最初に、今のわたしは、他の自死遺族の方々の力になりたいという強い意欲が欠けていることをお詫びと共に申し上げておく。そんな元気は、(今は)ないのである。

 

 前回、高校時代の友人Hのことを書いた。

 ただ、高校2年の時期に、一番親しかったのはOである。

 家族以上に毎日何時間もしゃべっていた。俗な世間話から、「ニーチェとキルケゴール、どちらが思想的に優れているか」なんていうテーマまで。

 下校時に一緒にUFOを見て、「宇宙人に誘拐されるか、記憶を消されるか、脳に何かを埋められてしまう!」と大騒ぎしたりした。

 

 Oは、冷徹なほど合理的で、自分の目的に無縁のものは切り捨てて傷つかない奴だった。

 一方のわたしは、「無駄と寄り道こそが人生を深くする」という考えだったが、Oによれば、「それは自己弁護の甘えだ。失敗の口実を先に用意するようでは成果が出せない。」と、正論で容赦なく追い詰められた。理屈っぽさと我の強い鬱陶しさは、わたしを遥かにしのぐ。

 

 Oはブラックジャックに憧れて外科医を目指し、まずまず成績も良く、国立大の医学部に進んだが、わたしはその大学を落ちてしまったので、「お前が落ちたから、一緒に大学に行けずに困ったやないか。」と、慰めではなく理不尽に責められた。そんな奴だと知っていたから、別段気にしなかった。

 

 大学時代はたまに会って遊んでいた。有志で映画を作った際、主役のアンドロイドを演じたのはOであり、わたしはそれを造った博士役だった。優秀な非人間と、それを生み出して苦悩葛藤する人間。なんだか象徴的である。

 

 実際に博士になったのはOの方である。医学博士として、県立リハビリセンター医長に就任し、何を思ったか「ドクター辞めてプロフェッサーになるわ。」と突然宣言し、大学で精神保健福祉学の教授になった。


 社会福祉学博士号を取ってからは、医療ソーシャルワークやメンタルヘルス関連の研究論文を発表し続けている。社会的にはとても立派な、勝ち組の人生である。

 大学のホームページに載っている写真は、あまりに若々しくて、高校時代と全然変わっていない顔にびっくりする。こいつ、吸血鬼じゃないのか?

 

「言動に乖離がある場合、行動で判断すべき」というのは、真理でもあり、わたしの信条でもある。


 もうかなり前になるが、高校同窓会におけるOの行動に仰天し、失望した。日本人は酔っ払いに寛容すぎるとか自分で言っておきながら、仮に酔った上での冗談のつもりでも、それをやったらダメだろうという行動だったので、わたしは忠告を省略して心の中で別れを告げた。(ちなみにセクハラではない。)

 

 長い間、Oとは会っておらず、息子の自死も伝えていない。わたし自身が、今さらOと何か議論をしたいわけでもなく、黙って寄り添ってくれるような奴でもないからである。

 

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 自死遺族サポートの先駆者的存在である、田中幸子氏が国などに提出した要望書を読んだ。

 賃貸物件や鉄道関係の補償など、切実な問題を抱えておられる遺族もあろう。わたしなどは、まだ運が良かった。

 

 息子が「クルマに飛び込もうとしたけど、いざとなったら怖くてできなかった。」という話を、いなくなる数か月前に聞いていたし、東京の下宿で何度も手首を切っていたのも知っていたからである。


 警察官の遺族に対する暴言などは、都度申入れすることよりも、社会的な理解が深まらないと、本質は改善しない。気の遠くなる道程である。わたしがその遺族の知人であれば、署長共々呼びつけて、何時間も説教してやるが。

 

 カウンセリング料金1時間1万円ほどかかるカウンセラー(精神科医、臨床心理士、公認心理師)などは仕事を通じて何百人も関わったが、自分自身が頼りたいと思える者は一人もいなかった。

 

 特にスクールカウンセラーたちの無能さは、あきれるほどである。大抵のSCが教師から疎まれていることなど何も知らない行政は、学校で事故などあった時に安易に「心のケアを充実させる」とか言うが、量よりも質の向上に税金を使うべきであろう。

 ただ、具体的な構想はない。わたしは全国臨床心理士研修会でパネリストとしてしゃべる立場だったが、質疑のレベルの低さにはため息が出た。

 

 兵庫県内で、分かち合いの会には何度か参加したが、子がいなくなった父親にお会いすることが一度もなかったこともあり、続けて出たいとは思わなくなった。

 

 多業種間連携や社会啓蒙の情報発信の在り方など、サポート体制の整備充実の課題は山積している。

 上記Oと真摯に話し合えば、何か具体的で建設的な案が出るとは思うが、申し訳ないけれど今のわたしには、直接窓口になる気概がない。既に自分の一生分、人助けの仕事をしてきたので、疲れたのである。

 ただ、これらの問題は、今後も考え続けていこうと思う。



 わが家の庭にはびこるトケイソウ。以前は立体的な造形美が好きだったが、生命力が強すぎて、今や雑草扱いである。画像はWikipedia。


 近くにあるもの全てに巻き付き寄りかかりながら、しぶとく伸び続ける。肥料の関係で、あまり花が咲かないが、最近は放置している。


抜かれても抜かれてもまた時計草