ちょっと油断すると、すぐ書かなくなってしまいます。

先月は、週に1回のペースでした・・・・


 最近、個人的に非常に学んだおかげで、肩の力が抜けたことがある。

 

 自分でいうのもなんですが、会社でも、教会でも、なんでも色々な欠けが見えてしまうのです。岡目八目というか。しかも、「もっとこうしたら」という結構優れた対案なんか出せてしまう事が比較的あります。色々な優れたアイディアが出るもんですから、やっている人たちに否定的になるのです。

 「なぜ、こうできないの?」「何故、そんな風にするの?」「どうすれば、そういう行動になるの?」「もっとこうすればいいじゃん」挙句の果てには「なんだよ、使えねーな」という具合になります。

 それは自分にも当てはまり、その高尚なアイディアを実現できない私は「何にもできない、使えない人間」で、自分は全く能力がない人間だと思ってしまうのです。そして、「どうせ出来ないからやらない」となります。

 他者にも、自分にも100%しか要求できず、100%でなければ0%。50%の人や、60%の人には、批判的になってしまうのです。

 

 でも、ようやく気づいたのは、会社でも、教会でも、100%の人間・仕事なんてどこにもないということです。社長にも上司にも牧師にも長老にも100%完璧にやっている人はどこにもいないのです。

 90でも、80でも、70でもいいんです。100%である必要はない(努力は100%する必要ある)。極端な話、100%努力して、1%でもOKだと思えるようになりました。0よりは遥かに素晴らしいわけですから。100%じゃないからと何もやらないよりは、遥かに進歩なんです。

 それがわかって、1%でも人の先を歩いている人、1%を本当に心から素晴らしいと思える人が、リーダーになれるのでしょうね。

 1%に目を留めることが出来るようになってきたので、自分や人を許容できるようになり、リーダーシップというか、取りまとめ役も、それほど苦にならなくなりました。

 また一つ解放された気がします。


 こんな小さなことから解放され、自由になっていく信仰生活は、本当に楽しい。




 


拉致被害者を帰すべき

自民党の加藤紘一元幹事長が拉致被害者5人について「国家と国家の約束だから北朝鮮に返すべきだった」と発言したことをめぐり、拉致被害者家族会(飯塚繁雄代表)と「救う会」(藤野義昭会長)は9日、「拉致被害者や家族の思いや不安をまったく理解しようとしない加藤氏に強い憤りを覚える」と抗議声明を出した。

 加藤氏は7日夜のBS番組で、小泉純一郎首相(当時)が訪朝した平成14年秋、拉致被害者5人が帰国した際、府が5人を北朝鮮に返さないことを決めたことを「当時官房副長官だった安部晋三前首相を中心に(拉致被害者を)返すべきでないと決めたことが日朝間で拉致問題を打開できない理由だ返していれば『じゃあまた来てください』と何度も何度も交流していたと思う。そこが外交感覚の差だ」などと発言。金正日総書記が拉致問題を認め、謝罪したことについても「天皇陛下みたいなポジションにいる人物だ」と述べた。

 「家族会」と「救う会」の抗議声明では「5人が北朝鮮に戻されていれば『自分の意思で戻った』と言わされたあげく『拉致問題は解決済み』という北朝鮮の主張に利用されたであろうことは少しでも外交感覚のある人には明らかだ」と指摘。「不見識極まりない発言だ。加藤氏の精神構造を強く疑わざるを得ない」と批判した。


 正直、自民党は嫌いですが、加藤氏の発言に個人的には賛成です。国家と国家の約束をこんなに分かりやすく破ったら、話もできなくなると思うよ。どんな理由、背景があっても、約束は破ったらダメです。「向こうが破っているから、こっちも破っていいのだ」は無いと思うし。向こうの嘘を批判するとするならば、こちがら誠心誠意約束を守ることが前提に必要であると思う。「俺は約束を守るから、お前も約束を守ってくれ」であればいいが、「お前が約束やぶったから、俺もやぶった」では、話がすすまなくなっちゃいます。

 完全に手詰まりになっている現実(結果・実)を見れば、約束を反故にしたのは、やはり外交政策的には間違いだったと思います。

 ちょっと向こうの立場に立つ想像力を働かせたら、もう少しクールダウンできると思うのですが・・・

加藤氏が言ったように「天皇みたいな人が問題を認め、謝罪した」んでしょ。しかも、被害者を条件付きで返えした。彼らにとっては、これ以上ない国交正常化へのカードを切ったわけですよ。それを小泉劇団が反故にした。彼らからしたら、とんでもない侮辱で、面子を完全につぶされたと思うが・・・?

 「天皇が問題を認め謝罪をし、約束をまもったのに、それを反故にした」となれば、おそらく日本人はみな怒り狂うでしょう・・・おんなじことをしたと言えると思うんだよなぁ・・・

 「天皇みたいな人が問題を認め、謝罪して」解決に向けてカードを切ったのだから、「『自分の意思で戻った』と言わされたあげく『拉致問題は解決済み』という北朝鮮」が主張するかなぁ?と外交感覚に薄い私は思ってしまいます。国交正常化のカードを向こうも切ったのだから、「じゃぁ、また来てくださいと何度も何度も交流していけた」と僕も思います。

 国交正常化=仲直りって直ぐに出来ないと思うんだよな。お互いすれ違いと話合いを通して、徐々にしかできないと思う。けんかしている喧嘩の中休み状態で、なんでもかんでもこちらの思うとおりにはならないと思うが・・・


 拉致被害者を支援しているクリスチャンが多数いらっしゃるようですが、クリスチャンこそ愛をもって神がなされてた和解と平和の業を、この問題で発揮して欲しいと祈っています。


 

 

 

 

半年先まで分娩予約でいっぱい 妊娠判明即病院探しに奔走

■妊娠わかった時点で予約を取ることが絶対に必要
「09年1月まで、分娩予約を受け付けることができません」

 そう話すのは、東京都内の産婦人科病院だ。ここでは、2人部屋と個室があるが、2人部屋は人気があり、すぐに埋まってしまう。割高な個室も少し空きがある程度だ。
 また、都内の別の病院の場合は、ホームページに「09年1月前半まで予約を制限している」と書かれている。ここに問い合わせると、担当者は1月後半から予約可能と回答した。今後さらに制限が進むことも考えられるという。
 1か月の分娩数を制限している病院もある。独立行政法人国立病院機構横浜医療センター(神奈川県横浜市)では、1か月の分娩数を70件にしている。産婦人科医が7~8人勤務している比較的大きな病院だが、担当者は「先週で1月までの予約がいっぱいになりました。埋まるのが早かったです」と話す。横浜市西部地区、藤沢、鎌倉地域の中核病院である同センターには、地域の産婦人科で予約が取れなかった妊婦が殺到している様子だ。
(中略)「小さな病院は医師の数も、ベッド数も少ない。そのためすぐに予約でいっぱいとなってしまう。また、分娩できる施設の数自体も減っていて、妊婦さんは手当たり次第病院に問い合わせている」
 妊娠がわかった時点で診察を受けて、早めに分娩予約を取ることが絶対に必要だ。各病院の担当者はこう口を揃える。最近の妊婦はまず、産む場所の心配をしなければならない。

■患者との訴訟やトラブルに嫌気がさす?
(中略) 高齢化に加え、産婦人科医を目指す若者自体が減っている。厚生労働省医政局の担当者は、産婦人科では他の科に比べて治療をめぐる紛争が多く起こっている。トラブルに巻き込まれたくないと考えるのではないか」と指摘する。
 もっとも多いのは、障害のある子供が生まれた場合に、家族が医師側にミスがあったと訴える、というものだ。また、母親が死亡するケースもある。福島県立大野病院で04年12月に帝王切開中に妊婦が死亡し、06年2月に担当医が逮捕勾留された。この事件は、産婦人科医に大きな衝撃を与えた。「医療関係者の間ではどうしようもなかったという見方が一般的だ。これをきっかけに、やっていられないと思った産婦人科医も多い」
 厚生労働省ではこうした状況を解決しないと、産婦人科医離れが加速すると見ていて、「医療リスク」に対する支援として、産科補償制度の早期実現や診療行為による死因究明制度の構築といった施策を08年度中に整備していく。

 企業の行き過ぎた顧客中心は、逆に消費者の首を絞めると思っているのだが、これもその一例ではないだろうか?少子化で大変という中、一方では生みたくても生めない経済状況。と同時に、生む場所さえ見つからないという社会的状況・・・・この国はどうなるのかと思ってしまう。

 厚生労働省の施策には、期待したいが、それと同時に私は消費者の意識改革が必要だとも思う。「障害がある」「死亡した」で医者が訴えられ、逮捕されていたら本当にやりきれないと思う。

 そもそも出産とは、いのちがけのことであり、常に死と隣りあわせだったはずだ。いのちの誕生だって、人間がどんなにがんばったって、間接的にしか関与できない。自分の期待通りでなかったからとその怒りを医者に向ける方が間違えている。「100%健康で健常な子を、100%母子共に安全に生ませろ」と産婦人科医にいうのは、全くありえない顧客の要求だ。私にも子どもが与えられているが、一時期ちょっと危険な時もあった。産婦人科医が言えたのは、「安静に寝ていてください」だけだった。人間がいえるのは、また出来るのはそれくらいだ。いのちの尊厳に対する謙虚さを日本人はいつから忘れたのか。いのちさえコントロールできると思い込むとは、なんたる高慢か。命は創造者である神のものである。

 医者も、人間なんだから、できないものはできん。NOと言ってもいいと思う。そういったからといって、医者が努力を怠るかといったらそうではない。当然、最善を尽くすと思う。 産婦人科医は、来院する人たちに、いのちの尊厳と、それゆえ出来ることと出来ないことがあることを、まず先に教えていったらどうだろうか?「完全な子を100%産ませることはできません。100%無事に生ませるということもできません。両親の期待を100%満たす子を産ませることも当然できません。障害があるかもしれません。あたま悪いかもしれません。あなたが死ぬかもしれません。それでもあなたは与えられた命を守って下さい。なぜなら、あなたの親はそれを覚悟してあなたを生んだからです。ただし、その命を守る為の協力は惜しみません」僕は、そういってくれる産婦人科医がいたら、その人を心から信用するけどなぁ。

 

 はじめに神が天と地を創造した(創世記1:1)

お気に入りのブログの6月27日の記事 にこんなのがあった。


>当時の米国では「イコールBUTセパレート」というフレーズの元に、このような人種差別が行われていた。立った一人の人が席を立たなかったことが、米国を大きく変えることになった。それでも、有名なプロゴルファーのTiger Woodsが全米ツアーで優勝したとき、「それでも、まだ私が入ることのできないゴルフコースがあるんですよ、アメリカには…」と答えたことが印象的だった。これが罪の現実でもあり、私たちはこのような社会にしっかりと立ち向かわなくてはならない。

 日本のクリスチャンは、日本にあるあらゆる差別をどれほど気にしているだろうか?特に在日との問題を後回しにしてきた付けは大きい。

 今も多くの人を「イコール BUT セパレート」していると思う。当然イコールというのは、名目にすぎない。自分の罪を覆い隠す為の偽善にすぎない。

 このような言葉が、日本のキリスト教界にも多くあると思う。「兄弟姉妹としてはイコールでも、あの教会・教派とはセパレート」というように・・・しかも、ややもすると更に歪んで「私(牧師/指導者/責任者/リーダー)と兄弟姉妹はイコールではない、だから、私にidentify(アイデンティフィ 『結びつく, 関係する, 共同する, 仲間いりする、同一視する, 一体感をもつ』)しろ」となりかねない。

 

 あくまでも私たちは、「セパレート BUT イコール」でなくてはならないと思う。個人として、主の前に立ち、主の前で責任を果たす。そのような自立した人間として、セパレートし、でもその神の故にイコールであるという認識が非常に大切だと思う。

「大統領信じている」-裏切られた

日本国民にショック


 北朝鮮のテロ支援国家の指定解除が何故それほどまでショックなのか・・・うとい私にはわからずにいます。

テロ支援国家指定 ⇒ 北朝鮮の疲弊 ⇒ 指定解除を求めて強攻策 ⇒ テロ活動へ となるよりは、指定解除 ⇒ 交流の増加 ⇒ 拉致問題の解決の糸口 ⇒ 軋轢の減少 ⇒ テロの危険性の減少 となる方がいいのでは?

 テロ支援国家だったとすれば、なおさら、国と良い関係を築けば、国がテロを指示したり支援したりすることはなくなるのではないかと素人考えをしてしまいます。


 外交って人間関係と一緒で、力(の優劣)の関係しか築けない人が人間的に未熟なように、経済力や軍事力でしか関係をもてない国も未熟だと思う。

 良い関係・コミュニケーションを取れる関係は、決して、強い弱いは関係ない。むしろ弱い犬ほどよくほえるものだ。強いから関係を築くのではなく、関係を築ける人・国が強い人・国なのだと思う。