ヒメヒオウギ

 うちの庭には、二羽鶏・・・は居なくて、

 五月に咲く花が少ないので、

 姫檜扇(雑草)が咲くと、五月がきたな、という実感がある。

 

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 わたしは、信号の無い(一時停止線もない)ブラインド交差点を自転車で直進する際は、

①左方を視認&右方を聴覚で確認してから、

②右方を視認&左方を聴覚で確認、して交差点に進入する習慣がついている。

 

 さっき、そのような場面で、左方からエンジン音でもなく微妙な違和感がして若干減速したところ、わたしから見て左方から、

「道路の右側を走行する電動アシスト自転車」が直進し交差点に進入してきた。

 推定時速24キロ(日本の電チャリは時速25キロでアシストがカットされるので、下りでない限り、それ以上の速度で走っている人は居ないと考えて良い。)秒速約6メートルである。

 

 道路幅などから判断して、明らかにわたしの進路が優先である。

 ついでながら、徐行の法的意味は当然分かっている。わたしの解釈では、「衝突を回避できる速度」=ぶつからなければ良い速度のこと。なぜならば、こちらが交差点内で急停車したら、相手からぶつかってくるおそれが大きいからである。こちらとすれば、急制動するよりも、交差点内で0.5秒ほど加速すれば衝突を避けることができる。ぶつかった後で「あんたの過失の方が大きい!」と非難し論破したところで、それはお互い嫌な思いをするだけだから。

 

 上記の「微妙な違和感」は、電チャリのモーター音であった。

 最近はEVの回生ブレーキ音(クィーンともヒュウ~とも聞こえる)に注意するようになったが、静かすぎるのも安全上問題かなと思う。

 以前ホンダが、レジェンドだったかEVのアクセルに呼応して、エンジン音ぽい音をわざと付加することをやったのが、自動車評論家には好評だったのだけど、今はどうなんだろう。

 

 まあ、こんなことでいちいち腹を立てていたら、心のエネルギーを消耗するだけなので、無視してスルーが正解である。

 警察が本気で自転車事故を減らしたいなら、自転車の右側走行を片っ端から取り締まり、広報に指示して(すべての役所とマスコミは定期的に情報・意見交換をしている。)毎日朝夕のニュースで流せばいい。

 今や、地上波の視聴者の大部分は老人だしね。オールドメディアってのは主にオールド人が利用するメディアという理解で間違いない。

 

 分かっているはずなのに、それをしないのは、それなりの理由(原発推進みたいに)があるからだ。

 わたしはかれこれ50年以上、この世界が早く滅びることを願い続けている。

 

 先日友人に愚痴ったが、自転車に乗った老人が、後方安全確認をしないまま、いきなり右手を右方へ突き出すと同時に、道路をななめ右方向へ漫然と進行(たぶん、その先の交差点で右折したかったのだと思う)するので、老人の右側から追い越しをかけている最中のわたしにぶつかりそうになったことが2度続いた。(もちろん別々の老人)

 

 まあ、老人側の言い分を推測すれば、目視で後方を確認するのは首が回らないとか、そんなことをしたらよろけて落車転倒するので、手信号を出したから免責というつもりなのだろう。

 

 何度でも何十回でも言うが、自転車は基本的に車道を左側走行である。

「自転車で右側走行はあぶない!」

 

 四月からの自転車青切符については、もう話題にすらならない。疋田智氏が苦笑しつつ予想していたとおり、スマホ運転と信号無視くらいしか反則切符を切られることは無い。

  それも一度は注意警告されるので、それに素直に従っていれば、切符は切られない。要するに、従前とほとんど何も変わっていないということである。

 

 上記で老人老人と書いて申し訳ない。1960年の日本では、男性の平均寿命が63歳だったので、わたしはその年齢を超えてしまった。余生(おまけの人生)という自覚はずっとある。

 

 ついでに、野球のピッチャーがマウンドに置いて時々触っている、白い粉の吹き出るロージンバッグは、老人とは無関係w。Rosinは、松脂から精製する滑り止めの粉。

 

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 マスメディアが流し続ける日々のニュースは、ほぼすべてが「消耗品」である。

 わたしは「悪い人や変な人に寄り添って、何で悪いことや変なことになったのか?を明らかにする」仕事を長年やってきたので、SNSで垂れ流しにされる(選挙などでは世論操作に利用される)大衆心理には興味がない。「こいつは悪い、許せない!」といった単純な感情に支配されてしまうと、事件が起きたメカニズムの解明及び、事後の対策が適切に立てられないからである。

 

 最近のことで具体的に言えば、

・義理の息子を死体遺棄した事件について、容疑者と息子の実母たちは、どういったプランを持って結婚したのか? 当初のプランがうまくいかなかった期間、どのような試行錯誤や修正をこころみたのか?

 

・不同意性交(以前は準強姦と呼んだ)の元検事正の事件について、被告は、こんなことをやってバレたら(バレるに決まってるやんけ)自分のキャリアと余生が台無しになることくらい、酔っぱらってても十分すぎるほど分かっているはずなのに、何か深層心理で自分の人生を(他人を道連れにして)壊したかった衝動でもあるのか?

 あるいは、自身のキャリアが順調すぎて、全能感に支配され、危機管理の嗅覚がマヒしていたのか? それなら余罪もありそうである。

 

 検察官って、仕事では事件の余罪送致の予定とか、事務的な用事で電話するくらい(ほとんどは副検事が対応)で、個人的に会ってしゃべったことはほぼ無い。

 検察庁の空気感について「あそこはちょっと・・・」と酒の席で裁判官がことばを濁していたことを思い出したが、前後の文脈を覚えていない。多分裁判所よりも封建的なんだと思う。裁判所だってたいがい封建的だが。裁判官はどこから見ても切り取っても「殿様」だし。

 

 ここで意識が飛んで、「警察組織が腐敗している国って多いんだろうか?」と気になったので、ちょっと検索してみた。タイに長年住んでいる人がnoteに長文を書いていたのが面白かった。

 日本の警察には多分、わいろという習慣は無いだけマシと思うべきなんだろうか。

 

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 古代ギリシャの頃から、散歩しながら思索をめぐらすのは王道である。逍遥派と呼ばれた。

 昨日から漠然と考えていたのは、

 

 「生きる目的が幸せの追求という姿勢は間違いではない。わたしは長男のことで長い期間苦労してきたけれど、方法論や方向性に間違いも多々あったけれど、それらはすべて長男に幸せになってほしいという思いの結果だということに変わりはない。ひとの幸せのために頑張ってきた自分の時間は、幸せだったと言っていい。」

 

 哲学者のウィトゲンシュタインは亡くなる前日に、自分の人生は幸せだったと言い残し、友人らに感謝を伝えた。他人から見れば、この人生のどこが幸せやねん!?とツッコみたくなるが、本人が最期にそう言ったのだから、それが正解なんだろう。

 

 ひとは幸せになるために生まれてきた、そんなことを言う人もいる。以前からすごく反発したくなるようなことばだけれど、「幸せ」の定義次第では間違いとは言えない。

 

 わたしが今思っているのは、「ひとは他者の存在が無ければ幸せになることは難しい」ということ。他者は自分を傷つける存在にもなるから、歳を取るとつい、人との関わりが少なくなる。

 それでも、ひとの幸せのためなら自分は今頑張れる、ということも実際にあるので、隠居の身分でもやれることはあるだろう。

 

 日曜は憲法記念日なので、憲法のことを考えるかと言われれば、一切そんなことはない。(吟行なので、俳句のことは予習済。)

 ケンポウ・・・中国武術のことを中国拳法と呼ぶ人が多いのは困ったものだが、中国語ではなくてオムライスみたいな和製語だと思ったら腹も立たない。

 

 四月から離婚したら原則的?に共同親権になった。これに関して関心はあるのだけれど、現場(裁判所内部)の本音や事件処理の実情が分からないので(同期に聞けばある程度は分かるが)、無責任なコメントは差し控えます。

 

 

 とりあえず、午後は少しだけ集中して作業してみます。

 東京でお逢いしましょう。

 

・・・・・・・・・・・おまけ

 

 俳句仲間からLINEが来て、「こんど実施されるオンライン絵画鑑賞に参加してもらえませんか?」

 ????????何それ

 

 どうやら、内閣府のお墨付きももらっている、「アートリップ」というものらしい。

 まったく知らなかったが、後で調べたら、その俳句仲間は、その組織で公認エデュケーターをやっているようだ。

 その資格を取得するにも、結構な費用がかかる。

 わたしなら、その時点で「アヤシイ・・・」と疑ってしまう。

 公式HPに、大学教授やら医師やらのコメント、内閣府公認など権威主義のPR、参加者たちの無批判感謝のコメントが並ぶのを見ると、なおさらアヤシイ・・・と思ってしまう。アメリカ発祥というのも、個人的にマイナスポイント。

 

 そのアートリップとは、絵画を数名で鑑賞し感想や連想を言語化することで、認知症の軽減などに寄与する(もちろん治療行為ではない)という。美術館など現地で行ったり、Zoomで実施したりする。

 なんと参加費用が1時間3,500円と明記されていた。

 これ、初回は口コミや人づてで参加者を集めて無料で実施し、その後は・・・というパターンじゃねえの???と疑ってしまう。

 

 俳句をやる人は、大雑把に分類すれば善人がほとんどだが、素性のよく分からない、というか、俳句以外の仕事やプライベートには互いに干渉せず無関心、ということがほとんどなので、ほいほい首を突っ込むのはどうかと、今も思う。

 

 ほかに、絵画をパソコン画面で鑑賞しても、質感が伝わらないのと、心理テストオタク(とまでは言わないが、その気はある)のわたしにとって、絵画の鑑賞を言語化して鑑賞者の内面を引き出すという手法は、わたしがかつて好きで研究会にも通っていたTAT(Thematic Apperception Test 主題統覚検査)と共通するので、分析もせず結論も出さずに語りっぱなしで終わるなんてやり方は、単純につまらない。

 

 TATは投影法による心理分析でもあり、同時に治療プロセスでもある。何ケース実施したか覚えていないが、千まではいかないけれど、何百人かには実施して所見を書いたと思う。当たり前だが、被検査者から費用は徴収しない。テスト所見を書いても、それでわたしの給料が増えるわけでもない。

 

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与太話

 

 俳句の兼題で「五」が出たので、普通に考えれば五月(さつき)とか五月雨とかになるのだろうが、地名を探すのが常道のひとつ。東京なら五反田がまず浮かんだので、昔(昭和の終り頃)の猥雑な雰囲気あふれる東口のイメージが、今はどうなっているのか気にはなる。

 

 ネットで見たら、不動産屋のブログ記事で「五反田の治安は都内でも良い方」とか書かれていて失笑してしまった。いや、最近足を向けていないので本当のところは分からないから笑ってはいけないのだが。

 

 記事の根拠としては、区ごとの犯罪検挙件数を上げていて、品川区の犯罪検挙件数は、統計的には多くない。これは間違いではない。

 ただ、検挙件数と体感治安は必ずしも一致しない。なぜそうなのか?

 

 警察は、行政機関だからである。

 行政機関ということは、監督省庁の方針次第でいかようにもその機能と実績が変わる。

 極端な表現をすれば、反社組織が牛耳っているエリアでは、わざわざ警察が取り締まらなくても、大きな暴動などは起きない。その一方で、小さなトラブルは警察沙汰にはなりにくい。結果として、「治安の良くない地域の犯罪発生件数は少ない」という事態が生じる。

 反則切符の検挙ノルマなど、警察は口が裂けても有るとは認めないが、そんなことは誰でも分かっている。・・・まあ、行政機関とはそういうものである。

 

 で、五反田。俳句さえ作らないのなら、わざわざ行きたいと思うような街ではない。品川の水族館は去年行ったし・・・。ソニーの発祥地ですか、ああそうですか。「ねむの木の庭」これは、行ってみてもいいかも。

 

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山田風太郎「人間臨終図鑑Ⅱ」より、65歳で死んだ人々(抄)

 

バッハ;脳卒中。2度の結婚で20人の子に恵まれた。脳卒中で死亡。名声が世に認められるまでに、死後一世紀を要した。

 

ドラクロア;結核。才能は早くから認められ、多作であったものの、アカデミーサロンに当選するまで22年を要した。

 

マルクス;肋膜炎。妻の病死を経て資本論第2巻の執筆中であった。

 

九代目市川團十郎;喘息による肺炎。富と名声を得た晩年であった。

 

ディズニー;肺がん。富も名声も得ていたが、本人の遺志により家族葬。

 

 ・・・・・さすがに、65歳まで生きたら、病死ばっかりだな。循環器系と、呼吸器系と、ガンか。まあ、その通りだな。自分の死を考えたら、死んだ後のことはどうでもいいんだけれど、

死ぬ直前の痛みや苦しみが、やっぱり嫌だな。生き続ける痛みや苦しみが極大化して、もうこれ以上は我慢できない!解放してくれ!!となった時に初めて死ぬことができるんだろうか。

 

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 今日の阪神タイガース。髙橋遥人くんが、タイガースで60年ぶりに、3試合連続完封。ということは、村山、小山、江夏なんかと並ぶ大エースの域ではないか。

 そんな記録より、遥人くん(30歳だから、もう息子みたいなもの)が投げていると、涙腺が緩んで本当に泣きそうになる。本当に「頑張る」っていうのは、こういう姿なんだな、と思う。

 肩、肘、手首と5度にわたる左腕各部の手術を経て、入団後初めて、開幕から「完全体」となった遥人くん。沢村賞目指してほしい。