想い。
一人、一人と
少し長めい話し終わった後。
あの高揚感は、
それぞれの想いを聞けたからじゃないか。
個人の想いを聞くこと。
何より、話してもらえる自分であること。
心理学(というかカウンセリング)に心惹かれたことも、
それより前にあやつと長々とそんなことばかり
喋ることに浸りきってたことも、
イベント企画にどっぷりだったときも?
リソースはそこだったのか。
優等生時代はそれにあてはまらない。
期待されること、期待にこたえられる
自分で居続けることが
唯一に近い存在意義に感じていたように思う。
恐怖感。失望されることへの恐怖。
それと闘っていたと言い換えられる。
それより前はどうなのか。
正直、あまり自己肯定的な印象がない。
現地校時代まで戻れば、
相変わらずの優等生で、
特別扱いされる自分が好きだった気がする。
とは言っても、現実には飛びぬけての
優秀さは持ち合わせていなかったのだけれど。
いつの頃からか、自分の身体を
コントロールするのは好きだった。
それを披露して一目置かれる自分を
イメージすることも、それと同じか、それ以上に。
その感覚は、社会人になってからであっても
変わっていない。
職位の上がる先達を見て、
その場で表彰される自分に想いを
馳せていたくらいなのだから。
一方で、
自分で自信がない状態で目立つことは
心底嫌い。
負けず嫌い、と言えばそれまでなのか。
特別扱いは相変わらず好きなのだけれど。
その根拠は、そこまで、重要ではないのかもしれない。
特別扱い。
ほかの人ではなく、自分が選ばれること。
やはり、一貫して、外に求めたがっているのか。
存在意義。
確認作業をしたいのかもしれない。
仕事も。
友達も。
大切な人も。
自分が何をなすか、
何をできるか、
ということも大事だけど
そこにいることを承認してもらう。
そんな感覚。
それが何よりも心地いい。
依存し過ぎ、と言われれば、それまで。
外に求めてる限り
一人じゃあ安定できないことになる。
それは、受け入れていいことなのかしら。
自分の、特徴として。
そこから始めれば
違う世界が見えるのかもしれない。