想書いてたらそれだけで長くなりました…。

例によってネタバレ沢山してます。



◆感想


【キャラ】

《遊戯》

すっかり成長して、初期と比べると見違えましたね。
ちょっと肝が座りすぎな気もするけど…車に轢かれそうになってセラに助けてもらって「助かった~」ってそんな、あっけらかんと(笑)

でもTwitterで見た他の方の感想なんですが、「みんなとカフェにいるのにネットの記事を読んでる姿は、初期の頃遊園地に来てるのに新聞読んでた姿とダブる」っていう意見があって目から鱗。
そうだよね遊戯って情報は自分から拾ってくるタイプだった…変わらない部分はちゃんとあるんだね。

原作で大好きな名言「ボクは諦めない」がまた聞けて感動。
とはいえ最後の最後では諦めてしまったけど…でも私は、そういう弱さもちゃんと描いてくれてて良かったと思いました。
だってラストバトルは闇のゲームだし、デュエルリンクスの装置も外れた一般人の遊戯の気力じゃ限界あるだろうと。
むしろ、そんなになるまで人を頼らないのが遊戯だよなあと思った。何かと背負いこみがちなんだよね。

藍神戦のトリプルトラップが好きすぎる。
原作で無限ループが初めて出た時は震えたものですが、王様みたいな戦術を表遊戯も使うとは…成長をより感じることができました。

あ、あと嬉しかったシーンは店番!
遊戯王の日常描写好きなんですけど少ないから、今回の映画はたくさん日常シーンあって本当に嬉しかった。
しかも店番なんて、超個人的「遊戯王同人誌でしか見たことない夢の光景シリーズ」の三本の指に入るよ!w


《アテム》

こんな登場とは予想できませんでした。
一切喋らない演出で、よりこの世の人ではないことが伝わってきた…。
そう思うと悲しくはありますが、離れていても友情で繋がっていると示してくれて良かった。
原作で何度も「仲間の記憶はこの先何があろうとずっとオレの中にある」って言ってるしね!
あの笑顔を見て、ああこのアテムは本当にちゃんと覚えてるんだなと信じられました。

遊戯と向かい合うシーン、アテムだけ髪のなびきが細かくてもう本当に別の人なんだなって。
「二人の遊戯」じゃなくて「遊戯とアテム」が向かい合ってるんだということがよく分かった…。


《バーチャル闇遊戯》

めちゃくちゃ格好良かった!
なんかあの頃の遊戯vs海馬がそのまま蘇った感じ。
ライフは何の説明もなく8000になってたけどw

風間くんの演技がより自然になってて感動。
(個人的に超融合の時はちょっと張り切りすぎな印象があったのでw)
「お前の決闘者としての魂を全て賭けーー
このオレに挑んできな!!」
このセリフいいですねえ。

ライフ表示のところ『Yugi Muto 18』って書いてあると教えてくれた人ありがとう…おかげで何回目かで確認できました。
18歳になれなくして命を落とした人がバーチャル空間では18歳になってるんだね…。


《海馬》

本物の海馬だった。

いやこの人相当難しいキャラしてるんですよ。
自分勝手で傲慢、それでいて負けても誇り高い。
海馬瀬人というキャラクターを原作通り格好良く見せるのって結構大変だと思います。
和希先生以外が手がけるとどうしてもちょっと違うキャラになっちゃうんですよね。(アニオリ参照)
下手するとお高くとまってるだけの格好悪い人になってしまったり、ただの頭おかしい人になったりするんです…ひどいこと言ってすみませんが、かなり扱い難しいんです。

それが今回は見事な誇り高さと力強さを見せて下さいました。行動の一つ一つが予想の遥か斜め上で、最初から最後まで本当に格好良い人だった。
そうだよ私達の社長はこういう誇り高き狂人なんだよ…!!
それが本当に嬉しかったです。

「これが貴様らの領域だと言うのなら、
このオレが土足で踏み込んでやる!!」
このセリフ何回聞いても良い。


《藍神》

驚いたのはこのセリフ。
「ここに存在しているけど、互いに見ることのできない次元」
遊戯王を代表する言葉「見えるけど見えないもの」を、まさか今回敵サイドのキャラに言わせるとは思わなかった。
(だからか、新キャラなのに「あ、遊戯王のキャラだ」ってすぐ受け入れられた)
いやー今回どこで「見えるけど見えないもの」が来るか密かに楽しみにしてたんですよ。絶対来ると思ってた。
でもまさか敵がその言葉使ってくるとはなあ…やられた。

それに、プラナの力って要は「結束」なんですよね。
「見えるけど見えないもの」といい「結束の力」といい、これまで遊戯たちを救ってきた大切なキーワードが姿形を変えて襲ってきた…今回の映画はそんな印象です。
藍神くん達は「もう一つの遊戯達」なのかもね。

藍神くん、猫かぶってる時はナムみたいだけど、いちいち純粋で信じやすい感じが現代っ子っぽくていいですね。
ヴィジャム(攻撃力0)が合体して強いモンスターになっていくという方界デッキは、一人じゃ何もできない藍神くんにぴったりだと思った。
やっぱりデッキはデュエリストを映す鏡だね。

初手で攻撃力0のモンスター召喚&伏せカード4枚ヴォーンと出すシーンはすごくカッコよかった。
正体不明の敵って感じがよく出てて、あれだけでゾクゾク来ました。

あと細かいけど、彼が1ターンだけでどんどんモンスター召喚したり何度も攻撃したりしてるの見て、リアルのOCGあるあるだなーと思ったw
ソリティアって揶揄されるやつw


《セラ》

ジャンプの読み切りではしたたかなイメージだったけど、映画は健気ないい子だった。
「遊戯さん…パズルを完成させるか否か、全てあなたに委ねます」って言った時はおいおいぶん投げかwって思ったけど、彼女にできることはそれが精一杯だったのかも。
藍神くんは遊戯(=王の器)を亡き者にしようとしていたけど、セラは遊戯のことを、自分たちと同じ仲間であり「味方になってくれる人」かもしれないと思っていた。
兄は復讐に気を取られててそのことに気づかないから、何とかして止めたかったんだよね。
「ケンカもしたことない」兄妹だから、どうしたらいいのか分からなかったのかも。
ピースを渡した行動はセラの賭けだったんだよね…。

セラの声が花澤さんで良かったです。
ささやき声いいよね。


《マニ》

けっこう人気のマニ。
憎しみの感情は身を破滅させるということを身をもって教えてくれました。
冷静に藍神くんを見守るいい兄貴キャラだよね。
子供時代の「ディーヴァ、君のせいじゃないよ。この前君は、僕にそう言ったよね」ってセリフが良い。

あとマニが消える所は、藍神くんもちゃんと仲間を大事にできる子であると分かって好きなシーンです。
でもあれ、マニはどこに消えちゃったんでしょう…低次元かと思ったけど、獏良くんと違って千年リングが倒されてから復活したので、「千年リングの闇にのまれた」みたいな表現なのかなあ。
(獏良くんは別の次元に送られたって遊戯が言ってるから、低次元かなと)
実はラスボス藍神くんの中にマニも取り込まれてたりしてね…。


《シャーディー》

まさか出てくるとは!
そしてセリフが多くて嬉しい!
「恐れ」について語るシーンがめちゃくちゃ好き。
あそこ、一般的な作品であれば休憩タイムのような静かなシーンだけど、全く飽きない。
毎回佐々木望さんの声にうっとり聞き惚れてしまいます。
そして「僕は恐れなんてありません」と笑顔で言うちび藍神くん、なぜか泣ける…。

獏良父に向ける目がゴミを見るような目だったのがちょっと面白かったのはここだけの話。

あと「あなたには、あなたに相応しい次元が待っている」ってセリフが好き。


《獏良》

映画でこんなに出番があるとは!
獏良ファンクラブの皆さんおめでとう…!
いや本当に、千年リングとの出会いのシーンが見られるとは思いませんでした。
和希先生の中でも獏良くんって重要な存在なんだろうなあ。
ちび闇バクラも見られるなんて思いませんでした。
松本梨香さんの演技すごいなあ…。

今回は原作初期を思い出す大人しいキャラだった。
藍神くんの大切な人を手にかけてしまったと分かった時の涙、ぐう聖だった。
原作後期は天然腹黒な感じが強かったからちょっと意外ですけど、どっちも獏良くんなんだろうなあ。
でも学園シーンで一個すごい気になったんですが、結局童実野高校の制服買わなかったの??w

王家の谷で物陰からこっそり父親を覗くちび獏良くんのシーンは、クル・エルナ村の悲劇を見てしまった盗賊王バクラが浮かんだ…。
あれわざとリンクさせてるんでしょうか。

ラストのマハードの攻撃で、千年リングは粉々に砕かれてましたね。
(元持ち主であるマハードが壊すという展開はぐっときた)
今度こそ闇の意志は消えてなくなったんでしょうか…闇バクラというかゾークというか、遊戯王界随一のお騒がせ者ですな。

仲間として日常シーンに混ざる獏良くんに嬉しさを感じつつも、まだまだ底知れない何かを持っていそうなキャラとも思う。
獏良くんの謎だけでもう一本くらい映画作れそうw
妹がいる設定とか生かしてくれてもいいんですよ!


《城之内》

真紅眼を取り戻してることにびっくりした!
あれ、取り戻してるシーンありましたっけ?(THEうろ覚え)
王の記憶編では出してたけど、あれは実際の世界じゃなかったし…。
真の決闘者になれたんだね。
それでも町内大会優勝を目指してるの可愛いなw

今回デュエルは無かったけど、親友としての大事な役割があって良かった。
個人的に「遊戯!………いや、なんでもねえ」が聞けて嬉しかった。DEATH-Tを思い出すね。
遊戯王のキャラほとんどそうだけど、肝心なことは口に出さないんだよね。
特に城之内くんみたいに普段ムードメーカーなお調子者が口をつぐむのってとても良いと思います。

あと飛行船の夢のシーンはアニメDMっぽいノリで笑ったww
あそこ社長が「城之内」って呼んでるのちょっとニヤニヤする。現実はまだ「凡骨」みたいな変なアダ名呼びなのかもしれないのに、城之内くんの中ではちゃんと名前で呼ばせてるんだと思うとww


《杏子》

初期の頃から目指していたダンス留学をついに実現させるシーンが見られるとは本当に思ってませんでした。
ずっとずっと杏子の夢だったんだよね…。
そこをぶれさせなかったのが、もう、ありがとうとしか言えない。
子供の頃から私は、夢にまっすぐ向かう杏子に強く憧れていました。今回の杏子はまさしく私が好きになった人なんだって、アニメのキャラに思うのはおかしいかもしれませんが心から誇らしかった。

しかもパンフレットに、杏子は未来の象徴というようなことが書いてあって…彼女に大事な意味を持たせてくださったことに感謝してもしきれない。

で、遊戯との仲が明らかに友達じゃない感じになってるのが非常に気になるんですけどー!
「小さい頃からの夢だったもんね」
「遊戯!あなたの夢、みんなに聞かせてあげたら?」
っていう会話から、二人だけで夢を語り合ってることが想像できて…うわーずるいわあ幼馴染ニヤリ
ほんと、肝心なところをはっきり言葉にしないでキャラの言動で見せるのが遊戯王のニクい所ですよね…気になる…。

ちなみになんかアテムのことはふっきれてるような印象でちょっと寂しくもありました。
原作の、闇遊戯に惹かれてる杏子が本当に可愛かったから…。
でも私は原作最終回の「絶対に忘れない、あなたのことを」ってセリフをちゃんと覚えてますからね。
闇遊戯への気持ちを大事にした上で杏子なりに乗り切って、受け入れて未来に進んでるんだと信じてるぜ!
遊戯王の女子キャラって本当にメンタル強いもんね。


《本田》

声が近藤さんに戻っててビックリです。
そもそもなんで一回CV変わったんでしょうね…?
菊池さんのやんちゃな声も慣れてるけど、やっぱり近藤さんが演じられる本田くんは原作のクールなイメージがあってピッタリだなあ。懐かしいよ~!

そうそう、本田くんもアニオリだとあんまりいい扱い受けないことも多かったけど(猿とか…)、和希先生が描かれる本田くんには一歩引いて物事を見られる冷静な部分があるんだよね。
デュエリスト以外は影薄いと思われがちかもだけど、私は遊戯と杏子と城之内くんと本田くんの初期メンバー4人ってバランスいいなあと思ってます。


《御伽》

出てきてくれると思わなくて超嬉しかったです。
しかも父さんと一緒に働いてるし!!!
(これはビックリなんてもんじゃない)
元のお店が火事になっちゃったから働いて稼いでるのかな…高校生活シーンにはいなかったよね。

和希先生はちゃんと御伽くんを仲間として集合絵に描いてくれるのが多くて嬉しい。
原作の「DDD編」は短いエピソードだけど、重要な要素が詰まっていて印象深いです。
映画も出られて良かったね御伽くん…!
声ひっさびさに聞いて懐かしかった!!

Mr.クラウンは遊戯王では珍しい、ちゃんと改心した父親ですよね。
アニメDMでハブられてたから本当にびっくりした…まさか映画で見られるなんて。
ピエロのお面のデザインが怖くなくなってるのもニクい演出~!!
こういう一瞬のシーンでも、細かいところでキャラの歩んでる人生を想像できるのって素晴らしいと思います。


《モクバ》

株が上がるシーンしかないのってズルくない??
この子に関して語れることはあまり無いよ…ただただ可愛くて美味しい弟です。

あ、一人称「ボク」になってるのはちょっと大人になったってことなのかな?
前はオレだったような。

藍神くんを騙したり、頭が切れるシーンも見られて良かった。
いい副社長なんだろうな。





今回の劇場版はどのキャラクターのファンであっても楽しめたのではないでしょうか。
それくらいちゃんと一人一人のキャラを昔のまま、でも成長させて描いてくれていた気がします。
いやあ、まさか卒業するところを見られるとは本当に思わなかった…だって、特に遊戯なんてずっと制服姿だったのにねえ。
感慨深いです。

改めて遊戯王のキャラクターが大好きだと思えたのでした。

その他感想は後編にて。



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2016年4月23日公開した劇場版『遊☆戯☆王』についてです。
とても長文なので分割しました。
このブログで文字数制限ひっかかったのは初めてです…。
それくらい長ったらしいのでご注意。

あと全部ネタバレしてるのでこれから観る予定がある方はそっ閉じして下さい。



小学生の頃に大好きになり、そこから多感な時期を彩ってくれた遊戯王は私にとって大切な作品です。
その久々の劇場版と聞いて、『超融合』の時のようなお祭り作品を想像していましたが、結果としてナメていました。

「原作者が原作してる」って、こんなにすごいことなんだ…!

というのが初見の感想。
いやあ…これまで好きな原作者が監修している映画を観てきた人はこんなにいい思いをしてたのか!?と思いました。
(今回、和希先生は脚本も担当しているので、監修なんてレベルじゃないわけだけど)


独特な台詞回しが遊戯王。
カードゲームにプレイヤーの生き様が出るのが遊戯王。
そしてどんなキャラも本当に活き活きとしていて、ちゃんとそれぞれの人生(原作最終回の1年後)を生きている。
しかも、原作最終回で「光の中に完結する物語」とされていたことからか、映画の冒頭は光の中からスタートしてるし。

何なんだこのガチ続編は。
原作が完結して12年ですよ…誰が、こんな続編を観られると予想していたでしょう。


以下に自分が考えたことをまとめます。


◆考察


【1.それぞれの目的・立ち位置】


今回の映画は「三すくみ」というのは公開前からスタッフインタビューなどで言われていました。

《遊戯サイド》《海馬サイド》《藍神サイド》の三つですね。

それぞれの立ち位置が初見ではよく分からない所もあったので、複数回観た今、自分なりにまとめてみることにしました。
個人的な解釈も含みます。


《遊戯サイド》

千年アイテムを全て集め、アテム(=もう一人の遊戯)を冥界に送った遊戯と仲間たち。
それからは普通の日常生活を送っているようですが、城之内くんの「あいつの記憶、無理に消す必要はないんじゃねえかな」というセリフを見ると、遊戯はアテムがいなくなってしまったことをまだ完全に乗り越えてはいないらしい。

そりゃああれだけ一緒にいたもう一つの心がなくなってしまった訳だから、そう簡単にはやりきれないだろうけど…遊戯がアテムを無理に忘れようとしていた(本人は否定してるけど親友にはそう思われた)というのは、人間らしい弱さをちゃんと描いてくれているように思えて何だか嬉しかった。


原作の最終回が掲載された当時、私が見ていた遊戯王ファン達はほとんど、アテムと遊戯がずっと一緒に生きる展開を望んでいたように記憶しています。
だからアテムとお別れする最終回にどれだけのファンが涙を流したか…。
正直、私も最終回は辛くてあまり読み返せませんでした。

今回の遊戯を見て、当時のそんな様子を思い出したりしていました。


《海馬サイド》

アテムに勝ち逃げされた形になった海馬社長は、アテムを復活させるのに全力を尽くしています。
和希先生はこの映画の話が来た際、まず海馬があのままで終わるはずないと思い浮かんだというけど…ほんと、今回はこの人が主人公ですね。

映画内で語られたアテム復活の方法は3つ。
①デュエルリンクス内で人物データを組み上げ実体化
②千年パズルを発掘し、再び完成させる
③デュエルリンクスのシステムを応用し、自分自身が次元移動する(アテムのいる冥界に行く)

なんか…海馬コーポレーションがどんどん進化していて感嘆。
しかもこのデュエルリンクス、後述する藍神くん達プラナの力に打ち勝っちゃうからすごすぎる。

でも思えば初期の頃からずっと、社長は科学を駆使して闇の力と互角に渡り合おうとしてきたんだよなあ。
闇遊戯による罰ゲーム「死の体感」を真似してバーチャルリアリティシステム作るし、ペガサスの千年眼に対抗して決闘盤作るし…。
10数年経っていてもそういうところ全くブレてないなと。

社長にとって、「遊戯」はアテムの魂の器でしかなく、藍神たちはアテムと再戦する夢を阻む邪魔者というわけですね。


《藍神サイド》

今回のゲスト。
と、いうよりも…密度濃すぎてこれ「プラナ編」として長期連載できるレベルの情報量あるんじゃないだろうか。

ぶっちゃけ最初は何してるのかよく分かりませんでした。
「僕達だけの高次の世界に行く」とか言ってるけど、勝手に行けば…?って思ってた^^;
それか、「王の魂が冥界に行く」ことで「高次の世界に行ける扉が開く」なら、もう藍神くん達は高次の世界に行ってるの?とか。(あのプラナが集う、空中に浮かんでる場所が高次の世界?とも思った)

どれも違いました!ってか本編で言ってましたね!
「僕らの望みは高次の世界。この世界を変えるため、必要な人数にまもなく届く」
高次の世界っていうのは自然に行けるわけじゃなくて、仲間を増やし続けることで今あるこの世界を自分たちで乗っ取ってしまおうということか!
だから同じ波動を持つ仲間を探して、逆に「こいつ嫌だ」って奴は低次元に送る(消す)ということなのね。
選民思想的な。

遊戯は自分たちの世界を、仲間を守るために藍神くんと戦ってたのか…(獏良くんを助けるだけじゃなくて)


千年キューブを持ってる人がプラナのリーダーだとして、それはシャーディーから藍神くんに受け継がれた。
その藍神くんは地道に仲間を増やしていたんだけど、途中で獏良くんという復讐の相手を見つけてしまって、復讐心が募り童実野高校に潜入…という流れですよね。

そうそう、藍神くんの目的が3つあるから、初見だとちょっと分かりづらかったんですよ。
①獏良くんへの復讐
②高次の世界に次元シフトすること
③王の魂を復活させないこと(②ができなくなるから)
だったのね…。
いや私の理解力がないだけかもなんですけど。



【2.プラナの力】


パンフレットによると、プラナのイメージはSNSだそうです。
Twitterに例えるなら、藍神くんはめっちゃフォロワー多い人w
で、その人が考えたことをフォロワーはみんな真似して同じ方向を向くっていう関係。
その人が誰かを叩けばフォロワーも一緒になって叩く関係。
気に入らない奴はみんなでスパブロ凍結と。

だから最後に藍神くんが千年リングの闇の力に影響されてしまった時、プラナもみんな暗黒次元に染まってしまったんですね。


プラナの力になぜ社長が対抗できたかも、最初はよく分かりませんでした。

とりあえず個人的解釈。
藍神くん達プラナの力を「認識力」として見ると分かりやすかったです。
自分を、他人を「こういうものだ」と決めて認識する力です。
この世の人は誰しも無意識に持っている能力。
「僕らの意識波動プラナーズマインドは、従来の人間のおよそ7倍」と言ってるのは、プラナ達は意識を繋げて増幅できるから、普通の人より認識力が高い。
藍神くんが黒と言えば、プラナ達はみんなそれを黒だと「認識」する。
そして大勢の人間にお前は黒だと言われれば、人間一人がそれを覆すことは容易ではない。
ネットで一度炎上した人が悪印象をずっと背負うのと同じように。

社長がなぜ対抗できたかですが、それこそ社長もかなりの「認識力」を持つ人。
童実野町だけではあるけど、どこにどの住民がいて何をしているか、恐らく全部把握しているのでしょう。一人一人のデッキもね。
そして新デュエルシステム「デュエルリンクス」は、人間の自我を増幅させる力がある(マニ談)。
デュエルリンクスはあらゆるカードデータを全世界ネットワークに繋げることが可能。
デッキ情報もデータ上できっちり管理される。
デュエリストにとってデッキは魂そのものですから、デッキデータがあれば自分を見失うことも無いのかなーと解釈しました。
科学の力つよい。


象徴的だなーと思ったのは、中盤の雨の交差点シーン。
あれ社長は自分が交差点に入るために、車側の信号を全部赤にしてるんですよね。童実野町を支配している彼なら、信号いじるくらい朝飯前なんでしょう。
で、その後に車に轢かれそうになった遊戯をセラが助けてくれるんですが、これは瞬間移動というよりも、セラが「遊戯が交差点内にいなかった世界」を認識することでその通りになった…ということかなと。

なんだかSFな話になってきましたが^^;

とにかく、このシーン、社長とセラのしていることは本質的に同じだなーと思いました。
常人には逆らえない力で結果を望み通りにした。
社長は信号を赤にしたいからした。
セラは遊戯を交差点外に置きたいからそうした。

社長はプラナと互角に渡り合える人間なんだなあ…。


(藍神くん達プラナが瞬間移動してるように見えるのも、瞬間移動というより「その時間その場所にいる自分」を認識した結果起こったことだと解釈してます)



【3.アテムがなぜ現れたか】


まさか王様が本当に出てくるとは。嬉しかったんですけど、初見は正直「なんで?」が強かった。
あれだけきっちりお別れして、完全にケリがついたはずだった。
会えるわけないはずなのに。


ええと、まず古代エジプトの死生観について。
これは原作で言っていることですが、「死んだ人間の魂は冥界に行く」という考えがエジプトにはあるようです。

{A9290C2A-6DC4-4E1B-8230-EAA1962420BC}
(遊闘13より)

{25C713A7-E812-4ABB-8CFC-B31EF379D312}
(遊闘132より)

成仏するとかではなく、
魂は永遠のものという考え方。
(実際、冥界の扉が開かれて、ペガサスは死んだはずのシンディアと会ってる)

つまり、冥界という異なる次元において、アテムの魂は存在し続けている。


私の考えとしては、何か依り代とか引き金のようなものがあれば魂がこちら側に来られるのかな?と思いました。


《城之内くんの場合》

ラストシーンで「実は俺も会ったんだぜ」と言っていることから、あれは幻などではなく、本当にアテムが城之内くんに会いに来たと考えてます。

これは映画公開してすぐにファンに言及されていたことですが、たった一人の空間に飛ばされた城之内くんが意識を失う場所は、バトルシティ編で遊戯と城之内くんの絆が深まった「あの時計」の近く。
しかも時計の表示は9時。
バトルシティ開催の時間と一致します。
この一連のシーン、観れば観るほど明らかに意図的に時計を画面に映りこませているとしか思えない。
関係ない訳はないと思います。

で、私としては「遊戯と杏子と本田くんもあの時間、時計の場所に偶然来た」というのが最後の引き金になっていたらいいなーと。
あの4人、いえ5人は「ピースの輪」のメンバーだから。

"これから卒業とかして
バラバラになって
一人になってつらい時があったら…
このピースの輪を
思い出すの!
今この場所で
仲間がこーして
一緒にいたってことを
思い出して!
すぐにこのマジックのインク
なんて消えちゃうけど………
私達の心の中で
この輪はけっして
消えることはないわ!"
ー遊闘33より

杏子のこのシーン本当に好きなんですよね。
これのお陰でDEATH-Tでは海馬にも勝てちゃうんですから、結束の力は偉大。


じゃあ遊戯たちがあの場所に来なかったらアテムも来れなかったのかという話になりそうだけど、そこはほらお互い引き合ってるのが遊戯たちだから…。
ご都合展開上等!
これが友情教だ!


ちなみに原作を読み返してて、路馬戦の城之内くんのセリフに震えたことをここに記しておきます。

"オレは………
未来なんざわからねえ!
たとえば この通りを
歩いて行って
街角を曲がれば
また別の街の景色が
広がるだろう…
そこには知らねぇババアが
ガキをかかえて
買い物をしてるかも知れない…
その程度未来(さき)のことしか
オレにはわかんねえさ!
でもな!
こんなオレにも
街のどこかで
待っててくれる奴がいる!
オレが進む先にきっと
そいつと闘う
場所がある!!
必ず!!"
ー遊闘157より

劇場版の展開と一致してるのよ…。



《遊戯の場合》

これは言わずもがな、遊戯が千年パズルを完成させて首にかけているということが依り代になってるのでは。
やっぱり王の魂を身体に呼べるのは遊戯だけだと思うから。

そして、社長と恐らくは城之内くんも、アテムの存在を信じて(「認識して」)いた。
ここでプラナの集合意識論が意味を持つと思うんです。
人間は、互いに繋がっていなければ存在できない。
社長と城之内くんがそう「認識した」ことが、アテムの降臨という結果の収束に繋がっているのではと。


更にもう一つ…これはかなりこじ付けかもしれないんですけど。
「遊戯が頭に付けているデュエルリンクスの装置が吹っ飛んだ」ことが最後の引き金だったりして。
直前のラスボス藍神の攻撃で、遊戯の頭から装置が吹っ飛んでるんですよ。

海馬の例でも分かるように、デュエルリンクスには人間の自我を増幅させる(「認識力」を高める)効果があります。

遊戯はずっと、アテムが助けに来ることなんて信じてなかったと私は思っています。
それほど覚悟を持ってアテムを冥界に送ったんだから。
社長との戦いでも再び「死者蘇生」のカードを否定することで、変わらぬ覚悟を見せてくれていたんだから。

デュエルリンクスの装置は、遊戯の「アテムは復活しない」という認識を高めていた。
それがアテム降臨を邪魔していたとしたら。

装置が飛んで、遊戯の意識も朦朧としている状態。
まっさらな状態。

別のシーンでラスボス藍神は「純粋だ…真っ白で互いの意識も繋がって…」というセリフを言っています。
プラナのような純粋な意識は、繋がりを持ちやすい。
(城之内くんの時も、アテムが現れたのは意識が消えかけた時でした)


ここまでの条件が揃った奇跡的な状況で、ようやくようやくアテムが来られたのかなと思います。



【4.遊戯とアテムは何を話したか】


観た人の解釈に委ねるところだとは思います。
まあ何を話しててもいいと思うんですが。

最後にアテムは「千年パズルは自分が持っていく」と言ったんだろうなと。
それで遊戯は少し困った顔をして頷く。
アテムは一瞬ためらってから、手をパズルにかけて、次の瞬間消えてしまうと。

またお別れを経験することになるとはなあ…
しかも今度こそ千年パズルは無くなってしまった…。
(最後のシーンでアテムが首から下げているのがそれだと思ってます)


でも、このシーンで遊戯が晴れ晴れとした顔をしていて良かったです。
もっとアテムの復活に驚くかとも思いましたけど、たぶんアテムが自分の体に乗り移っていた時に意識があって(2人の体が重なってたし)、いろいろ理解したのかも。

いやー本当にちょっとやそっとじゃ動揺しなくなったね遊戯。



【5.海馬は帰ってこられるのか】


最後のあれです。
いやーこれこそ観た人の解釈次第なのかな。和希先生は答え用意してるんだろうか^^;
だから考察というより感想になりますが。

とりあえず、社長は冥界に行くことを成功させていました。
今度は「デュエルディメンションシステム」ですって…この人ほんと闇のゲーム経験するたびに新しいシステム開発するな!

ジャンプの読み切りでも、デュエルリンクスを使って次元移動しようとしてましたね。
その時は脳に危険な影響があるとかで、中断されてました。

今度は藍神くんのキューブがあるから、きっとそれを徹底的に解明して、安全に次元移動できるシステムを作ったと思いたい。
簡単には無理かもしれないけど、帰ってこられることを信じてます。


でもこれでもし、冥界に自由に行けることになったらどうなるんだろう?
新たなデュエルの幕開けどころか、革命的ってレベルじゃない発明ですけど。
できない、とは言い切れない…社長なら…。



【6.シャーディーとは一体何だったのか】


映画では、「次元を旅する者」と名乗っていました。
千年アイテムを揃えて王の魂を冥界に送り、プラナ達を高次の世界に導こうとしていたことまでは分かるんですが…果たしてシャーディーの望んだ世界は、藍神くん達がやっていた乱暴なやり方の先にあるものだったのかなあ。

それに、死んでしまった後も遊戯達の前に現れてるし。(原作)
そんなことができるなら藍神くん達の前にも現れてあげればいいのに。

まあでも普通に考えれば、「藍神くん達を導いたシャーディー」と「遊戯達の前に現れたシャーディー」は別の存在だというのが自然でしょうか。

本体である「シャーディー・シン」はバクラによって殺されてしまったけれど、千年アイテムを守り揃えるという使命感だけで魂の一部が復活したとか。
言わば「魂を分けたもう一人のシャーディー」みたいな…。
全ては千年アイテムを揃える使命のために。
もしかしたら、シャーディーっていっぱいいるのかもしれないし。

シャーディーの謎は結局難しい問題ですね。
もう何度か原作を読み返したら、また新しい考えが生まれるかもしれないんですけど。



【7.この映画のテーマ】


ズバリ、「魂の解放」だと思ってます。
劇中で社長が演説していましたね。

「この次世代デュエルディスクによって魂は解放される!
我らは牢獄から抜け出し、世界のネットワークで共存する時代を迎えた!
国境、人種、思想、言語!
あらゆる異なるものを超え、新たな未来へ突き進むのだ!」

ここの演説、サイコーに好きです。

『魂の牢獄』という言葉は遊戯王を読んでいれば心当たりのある言葉ですよね。
人の魂というものは原作で、さんざん物に閉じ込められたりしていました。
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(遊闘108より)

そして古代編でも、人間の体とは魂を入れる器であると言われていました。

その考えが、海馬の演説によって吹き飛ばされた。
魂は解放されて、私たちは世界のネットワークで共存するんですって。
なんてスッとする発言なんでしょう。
私たちが今生きている現代と映画の内容がリンクしていて、これが2016年に公開されることに深い意味を感じました。
これは和希先生の現代観でもあるんだと思えて、それを知ることができてすごく嬉しかったです。


同時に、この映画では何人か「囚われていた人達」が解放されています。

藍神くんやプラナはシャーディーの教えに囚われていたけど、王(アテム)が一瞬復活したために力を失って高次の世界に行けなくなったことで、使命に縛られない自分だけの未来を手に入れた。
(あんなに千年アイテムグッズを身につけてシン様リスペクトをアピールしていた藍神くんが、ラストでは装飾を外してることに感動した)

海馬はアテムの亡霊に囚われていたけど、デュエルディメンションシステムによってついにアテムに会えた。
(魂は肉体を抜け出して、冥界へと解放された)

遊戯はアテムがいなくなった悲しみがまだ心のどこかにあったけど、アテムとちゃんと友情で繋がっていると知ることができた。

そしてアテムは、ほんの一時ではあるけど、冥界から魂が解放されて現世に来られた。
もしかしたらこれからもっと自由に冥界と現世を行き来できる未来もありえる…かもしれない。
この世にはいろんな可能性がある。
(ラストシーンはそういう解釈もできると思いました)


なんていい話なんだ!!!
最高です。

以上、映画を観て自分が疑問に思ったところに自分なりに出した答えです。



続きます。次は感想編。


2015年10月から半年間楽しませてくれたアニメが終わってしまいました。


なんだかもう…本当に好きな作品になったので、あれやこれやを語りたい気持ちが溢れまして書いてしまいました。
長文です。
そして25話までのネタバレを含みますので見ていない方は各自対処をお願いします。自己責任で。




見始めた当初はここまで人気が出るとは思っていませんでした。
最初から(初回放送当日の、都内で六つ子を探せ企画から)追っていて良かったなーと思います。
放送後、ほんとに沢山の反響や二次創作や闇考察があったので、それらを目にした後だったら本編にフィルターがかかっていたかも。
けっこう流されやすいので。



そしてまさかここまで沼に落ちるとは思いませんでした。
もともと何も考えず見られるギャグ作品は好きなんですけど、下ネタとかは苦手で、しかも美少女キャラが沢山出ないとあんまり見る気にならなかったりしてたんです。

実際、3話のデカパンマンや銭湯クイズなんかはドン引きでした(笑)
でも不思議なもので、ドン引きした後に「まあもう一回見るか」ってなって、そのうち慣れてくるんですよ…!
恐るべし!


あと私、ギャグはギャグでもキャラが酷い目にあったり簡単に血が出たりするのは苦手だったんですけど(『ドクロちゃん』みたいな)、これまた不思議なもので、5話のカラ松が鈍器を投げつけられるシーンは怖さよりも面白さが勝っていました。
今では死にまくってるおそ松キャラを見て指差して笑えるレベル。

おかしい。
私はこんなに悪い子(そんな歳じゃないけど)じゃなかったはず。
『おそ松さん』の六つ子たちは視聴者をまんまと唆して悪い子にしてしまうのかと思うほど、不思議なパワーを持っていました。



それにしても、久々にアニメ作品を単体で好きになりました。
(原作が好きだから、とかではなくってことね)
(赤塚先生は偉大な方ですが、ここではあえて『おそ松さん』だけの話をさせてください)
語りたくて仕方ないので、ちょっとこの場でお気に入り話の表彰式をしたいと思います!


★以前このブログを読んだことのある方は分かるかもしれませんが、超個人的に好きな回を語るコーナー(?)です。


それでは行きます!




《抱腹絶倒賞》


【18話・逆襲のイヤミ】
【10話・イヤミチビ太のレンタル彼女】

例えではなく本当に、10秒ごとに笑いが襲ってきました。シーンが変わるたびに、会話をするたびに全部面白い。
ギャグアニメとしてこれ以上ない評価を捧げたいです。
それでいて限られた尺の中で全てのキャラを輝かせているのは本当にすごかった。
神回です。




《もう普通に好きー!賞》


笑えるんだけどそれ以上に、この話めっちゃ好き…ってやつです。そのまんま。


【19話・チョロ松ライジング】

自意識ライジングという名言を生み出した回。
キャラの自意識が形になるという発想に感服。一人一人を知り尽くしていなければこんな話は書けません。
六つ子って顔が同じだけど、作り手がちゃんと一人一人を別の人間として見てるのが分かって大好きなんです。


【17話・十四松まつり】

楽しいショートストーリーの詰め合わせだけでも満足感は高いんですけど、その中に『十四松と概念』というシュールな話を持ってきたのが素敵なアクセント。
どこか切ないような、でも気持ちいい余韻が残る話でした。


【23話・灯油】

六つ子が脳内で会話するのが面白かった話。ほんとこいつらヒマだなー!
それぞれの悪~い顔が存分に見られて楽しかったんですけど、一番悪い顔をしてたのがいつも笑顔のはずの十四松というのが…23話まで来てまだメインキャラの新たな一面が見られる驚き。素晴らしい。




《演出賞》


【7話・トド松と5人の悪魔】
【15話・面接】

二本とも長屋誠志郎さんの演出回です。
7話はおそ松さんを知らない人にまで知れ渡ったであろう『トッティのあの顔』の回。
もちろん描いたアニメーターさんもすごいけど、15話も顔芸が相当豊富なんですよ。これは『トッティのあの顔』に関しても、絵コンテ・演出の長屋さんの力が大きいと見ました。

加えてこの二本、テンポがめちゃくちゃ良い。会話のタイミングも無駄がなくて何度でも繰り返し見られます。
『面接』はぶっちゃけ話としてはそんなに面白いわけではないなーと思ってるんですが、タイミングと見せ方が上手くて終始笑いまくってましたw 本当に芸人のコントみたい、雰囲気で笑わせる感じ。演出の勝利です。




《構成賞》


【13話・実松さん/じょし松さん/事故?】

これはリアルタイム視聴ならではのサプライズ回でした。
新年一発目の放送、しかも1/4(月)の仕事始めの夜。
全然違う番組『実松さん』から始まって「???」となって、CM明けてようやくおそ松さんが始まるかと思いきや『じょし松さん』で、またCM明けて今度こそおそ松さんだ!と思ったらまさかのシコ松さんで、そこから新しいOPに入って…という、視聴者の「こう来るだろう」をことごとく覆された回でした。ひどかった(褒め言葉)
予想の斜め上のものを見せられる気持ち良さみたいなものを感じたのでした。こうしてどんどん調教されていく…。




《演技賞》


【5話・カラ松事変】

いつもカッコつけているカラ松が、素になると弱々しい声を出すのが面白いんですよね。これは中村悠一さんの絶妙な演技ゆえのものだと思います。
それを決定付けたのが5話の号泣シーン。
「俺も梨食べたかった~!」ってあれ絶対アドリブだと思ってるんですが違うかなw
脚本の松原さんも中村さんの演技がお気に入りだとインタビューで答えてましたし、カラ松が中村さんで良かったなあ…と思うのでした。


【14話・チョロ松先生】

これよく笑わずにやれたなと思うんですがww 無理です絶対笑っちゃう。
個人的に、キャラ崩壊するくらいまで叫びまくるギャグ演技がすごく好きなんです…たぶん『瀬戸の花嫁』の影響^^;
何度見ても「ヤーーキソバーーーッッ!!!」までで腹筋が5回くらい死にます。




《作画賞》


【18話・逆襲のイヤミ】

話の内容もさることながら、劇場版かと思うくらいの作画クオリティだった18話。
原子破壊光線のあたりの動画枚数が恐ろしい…。
おそ松vsイヤミのバトルも板野サーカスやら何やらすごかった。
あと個人的に好きなのは、序盤のチビ太の大爆発の作画(トト子ちゃんにやられた後)。お見事。


【25話・おそまつさんでした】

さすが最終回、これまでの総力を挙げて頑張ってましたね…!
イヤミがビームでやられる所と、ラストの六つ子が力を合わせる所の作画はもう、たまりませんでした。
あ、でも折角なので惜しかった所も言うと…Aパートの十四松のホームラン、もうちょい迫力欲しかった。(愛ゆえのダメ出しです)トリプルアクションは良かっただけに!


【5話・エスパーニャンコ】

数々の女性ファンを落としたらしい5話。この作画ほんと好きです。
『おそ松さん』ってあんなひどい内容なのになんで女性ファンが大勢つくんだよwって今でも納得しきれてない部分があるんですが、『エスパーニャンコ』のハートフルな内容とぷにぷに可愛い作画なら目が眩んでも仕方ないのかも…なんて思ったり。
全体的に安定していて良かったですし、十四松の「寂しそうな笑顔」が最高でした。




《脚本賞》


【16話・一松事変】

最初に言っておきますと、私は『おそ松さん』に関して、脚本が本当に素晴らしいと思っています。
何てことない会話をハイパー面白くできるってそれなんて天才?
そんな会話劇の代表格だと個人的に思っているのが16話です。巷ではBLギャグとして騒がれてますけど、そういうネタを抜きにしてもめちゃくちゃ自然な流れの勘違いコントで、無駄のなさにため息が出るほど。
加えて「俺はもうカラ松ボーイズだよォーーーッ!!!」などの名言もぶっ込んできますし…どうしてこんなに印象深いセリフがポンポン出てくるのか。職人技です。

余談ですが、16話を見た後はしばらく同人活動(拙いながら文章書いております)ができなくなりました…こんな面白い話見た後に何も書けないー!って^^;



さてさて…こんな感じで語って来ましたが、あともう一つやっちゃいたいと思います。
お約束(?)の…




《がっかり賞》


【25話・おそまつさんでした】

お前だお前!25話コラ!!
なーに当たり前のように視聴者置いてけぼりにしてんの~!? しかもオールキャラとかやってるけど18話と違って全キャラの扱いがめっちゃ雑ってどゆこと!? 全員大した活躍もなく死んだんですけど!?

…とまあ、最高にがっかりENDなのが25話のいいところ

いやー24話は絶対振りだと思った。だって六つ子が就職とかないないwwクソニートだものww って思ってました。
まあ…簡単に笑い飛ばせない説得力のようなものが24話にあったのは事実ですけどね。やりすぎなくらいガチなシリアスでした。
でも絶対最後は24話を真に受けたファンたちに冷水ぶっかけてくると思ってました。
(やたら美化された二次創作やら考えすぎな考察やらを揶揄って「んなわけねーだろヴァーカ!」って言ってるのかとすら思った。これも考えすぎかもしれないけどw)


結局25話はあんな不条理ギャグで。
これだけ注目された『おそ松さん』は、視聴者に理解する暇も与えず盛大に振り回して終わり。
ぶっちゃけ25話より面白い回はこれまでの話数で山ほどあります。
でもファンが皆で振り回されてる姿は最高にお祭り感あって、楽しかった。

そう、今までずっと『おそ松さん』に振り回されるのが楽しかったんです。
全く思い通りに動かないキャラ達を見てどうしようもねーなこいつら、ってなるのが楽しかった。
だから25話は『おそ松さん』のままでいてくれて良かった。
伏線回収しきって誰もが神回だと認めるラストもいいけど、あいつらに神アニメの称号はもったいない。まだ早いよ。まだまだこれからもっと面白い話を見せてくれることを期待しています。



六つ子たちは最後までカッコいい所もなく、ダメっぷりをさらけ出しながら負けました。
ここまでダメな部分を六人分も描けるのは本当にすごいことだと思います。
普通は良い部分を見せるものですからね。

でもそういう所がこのアニメの魅力なんだと思います。
六つ子たちってすごく人間くさいんですよね…言い分がコロコロ変わったり都合の悪いことはあっさり忘れたり。

人間って根っこは変わらないかもしれないけど、日々変化していく柔軟性がある。
そういうのを描いてくれてたのが良かった。
24話のあと「これで六つ子も就職か…」って寂しそうなファンの感想をちらほら見かけましたが、就職って別にゴールじゃないですからね。転職なんて今どき珍しくないし、一か所にとどまるとは限らない。
辞めようと思えば辞めるのなんて簡単なんだって、真面目に考えすぎてしまう時に世界を広げてくれるのがこのアニメでした。



ここまで書いて、本当にこの年齢(社会人○年目)で『おそ松さん』を見られて良かったー!とつくづく思いました!
私が学生の時、最初に言ったように下ネタやグロギャグは苦手だったので、むしろ嫌いになっていたかも。

あと、昔は「自分の意見が変わること」が怖いと思っていました。今までの自分と違う存在になってしまうんじゃないかって。
変化を受け入れられるようになったのは大人になってからです。
だからコロコロ変わる六つ子のキャラ(本当は一貫してるんだけどね)についていけなかったかもしれません。

それから…学生だったら、20代前半ニートって響きに憧れちゃってたかも(笑)ちょっとカッコいいなとか。
いや夢見るのは楽しいことだと思いますが、『おそ松さん』は公式そのまんまを美味しくいただける作品だと思ってますから。調味料をいれないのが一番美味しいいただき方です、個人的には。

奴ら底辺クズニートを面白く見守ってきた半年間、本当に楽しかったです。
これからも好きでいると思います。




以上、長々とした語りにお付き合いいただきありがとうございました!
真面目な感じで話しちゃって少し恥ずかしいですが、吐き出せてスッキリ。
共感できたよって方がもしいたら一緒に飲んで麻雀しましょうw

そしてまた、この愛すべきクソアニメに会えると信じてますよ!



その時は監督とシリーズ構成とキャラデは絶ッッッ対変えちゃダメ。