こんばんは、Restです。
先日、母方の祖母の四十九日の為帰省しました。
このご時世なので、母と俺と、母方の親戚1人と少人数で行われました。
「 お経を呼んでいる最中、お焼香をお願いします 」 と和尚様。
お経がはじまり、明らかタイミングを伺う母。
ある程度のタイミングでお焼香をし、それに続く俺と親戚の方。
鳴り物も登場しいよいよクライマックス。 ライブか。
そして和尚様が、
「 それでは、お焼香をどうぞ。 」
( ゚д゚)
結局、2度お焼香をする我々。
心の中で、
「 またお目にかかりました。娘様のおかげです。 」
と皮肉を思いながらお焼香をするという。
こういうところが俺のダメなところ。 そしてそれを書くところ。
そんな今日この頃です。
身の回りではないんですけど、世の中いろいろあり過ぎて、
なんか精神的に来ることが多い今日この頃。
本来、このブログのテイストがあるので、
特にここ数年はあんまりネタにしづらい事は触れないとか意識してるつもりです。
ですが、ある種ルーツにも関係するところなので予定を変更して書こうと思います。
我が新潟県の独立FM局であるFM PORTが6月30日をもって停波するとの情報が
3月31日に入って来ました。
志村けんショック冷めやらぬ中、同じくらいのショックを受けました。
JFN系列(所謂TOKYO FM制作の番組を流す局)であるFM新潟より
聴いてる時間長かっただけにショックでなりません。
1曲丸々かけるとか、そのかかる曲が割とマニアックで俺好みの曲が
あっちよりかかりやすいという事もあり好きでした。
多分この話はまたその6月30日を迎えたら書きたいと思います。
さて本題は、前述の通り、
コメディアンの志村けんさんが3月30日、亡くなりました。
あの日、連休終わりで翌日…と言うかその日の夜から夜勤なので、
さて寝ようかと思いTwitterを見てました。
そしたらTwitter上で「は!?」とかそのようなツイートが流れてきて、
その後NHK速報ツイートで逝去の知らせが流れてくるまではそう時間がかかりませんでした。
よく 「 声出た 」 とツイートを見かけるし、俺自身ツイートすることもあるんですが、
ニュース見た瞬間、本当に声出ました。
正直、コロナウイルスにかかったってニュース自体半信半疑でした。
特にあの当時はまだ芸能人云々出てなかったので。
入院したのは本当なんでしょうけど、スポーツ紙のアレじゃねみたいな。
午前10時回ってたので流石に寝なくちゃいけないんですが、
何となく寝られず、騒然とするTwitterのTLを見たり、
志村けんの出てる過去のコントを見返したりしてました。
その日夜勤に行きましたが、なんか、心ここにあらずというか。
母方の祖父、祖母が亡くなった時とはまた違った喪失感に駆られました。
俺ら1987年(昭和62年)生まれは、
全員集合は既に終わってましたが、
ギリギリドリフ大爆笑はまだ新作作ってたのを見られた世代でした。
まぁ当時は再放送なのか新作なのか分かってないですが。
うちは割かし寛容だったので、普通に見てましたね。
バカ殿も見てましたし。
志村けん、もっと言えばドリフって、一回離れてまたその面白さを再確認する…と言うのは
大いにあると勝手に思ってます。
もっと尖った笑い、毒のある笑いに走るんですよね。
多分、全員集合からひょうきん族に移ったのもこれがあるんじゃないかなーと。
これをお笑い反抗期と勝手に呼んでます。
でもある時、やっぱ面白ぇなってなるんですよね。
作りこんである笑いって事なんだなって思います。
特に覚えてる中であまり再放送されないのは、
バカ殿様のコントで、
ラジカセを手に入れたバカ殿様がいろんなパロディをしていく中で、
当時の缶コーヒーのCMをパロディしたやつで、
最後大都会をBGMにバカ殿様が床から上がってきて
「 あ…あ…アイーン 」
連れの女性が城から落ち、城が崩れ、町が崩壊する…みたいなオチ。
ひっくり返って爆笑してました。
てか、今思えば何かが崩れるとかで爆笑するの今も変わってねぇなって思いました。
志村けん絡みで昔っから調べてたのに一個も情報が出てこない番組があって、
・全体の司会進行に田代まさしがいて、やぐらみたいなセットで進行
・志村けんが司会の大喜利コーナーがあって、回答者に久本雅美がいる
・面白かった祭は覚えてないが、面白くないと上から粉や水が降ってくる
・久本雅美がお椀を乳首に見立てたネタをやってた
・コントコーナーで、楽器を使ったコントがあった
・そのコントでギターの上(音色調節するつまみの部分)を弾こうとするボケがある
・井出らっきょが出てくるボクシングのコントがあり、紙おむつで出てくるというボケがある
これくらいしか覚えてないんですが、これが何て番組だったかすごい気になるんですよね。
時期で言えば、俺が小学校1,2年とかだったと思うので、
1994年とか1995年とかだったと思います。
もしかすると、同時期の類似番組がごっちゃになってるかもしれません。
情報あればぜひ。
大ファンってわけでもない…と書くとアレですが、大ファンに申し訳ないんで。
やっぱりバラエティ好きとしては重鎮が亡くなったことを大変残念に思いますし、
テレビに置いての大変な喪失だと思っております。
せめて氏の残した火を消さずに頑張って頂きたいものです。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。