テレワーク中の夫が、こもりっきりの部屋から出てきてはいろいろと要求してきます。
「コピー用紙ある?」
あるよー
「細い付箋紙ってある?」
あるよー
「インクなくなりかけで
ちょっとかすれてる蛍光ペンってある?」
……あるかっ
でも探してみたら、あった(笑)
しかも2本
ドラえもんじゃないぞっ、私は!と憤りつつ、だけど今そんな感じになっている世の主婦は多いはずと思い巡らすばん子のブログへようこそ……!
コロナ前とコロナ後とで世の中はどう変わるか みたいな話が取沙汰されています。
細かなことを挙げたらきりがないでしょうが、明確に国として制度を変えようと検討していること(9月入学の話とか)や、企業がオフィスをなくしたりといったことに限っても、それなりの変化が見られそうなのは確か。
先日読んだ新聞のコラムにも
「たとえ感染が沈静に向かっても、
過去のグローバル観には戻れない」
と書かれていました。
このコラムの趣旨としては「今後は世界各国が「グローバル」をどう生きるかという課題に立ち向かうに当たり連帯していく必要あり」というものかと理解できたので、もう戻れないというのは必ずしも「昔は良かった」的な意味ではないです。
受け止め方はさまざまかと思いますが、私の場合、「過去のグローバル観への戻れなさ」は、少なくとも自分にとっては、
意識の上での進歩であり、良き変革
だな、と感じています。
これは私個人の感じ方なので、共感いただけるかは微妙ですが……
世界はすっかり狭くなって自由に行き来できるけれど、自分の暮らす日本と日本以外の国々とはあくまで別物というのが、以前の私の「世界の見え方」でした。
でも、まるでこぼした水がワーッと広がるかのように未知のウイルスが地球の表面をスルスルーッとまったく水平に伝播した様を目の当たりにしたここ数ヶ月。
ウイルスは、法規制だとか政情だとかに一切遮られませんからねー
で、そんなこんなを経ていろいろと痛感した今は、国境というのは便宜的なものであって、地球の表面には単一の「世界」が存在するだけという見え方に変わっているような気がします。
そういう意味では「過去のグローバル観には戻れない」ですが、そのグローバル観の変化とは、世界がコロナ以前よりも平たく、ほとんどつながって見えるようになったというもの。
先のコラムでも「地球上全ての国は良きにつけあしきにつけ運命共同体」と指摘されていましたが、それ以上に、地球上に乗っかっているすべてのものをひとつにまとまった形で自分の中にすっぽりと落とし込めたわけです。
おそらく私は、各国の行き来が制限されない日が再び訪れれば、スケート靴を履いてツツゥーッと滑っていく感覚で、以前よりももっと気安く海外へと出かけていくような…… そんな予感。
最近「コロナ以前の屈託のない気持ちで生きる毎日はもう戻ってこない気がする」といった息苦しさが世の中に蔓延しているようにも感じるのですが、これに関しても私はとっても楽観的!
なにしろ楽天家なので(笑)
人間は良くも悪くも忘れっぽい。
だから「喉元過ぎれば……」なんて諺もあるわけで。
もしも、一度味わった辛苦を決して忘れず、得た教訓をしっかり活かす賢明さと合理性とを人間がもっと持ち合わせてたら、、、
今頃は人間全員が
聖人みたいになってるはず!!
大昔、千年前とか2千年前とかに書き残された戒めの言葉や自虐的な皮肉が、今だに人の心に刺さるのですから、基本的に人間変わっていないし変わらないということ。
何度痛い目見ても懲りないしょーもなさ(←これは魅力といえなくもないと思う)が人間には備わっている。
屈託アリアリで生き続けるだけの根気(?)もない。
だから、伸びていた輪ゴムが手を離すと元通りに縮むような感じではなかろうかと。
たとえ徐々にではあるとしても。
また、何かしらの「良い反動」もあるはずと思うのです。
ペスト大流行の後のルネッサス大開花ほどではないにしても、これをきっかけにポーンとジャンプするのではないかな?と。
コロナ禍により否応なしのテレワーク導入も、コレラが流行したからこそ公衆衛生への意識が高まったという歴史に通じるものがあるような。
……なので、現時点で私が不安に感じているのは経済面それだけです。
こればっかりはね、すぐには戻らないはず。
そう考えると、ドシドシ外食して、ドシドシ服やコスメ買って、経済回していくぞー!という意識を持たなくては……!!!
(↑そんな意識なくても結構散財してるけど……)
皆様それぞれに思うところがおありかと想像しますが、「えーっ!?こんな能天気に構えている人もいるのー!?」と軽く脱力して気が楽になる方もあるいはいらっしゃるのではと考え、私なりの受け止め方を書いてみました。
新規感染者数最多となっている神奈川県……。
宣言解除されるのかしら〜?