教員指示か 卒業生、国歌斉唱起立せず

 大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約170人の卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席していた3学年の担任、副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかったという。学校側は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性があるとみて担任らから事情を聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査に乗り出した。

 式の後、一部保護者から事態を問題視する声が寄せられ、学校側は市教委に報告。府教委によると、学校の調査に対し一部の教員は「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」と話しているという。

 瀬戸和夫校長は「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」と話している。
3月27日8時2分配信 産経新聞


 「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」事が、即ち「不起立を指導」と捉えちゃう校長の語学力の無さに脱帽。

 「自分で判断しなさい」というのは、まさに「内心の自由」を尊重していると僕は思ったが・・・

その人個人が考え、立たないという選択肢を選んだのであれば、それを尊重するのが、内心の自由を守るということではないのか?

 ちゃんと考える材料を公平に与えて、それに基づいて立ったのなら、それは尊重されるべきだし、立たなくてもそれは尊重されるべきだ。

 ゆるされないのは、考える材料を与えず、考える自由を与えず、その考えた結果に対して、(誰であれ)他者がけちをつけることだ。