何かを始めて、途中でやめてしまったとき。
それを、挫折と受け止めて、反発心を生きる力に変える。
やめる理由にもよるだろうが、わたし自身は、わりとそのようなスタイルだった。
かなり、過去にひきずられるタイプである💦
越えられるものは、自力で越えたい。
でも、現実には、思ったほどうまくいかないことも多く、自己肯定感はどんどん落ちていく・・・
子どもは、良くも悪くも親の気質の進化系だと思っている。
上記のような、わたしの特性、特にネガティブな面を、息子は鋭角に受け継いでいた。
中学受験に失敗したから、高校受験でリベンジしたい。
高校では、特進クラスについていけず、進学クラスに落とされ、自棄になってお笑い担当に走り、ますます勉強しなくなり、いよいよ自己嫌悪が強まる。
大学受験でリベンジしようとするが、現実を突きつけられ、どんどん志望校レベルが下がり、
高校三年から心療内科通いが始まる。
実際に進学した大学ではプライドだけが高くてなじもうとせず、孤立化する。
仮面浪人で再受験も失敗し、服薬量と飲酒量が増え、希死念慮が強まる・・・
なにか突出した才能と、それに打ち込む情熱の両方があれば、どんなに視野が狭くても、社会的に未熟でも、その専門分野で迷いなく生きていけるだろう。
囲碁棋士の依田紀基(元名人)のように、小学校時代から「この道しかない」と、退路を断つ覚悟があれば、飲む打つ買うがひどくてトップ棋士から転げ落ちても、浮気と借金から離婚して、子どもたちと会えなくなっても、芯となる生きざまはブレようがない。
ならば、際立った才能とか、ブレない目標のない、平凡な人間は、現実から取り残された(と思った)時、どうすればよいのだろう。
退路を断つ覚悟と、先ほど書いた。これは、自らそれ以外の「自由」を手放すことである。
何かを選択すれば、それに要する労力、時間、金などのために、ほかの可能性を諦めざるをえないことも多い。
ある程度の結果がついてくれば、その不自由を甘受できるだろう。多分、どんな道でも、人生を賭ける価値はある。
しかし、何かを諦めて何かを選んだ際、そこから先の結果については、すべて自己責任ということになるのか?
一緒に歩んでくれる仲間、支えてくれる家族などがいれば、かなりの苦しみにも耐えられる。
逆に言えば、21歳になって、在籍する大学にいささかも満足できず、適応もできず、病気もあって留年確定となった息子の悔しさと不安は、少なくとも友人らには受け止めきれず、家族が受け皿になってやるか、まったく別の道を示唆してやるべきだった。
幼少時から息子に期待を掛け、励ましているつもりで「やればできる」と言い続けてきたのは親のエゴである。
子どもが、少なくともわたしの息子が、わたしより強くなれるとか、できるはずとか、そう思い込みたかったのだろうが、それは間違っていた。
「やればできる」という思い込みは、呪いとなって、時に人の命を奪う。
「あきらめなければ夢は叶う」というのは、勝者だけが口にする自賛である。
さまざまな習い事とか、世界各地への旅行とか、いろいろ経験させてきたつもりでも、それは見かけだけの経験で、親のエゴ「やってる感」に過ぎず、肝心の生きる力としては定着しなかった。
なによりも罪深いのは、「自分で決めて自由にしたら良い。好きなように生きれば良い」と言いつつ、それはダブルバインドであり、「親の期待に応えられなければ、ダメ人間だ」というノンバーバルメッセージを送り続けていたことである。わたしは内心、そうだと分かっていながら改めなかった。
「自由と責任は表裏一体である」ことは、仕事のクライエントに対しても言い続けてきたことであり、今も間違っているとは思わない。
ただ、本当にやりたいことの見つからないわが子に対し、いろんな可能性を示してやることもできず、長期間(数年くらい)の休息を認めてやることもなく、自由に生きることの厳しさと愉しさを教えてやらなかったのは、ひとえに親の責任である。
こんなわたしは、“息子に代わって”余生を自由に生きるということの罪深さと責務の両方を負っている。
頑張ろうとしても頑張れない人、世間の尺度で弱いと見なされがちな人に、わたしは寄り添いたい。罪は滅ぼせなくても。
秋彼岸の時期、息子の霊園には、毎年どこからか種が散って鶏頭が伸び、忘れることなく咲く。
子の墓に牛後とならぬ鶏頭花
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