http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080419-00000096-mai-soci

航空自衛隊のイラクでの活動の一部を違憲とした名古屋高裁判決を巡り、航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が、お笑いタレントの流行語を引用して「私が心境を代弁すれば『そんなの関係ねえ』という状況だ」と発言したことについて、原告団は19日、防衛省に抗議文を送付した。近く田母神氏に面談を申し入れるという。

 抗議文は「発言は憲法を無視してイラク派兵を強行し続けている政府や防衛省の『本音』を端的に示したものであり、『憲法なんて関係ねえ』と述べたに等しい」と指摘している。

 原告団は、元文部科学相の中山成彬衆院議員が18日、「問題のある裁判長で、変な判決だった。3月末で辞め『最後っぺ』(おなら)を出したようなものだ」などと語った件でも、中山議員に抗議文を送るという。【大場弘行】

最終更新:4月19日21時19分


 法の番人である裁判所の判断を、まがいなりにも武力をもった軍(自称は違いますが・・・)の長が、しかも軍の大多数を代弁して「そんなの関係ねー」ということに背筋も凍る恐ろしさを感じます。
 
 大原則の文民統制も「そんなの関係ねー」。国民を守る国の方針の憲法も「そんなの関係ねー」。クーデターだろうが、侵略だろうが、侵出だろうが、「そんなの関係ねー」。中国人?朝鮮人?「そんなの関係ねー」。ってなりませんかね?大暴走・亡国への兆しでしょうか・・・ちなみに60年前は、そのまま大暴走して自滅です。

 更に、自分に都合の悪い、自分の考えと合わない人の判断は、、「問題のある裁判長で、変な判決だった」としてしまう政治家センセーにも驚きをかくせません。民度というのがあるのかどうか知らないが、もしあるとすれば日本も相当低いと思うぞ。俺は。

 右の頬を殴られたら、左の頬を・・というのが、聖書の中にありますが、でも、私は右の頬を殴られたら、左の頬を殴り返しています。左ジャブ⇒右ストレート⇒左フック⇒タックルです。

 

 ダイエットの為に、総合格闘技やっているのですが、おもしろい。福音的肉分野最強クリスチャン目指そうかなぁとか、馬鹿な事を考えています。

 

 昨日、ミドルキックを入れることができましてダウンとれました。でも年なのでハイキックはできません(涙)。

その後は、むきになった相手と子どもの喧嘩のような殴り合い。おかげで顎の関節がいたい。

小学生殴った傷害容疑で逮捕

この国はどうなっていくのか?罪を犯したものが訴え、正しいものが訴えられる・・・

恐ろしい時代。まさにノアの前の時代のようだ。価値観がひっくり返り悪がはびこる時代なのか・・?

キリスト者として、地の塩・世の光として、聖書の御言葉だけにしっかり従いたいと切に願っている。

 中国で数年前、反日デモがありました。ちょうど同じ時期に中国にいて、NHKの衛星放送でニュースを見ていましたが、意図的なものを感じずにはいられませんでした。というのは、報道されているほど大騒ぎにはなっておらず、むしろ普通だったからです。以前からもマスコミの報道は鵜呑みにしないように心がけていましたが、それ以来、決定的にマスコミは信用しないようにしています。

 チベットの暴動も同じ目で見ています。

 そして今回それを更に確信させることがありました。更に私が抱く不信感・違和感は結構外れていないという自信にもなりました。


光市の事件の報道について

 非常に真摯な、迫力のある、訴えるものがある素晴らしい調査結果であります。是非、一読をお勧めします。この「真理を探究する態度」に感動し、このような良心がまだ日本に残っていることに、うれしく思いました。

 以下は結論部の抜粋ですが、全文をお読みすることを心からお勧めします。

 

 「巨大なる凡庸」――とは、7時間半におよぶ本件放送を見終わったあとの委員会の席上で、ある委員が口にした感想である。
 巨大とは、テレビそのもののことである。大事件をめぐって、何十人、何百人という取材陣と番組制作スタッフがどっと動き、いっせいに同じことを伝える。ごった返す取材現場と時間に追われる制作現場から送り出された映像と音と言葉は、たちまち家々のテレビ画面に、個々人の携帯端末にあふれかえる。テレビはまず、規模が巨大である。
 だが、光市母子殺害事件の差戻控訴審を伝えた数々の番組は、そうであるだけではなかった。ほぼすべての番組が、「被告・弁護団」対「被害者遺族」という対立構図を描き、前者の荒唐無稽と異様さに反発し、後者に共感する内容だったことはすでに指摘したとおりだが、反発と共感のどちらを語るときも、感情的だった。
 感情的ということのなかには、その口調や身振りが感情的だったということもあるが、もうひとつには、刑事裁判という法律の世界の出来事を、普通の人間の実感レベルだけで捉え、反応しているという意味もある。刑事裁判の仕組みなどそっちのけで弁護団に反発したり、文脈や証拠価値のちがいも区別しないまま、被告の法廷での供述と、精神鑑定の際の言葉をいっしょくたに非難したり、などというのは、その一例だった。
 もちろん実感は、大切なものである。季節感、生活感、現実感をなくしたら、人生の意味は半減してしまうかもしれない。しかし、他方で私たちは、自分の好き嫌いを押し通したり、気に食わない、やられたらやり返せ、などと実感のおもむくままにやっていったら、わが身の暮らし、地域や世の中、そこらじゅうが大変なことになるこ
とも、少しは知っておいたほうがよい。
 凡庸は、こうした大切でもあれば、危うくもある、実感の過剰を指している。被告の供述や精神鑑定の場で語ったとされることは、それだけを取り出せば、奇異で異様な言葉である。そのことは実感のレベル、常識のレベルで考えれば、誰でもわかる。
 しかし、本件放送は大人数で、大がかりな番組制作をしながら、そこで止まっている。テレビはその規模の大きさゆえに、多くの視聴者の実感レベルでの反応を引き起こしただろうが、両方が巨大なる凡庸のままで終わっていて、その先がない。この状況を作り出したのは、まずテレビである。その番組の作り方だった。
 公正性・正確性・公平性の原則を十分に満たさない番組は、視聴者の事実理解や認識、思考や行動にもストレートに影響する。一方的で感情的な放送は、広範な視聴者の知る権利に応えることはできず、視聴者の不利益になる、ということである。番組制作者は目の前の事象に反応するだけでなく、種々さまざまな視聴者がそれぞれ何を求めているかについても、考えをめぐらせる必要がある。
 裁判員制度の導入が目前に迫っている。一般市民が裁判員となり、裁判官といっしょに刑事事件被告の有罪無罪や量刑を決めることになる。制度導入は「裁判を身近で、わかりやすいものにするため」とされているが、少なくともそれは、好き嫌いや、やられたらやり返せ式の実感を裁判に持ち込むことではないはずである。それでは、法以前の状態への逆戻りである。だが、テレビはいま、そうしたゆきすぎた実感の側に人々を誘い込んでいないだろうか。
 法治とは何であるか、刑事裁判の構造的原理は何か、なぜ裁判では犯行事実がわかっているのに、被告の生育歴を調べたり、精神鑑定までするのか、法はどうして成人と少年を区別しているのか、被害者とその家族や遺族の無念の思いは、どうすれば軽減・救済できるだろうか――司法をめぐるひとつひとつの問いのうしろに、法律によって苦しみ、法律によって救われた人間たちの歴史がある。まだ答の見つからない問いの前で、いまも苦しんでいる人間がいる。
 事件・犯罪・裁判を取材し、番組を制作する放送人たちが、テレビの凡庸さに居直るのではなく、これらのことに思いを馳せ、いま立ち止まっているところから少しも先へと進み出ることを、委員会は希望する。


 まじで感動したよ。僕は。


 起業家精神にあふれた若者のブログがよくありますが、皆さん本当にすごいですね。心から感心すると同時にうらやましくもあり、かつ、不思議でもあり・・・

 何故不思議かというと、皆さん非常に、すごくポジティブなんです。まじすごい!心から感心してます。それはウソではありません。でも、僕は根がネガティブなので、何故そこまでポジティブになれるのか不思議なんです。

 「中には、それはポジティブというのか?積極思考というのか?」という方までいらっしゃいますね・・・私のように消極的であるよりは、積極的な方が断然いいです。それは否定しません。本当に。

 でも、あれに見えちゃうこともあるのです。そう、小島よしおに。

 

 彼は、「そんなの関係ねー」という前に、必ず「下手こき」ます。下手こいて、ずーんと落ち込んで、それで開き直って、「そんなの関係ねー」というわけです。僕は、この小島よしおのネタは、最近、流行のポジティブシンキングを強烈に皮肉り、笑いのネタにしているように見えるのです。


 どんなに失敗しても、どんなに落ち込んでも、開き直って、頭を振って忘れちゃえば、「そんなの関係ねー」なんです。しかし、それは傍から見れば、一人で「(失敗なんて)そんなの関係ねー」と叫び、そう思い込もうとしているだけの裸の王様。自分はポジティブであると、ポジティブシンキングで、思い込もうとしている裸の王様なんです。

 

 そうのようにうがった見方をしてしまう私は、「そんなの関係ねー」とポジでありたいと、常々思ってはいるんだ・・・