元ネタ


 先日、制限速度14キロオーバーで、ネズミ捕りに捕まった。在宅医療で患者宅へ向かう途中だったので、白衣姿で降りていくと、警官が困惑気味に「10キロオーバーまでなら、OKなんですが」と言った。それならはじめから制限速度を10キロ上にしておいてよ。

 しかし、日本ではこういう現実と法律(建前)のずれが多い。

 まずは売春。売春防止法があるのに、ソープランドなどの風俗店では、実質的な売春が行われている。わたしがかつて外務省の医務官として勤務したウィーンでは、売春は地区と時間を指定して、合法的に行われていた。その代わり、保健省は娼婦(しょうふ)を登録制にし、定期的な健康診断と、性病の検査を義務づけている。日本よりよほど健全な気がした。

 二番手は人工妊娠中絶。母体保護法(以前の優性保護法)で認められる場合以外の中絶は、非合法である。しかし、この法律は極端に幅広く“運用”され、現在、年間33万件以上の人工妊娠中絶が行われている。

 日本の“オトナの嘘”の最たるものは、何といっても自衛隊だろう。憲法第九条には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記してある。戦車やイージス艦や戦闘機を配備していて、陸海空軍を保持しないってどうよ、と思わずわかもの言葉で突っ込みたくなる。戦争放棄は世界に誇れる条文なのに、こんな嘘がまかり通っていては、その信憑(しんぴょう)性も薄れる。惜しいことである。(医師・作家)


本当にそう思います。

 ウソはついてはいけないという基本的なルールを国が守っていないのですから、国が、民心が、規範が荒廃していくのは当然だと思います。

 特に、今、「現実にあわないから」憲法九条を変えようとかいっている人は、ウソを押し通して、ウソを本当にしちゃえというヘリクツにも見えます。

大人のウソは、人間には「オトナの」「チエある」対応に見える事もありますが、神の目からみたら、やはりウソはウソなんですよねぇ・・・
 そして子どもの目から見てもウソはウソなので、子どもが与えられている人間として、ウソをつかないようにしたいと思います。

 下の世代が上の世代を敬わなくなるのは、上の世代のウソを見るからではないでしょうか?

教員指示か 卒業生、国歌斉唱起立せず

 大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約170人の卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席していた3学年の担任、副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかったという。学校側は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性があるとみて担任らから事情を聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査に乗り出した。

 式の後、一部保護者から事態を問題視する声が寄せられ、学校側は市教委に報告。府教委によると、学校の調査に対し一部の教員は「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」と話しているという。

 瀬戸和夫校長は「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」と話している。
3月27日8時2分配信 産経新聞


 「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」事が、即ち「不起立を指導」と捉えちゃう校長の語学力の無さに脱帽。

 「自分で判断しなさい」というのは、まさに「内心の自由」を尊重していると僕は思ったが・・・

その人個人が考え、立たないという選択肢を選んだのであれば、それを尊重するのが、内心の自由を守るということではないのか?

 ちゃんと考える材料を公平に与えて、それに基づいて立ったのなら、それは尊重されるべきだし、立たなくてもそれは尊重されるべきだ。

 ゆるされないのは、考える材料を与えず、考える自由を与えず、その考えた結果に対して、(誰であれ)他者がけちをつけることだ。



文科省、新指導要領に「愛国心養成」を追加

3月28日5時5分配信文科省、新指導要領に「愛国心養成」を追加 読売新聞


 文部科学省は、約3年の改定作業を経てまとめた小中学校の新学習指導要領を28日付官報で告示する。

 先月15日公表の改定案と比べ、「我が国と郷土を愛し」といった記述が追加されたほか、「君が代」についても「歌えるよう指導する」と明記されるなど、「愛国心」の養成をうたった改正教育基本法を色濃く反映する形となった。

 これらの修正点は、文科相の諮問機関「中央教育審議会」の審議を経ないまま盛り込まれており、なぜ新たな文言が突然加わったのか議論を呼ぶのは必至だ。

 新しい指導要領は小学校では2011年度、中学では12年度から実施される。

 今回の修正の中で目立ったのは、一昨年12月に改正された教育基本法に「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で愛国心の養成が盛り込まれたことを受け、小中学校ともに全体の指針となる総則に「我が国と郷土を愛し」という文言が加わった点。同じ総則の「伝統と文化を継承し」という記述も「尊重し」に変更され、小学国語に「神話・伝承を読み聞かせる」ことが追加されるなど伝統文化の尊重も強調された。

 君が代も小学音楽で「いずれの学年においても指導する」から「歌えるよう指導する」と修正され、中学社会では自衛隊の国際貢献に言及している。

 先月公表の改定案には、自民党の一部議員から、竹島や尖閣諸島について「我が国固有の領土」と明記されていないとの批判が集まっており、「愛国心を強調することで、そうした批判に配慮した」(自民党中堅)という指摘もある。

 文科省は「修正は中教審の答申の枠の中で行っており、批判を受けるとは考えていない」としている。


こうやってどんどん「国から決められた愛国心」を植えつけられていくんですかね。こんな分かり易い信仰の自由・内心の自由への抑圧に対して、キリスト者が気づいていない事に非常に怒りを覚えています。

“KYブーム”が読めていない、2つの空気

 2007年の流行語である“KY(けーわい)”は、「空気が読めない」の略だ。「空気が読めない人」とストレートに言うのがはばかられるのか、陰で「あの人はKYだ」というように使われる。昨年は特にこのKYが忌み嫌われ、“空気を読むこと”が重要視された年でもあった。

 この一種の“KY批判ブーム”は、日本人独特のコンセンサスの取り方とも関連がある。

 多くの日本企業では、物事を平和裏に決定するため、暗黙のうちに「そこには触れないでおく」というルールを作る傾向がある。日本独特の“根回し”は、その重要なツールでもある。

 会議の前にひと通りコンセンサスを取りたい点を根回ししておき、物事が穏便に決まるように段取りを整える。結果、会議は形式的な決定の場になる。だから、そこで誤って異論を挟もうとすれば、その人は「KY」だと認定されてしまうのだ。

 僕のような経営コンサルタントというのは、この“空気”を利用する仕事でもある。空気を読みながらコンセンサスを作りにいく場合もあれば、空気を読んだうえで、あえて波紋を投げかける場合もある。いずれの場合も「空気を読む力」が仕事上、非常に重要だ。その意味では、「空気を読む力」が世の中で意識されるようになるのは、良いことだと思う。

 しかし、なぜ今、このKYがブームになっているのか。

 この点を考えてみると、2つの恐ろしい事柄に思い当たる。この2つに目を向けないままKY批判を続けていくことは、実は、日本人にとって危険なことかもしれない。今日は、その話をしたいと思う。

 1つ目の話は、なぜ今、KYに脚光が当たっているのかということから始まる。

 今、日本では重要視されているKYも、例えば米国のビジネスパーソンにはあまり縁のない話だ。実際、米国の友人にKYの話をすると、「アメリカでは逆だ」と断言する。米国のビジネスシーンでは、空気を“伝える”能力が無い人間の方が、問題視されるからだ。それも、基本的にはっきりと口に出して伝えることが、一番良しとされている。

 米国のように異なる文化を持つ人々が集まり、「人種の坩堝(るつぼ)」と呼ばれる社会では、空気を読むことを相手に期待する方がビジネスパーソンとして無能だということになる。問われるのは、はっきりと自分の意見やスタンスを伝えたうえで、コンセンサスを取りにいく能力だ。それは米国社会が「自由を重視する」という、1つの前提条件の下に成立しているからである。

 逆にいえば、空気を読む技術が必要な環境とは、“抑圧された環境”ということだ。

 例えば、映画『ロッキー4/炎の友情』に、こんなシーンがある。

 モスクワに出向いた主人公のロッキーは、旧ソ連の政治局のトップの前でロシア人の宿敵をノックアウトする。この試合を政治的な宣伝の場にしようとしていた政治局員は、味方の敗北に凍り付く。ほかの政治局員たちも、この失態にどう対処すべきか一斉に書記長の顔色を伺った。そこで、書記長は会場の“空気を読む”のである。

 会場には、ロッキーの激しい戦いに感動し、興奮するソビエト人民の姿があった。その空気を読んだ書記長は、ゆっくりとロッキーに対して拍手を送り始める。それを見たほかの政治局員たちも拍手を始め、最後には宣伝を目論んでいた政治局員もその空気に同調し、拍手を始める。

 旧ソ連の政治局のように、激しく冷たい政治闘争が行われているような場では、空気を読む能力が重要になる。オープンな議論などは望むべくもなく、自分の立場を明らかにすることすらリスクとなる。空気を読むために少しだけ場を揺らし、それで周囲がどう反応するかを確かめてから、自分もそれに同調する。そういった技術が必要となる。

 「裸の王様」のエピソードにも、空気を“読まなくてはならない”お国の事情が垣間見える。まだ空気を読むことを知らない、それを言ったら自分がどうなるかすら分かっていない子供だから「王様は裸だ!」と叫ぶことができるのだ。 いずれも抑圧された社会だからこそ、空気を読む技術が必要とされる。

 小泉政権が終わり、今、世の中がKYを問題視し始めた裏側には、我々の社会が再び“抑圧”の方向に向かっているという、別の空気が存在している。

 もう、“日本をぶっ壊す”時期は終了した。壊し切れない、大き過ぎる問題がたくさん存在しているのだから、その空気を読んで行動しろという社会へと、揺れ戻しが始まっているのだ。

 KY批判ブームの裏にある1つ目の問題とは、空気を“読まなければならない”抑圧された空気――我々は、このことに気付かなければならない。

さて、さらに重要なもう1つの問題がある。

 先週、僕のクライアントの1人が、こんな問題を投げ掛けた。僕自身、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた発言だったが、かなり事実を言い当てているかもしれないと、直後に思った。

 彼女は「最近、我々は社会現象について、自分の意見を持たなくなりつつある。意見を持つ前に、グーグルで意見を“検索”するように変わったのだ」と言ったのだ。

 確かに我々は最近、何か事件が起きるたびにWebで意見を検索する。最初に事件を耳にしたときに自分が抱いた不快感、正義感、高揚感などの気持ちは、Web上の意見を見ることによって修正されていく。

 自分以外の多くの人たちも「同じ不快感を持っている」という結果がサーチできれば、「それは間違っていることだ」という意見を強くする。逆に、サーチ結果で多くの人が「それは仕方ないことだ」という論調であった瞬間に、自分の意見もまた、「それは仕方ないことだ」に変貌を遂げるのだ。

 インターネットが普及した結果、世の中の空気は“集計”しやすくなった。

 ヤフーやマクロミルなどが公表しているアンケート結果を見れば、世の中の空気は定量的に把握できる。ブログを斜め読みしていけば、知らない人たちの論点や多数意見がざっと掌握できる。SNSの中の意見を眺めれば、自分の周囲の空気も読める。そして無意識のうちに、大なり小なり、それらの意見に自分の意見を“合わせ”てしまう。

 サーチの結果、世の中の大多数が同じ意見を支持していることが分かれば“祭り”が始まる。絶対的多数意見を背景に、ネット上のKYは犠牲者となり、その“愚か”な行為は徹底的に攻撃されるようになる。

 一方で、意見が二分されていれば攻撃は泥仕合になる可能性がある。空気を読む能力者ほど、無用な戦いは避けたほうが賢明だと知っている。最初は自分も強い意見を持っていたとしても、その意見を持ち続ける必要すらない。これが今の“IT社会”である。

 実際、現実の世界でも、自分独自の意見を持つということは、しんどいことである。特に、世の中の空気と違う意見を持っていると生きにくいものだ。馬鹿にされたり、ひどいときには攻撃されることさえある。KY扱いされることもあるだろう。

 そういうしんどい思いをするよりも、きちんと他人の空気をサーチして、それを自分の意見にしてしまえばいい。そうすれば、楽に世の中を渡れるようになる。

 だから、「自分の意見を持たない人」「他人の意見をサーチする人」が今の日本には増えている。それが2つ目の問題である。

 「KY」という言葉が流行したこと自体、そこに“楽しい”いじめの要素があるのも一因だ。バラエティ番組などでは出演者の誰かをKYとして認定すること自体で笑いが取れる。しかも、多数派の空気を読む技術を持っていない少数派を「あいつはKYだ」と名指しするのは単に面白おかしいだけではなく、安全でもある。なにせ相手は“少数”なのだから。

 そんな事情からKYが流行した理由は分かるのだが、そろそろKYはやめにしてはどうかと僕は思っている。面白いからと浮かれていると、その裏にある、もっと重要な“2つの空気”を読み忘れてしまうからだ。

 我々は今、さらに抑圧される方向に向かっている。そして自分の意見を持つことが怖いと感じる方向に向かっている。この“2つの空気”は、日本の未来にとって、非常に危険なものだ。

 そして、これら2つの空気は同様に、企業の未来にとっても危険である。

 社内の議論を、KYを理由に抑圧しているうちに、社員の誰もが自分の意見を持たず、他人の意見をサーチする会社に変わってしまう。そうなる前に、経営者は行動を始めるべきではないだろうか。面白さを優先するバラエティ番組からKYを撲滅するのは難しいかもしれないが、経営者には、社内からKY批判を撲滅するだけの能力があるはずだ。

 ということで、今年は大企業経営者は率先して「企業内のKY批判禁止」を打ち出してみてはどうだろう。世の中に先んじてKY批判を封じていけば、自分の意見を持たない社員が増えていく競合他社に対して、「社員力」で一歩、抜きんでるチャンスでもあると思うのだが、どうだろうか

元ネタ

 全く仰るとおりだと思いました。何の分析・考えも無く、空気を読めない人間をからかっていたと思います。私がおろかでした。全く情けない限りです。

 悔改めたいと思います。

 まぁ、仕方ないのかなぁと思いつつも、八戸の美人市会議員が、大騒ぎされていましたね・・・あんだけ可愛いとそりゃ騒ぎたくなりますが・・・・・それに、多分実力も十分あったのでしょう。ですから彼女自身に対しては何の意見もありません。。。

 ただ、顔で、政治のリーダーを選らんでいないよね・・・?

タレントやら、レスラーやら、フリーターやらが、国のリーダーに選ばれるってどういう仕組みになっているのか・・・

 

だいぶ前のねネタですいません。