電車の中での争い。裁判でも厳罰化の傾向。隣国(中国や北朝鮮)へのまったく非生産的なバッシング。どんな失礼な事・人を傷つける事でも言ったモン勝ちの社会。花を引き抜きストレス解消をするおじさん。そのおじさんにストレス与える会社。子育て・しつけの責任を放棄して学校を責め立てる親達。
この攻撃的社会の他者(国であっても、個人であっても)への攻撃はやがて自分に帰ってくる。後ろ指差して
人を非難・攻撃するとき、5本の指の3本は自分を向いている事を心に留めたい。
電車の中での争い。裁判でも厳罰化の傾向。隣国(中国や北朝鮮)へのまったく非生産的なバッシング。どんな失礼な事・人を傷つける事でも言ったモン勝ちの社会。花を引き抜きストレス解消をするおじさん。そのおじさんにストレス与える会社。子育て・しつけの責任を放棄して学校を責め立てる親達。
この攻撃的社会の他者(国であっても、個人であっても)への攻撃はやがて自分に帰ってくる。後ろ指差して
人を非難・攻撃するとき、5本の指の3本は自分を向いている事を心に留めたい。
この人はどうしてこの子どものような発言ばかりなのか。品性を疑います。この人に投票しているクリスチャンもやはりいるのかなぁ・・・いるんだろうねぇ・・・
最近の中国バッシングはひどい。いまや、いや、昔から中国は(たとえ嫌でも)隣国であり、うまくやっていかなくてはならない国。対等に付き合わなくてはならない国。
中国バッシングの背景には、日本を技術・経済で追い抜こうとしている中国への恐れ・嫉妬があるのではないだろうか?その中国に食の安全からはじまって脅かされると感じるから、恐れているから強烈に反感を抱くのではないか?だから、一方で今回の地震のように、中国が日本に頼ると、悪い気分はしないのだろう。
どちらが上かという力関係でしか、人間関係・国際関係を見れない日本人の脆弱さを感じる。
それは実はクリスチャンも同じで、「中国の三自愛教会は偽、家庭教会は助けを必要な福音的な集まり」という実は非常に偏った見方をしたがる。その枠だけで見れば、三自愛教会とは関係を築く必要はなく、「弱い」家庭教会を助ける事が日本人クリスチャンにはできる。日本のクリスチャンの方が成長している(上)という意識を持つことが出来る。
しかし、実際は、三自愛教会にも福音をはっきりと信じている人は昔からいたし、家庭教会にも異端のような所はたくさんある。90年代後半、日本の教会では中国伝道ブームが起こったが、それは「助けを必要な福音的な集まりである家庭教会」を助けることが出来るという枠組みだったからではないか?
対等な交わりを目指し、日本人が力関係ではなく、人間関係で関係を築けるように、日本人クリスチャンも自立する必要があると思う。
常々思っていた素朴な疑問なんですが・・・何故「政治の問題、歴史の問題は極めて神経質な話」なんですかね~異論があって我慢ならないのなら、読まなきゃいいのにって思います。わざわざ違う考えをもっている人に、違う考えをぶつけてもエネルギーの無駄だと思うんですわ。
人の揚げ足をとって、論破して、万が一それができたとしても、決して自分の考えは変わらないわけですから。その人がその人の考えを主張してればいいわけで。
ということで、このブログは人の意見を論破し、変える事は目的ではなく、自分の考えを表明するところです。従って、政治の問題、歴史の問題についての考察を、どんどん言いたいと思ってはいる。
傾向として、厳罰化や死刑を求める今の風潮は非常に違和感があるなぁ・・・
被害者の家族の心情は筆舌に尽くしがたいと思う。
心情は「復讐心」だと思うんだ。それは当然の事だと思う。
でも、その被害者家族の復讐心に同調した「国民」に、法や裁判官が同調していいのか?と、すごく思う。
しかもその復讐心は、マスコミによってあおられているところがかなりあるのでは?
http://www.bpo.gr.jp/kensyo/kettei/k004.pdf
マスコミ・インターネットがこの日本を強烈な勢いで堕落・崩壊へ導いているように思えてならない。
裁判は公正であるべきというのは、当然だと思う。復讐心やマスコミや大衆に左右されてはならないと思う。
被害者はどんな被害であれ、加害者を殺したいのだから。
弁護団の弁も十分一考に価する当然の主張だと思ったけどなぁ・・・