最近、お互いの過去ブログにコメント、レス(リプ)しあっている、ポピーさん。
(お世話になっています<(_ _)>)
交流は楽しい、というか、当時の気持ちや考えを改めて現在の自分に対照して、気持ちが整理されたり、新たな気づきがあったりする。とても有り難い。
(わたしの過去ログはアメンバー限定記事だが、コメント欄は、より飾り気のない本音やネタバレなどが散りばめられていることが多い。)
本日の記事も、コメントでお伝えしようかと思った内容だが、ちょっと気が向いたので記事にしてみる。
「時薬」ということば。これは、過去の事実の受け止めに対する自らの姿勢によって、その意味も効果も変わってくる。
分かりやすく言えば、子の自死をずっと背負っていきたいのか、その重さからラクになりたいのか、ということ。両方の思いがあって当然だし、ということは二分法で割り切れない、スペクトラムの中での位置という話になる。
悲しみに慣れる、疲れる、飽きる。これは、ラクになりたい心理ベクトルの所業だろう。
自分が残された生を謳歌することが供養。これは、ちょっと開き直りのご都合主義にも見えるが、実際は、そのような「立ち直り」方をしている方も多いし、わたしはそれで良いんじゃないかと思う。
六年経った今のわたしの六割くらいか。徐々に増えている。
いつまでも悲嘆にくれ、ぼろぼろに傷ついたまま、自分が立ち直るのは、この世の楽しみを謳歌できない子がかわいそうという感覚は、わたしの場合は三回忌過ぎくらいから徐々に薄れた。これを「時薬」というなら、そうかもしれない。
わが子の苦しみに共鳴し、共有し、いつまでも喪に服していたいという情もある。親としてかなしみ苦しみ続けることで、親子の絆を確かめ続けたいという悲痛な思い。今のわたしの四割くらいだろうか。徐々に減っている。
喪失体験は、たとえば腕が無くなっても生えてくる人間なんていないのと同じで、いつまでも立ち直れない方に対しては、わたしは黙って寄り添うことくらいしかできないし、亡き子を想い続ける親の情が、見かけとしては何の生産的活動につながらなくても、責められるべきものではない。
子を喪うことは、半身を削がれたのと同じである。ハンザキ(半分に裂かれても生きてる)と呼ばれるオオサンショウウオや、プラナリア(百に切り刻まれても百の生命体として分裂する)のごとき生命力は、人間の証ではない。
以上が長い前置き。
(自死遺族の自由な余生というテーマは、さらに長くなるので、またいずれ。)
心の傷は、時間が経つと乾いてかさぶたになる。時間というのは、早い人で一年。わたしで三年くらい。長い人だと、十年経って全然癒えていない方も知っている。平均などは意味がない。
かさぶたは、外からの刺激には比較的強い。ただ、柔軟性はない。
でも、それは傷が治ったことではない。
新しい、柔軟性のある皮膚がちゃんとできて、かさぶたが自然にはがれれば、ほぼ治ったといえる。新しい皮膚はデリケートだけれど。レジリエンスに基づく可塑性は、程度の違いはあれ、生きている人は誰でも持っている。
たまに強い外的衝撃が加わって、かさぶたがはがれて、また血が流れることもある。
子どもの頃は、わざとかさぶたをはがして、後悔したことも何度かある。
そこで、湿潤絆創膏である。(すみません、正式名称知りません💦)
傷口から流れ出る血やリンパ液を消毒したり乾かしたりすることなく、湿った状態でそっと包んで、そのままにしておくこと。
これが一番早く、きれいに傷が治る。かさぶたを作らない方が、治りが早いのである。
絆創膏が受け止め切れずにあふれ出てくる時は、傷の周囲のモロモロをきれいに拭って、絆創膏を交換する。
わかちあいの会で、何も建設的意見など出なくても、お互い辛い痛みを抱えながら、寄り添いあっている姿が、この「治す力」にだぶって見えたという話。
遺族にとってメンタルは、意識的に鍛えるべきものではないと思う。