クリスチャンは、自称でも他称でも「クリスチャン」というだけで、喜ぶ傾向があると思う。麻生氏はカトリックのクリスチャンらしいのだが、私は手放しで喜ぶつもりはない。いや、むしろ、彼がなったことを非常に残念に感じている。

 普段は、「カトリックはキリスト教ではない」とか「クリスチャンは政治をかたるべきでない。霊的な事柄に集中すべきである」とか言っている熱心な人ほど、「天皇家にクリスチャンがいる(ようだ)」とか、「なんとかという政治家はクリスチャン(のようだ)」と喜んでいる。

 こういうのをダブルスタンダードというと思う。




先日、「パッチギ LVE&PEACE」を見ました。

おもしろかった。いろいろ書きたいことがあるが、あまりにも多いため、この場では書ききれない。それほど、僕はいい映画だと思った。


これを「反日映画」という事の方が、国を愛していない「反日」的行為だと思う。

在日が事実としており、彼らへの差別があるのだから。負の部分には目をつむり、独りよがりな日本観・正義感・ロマンを振り回すのは、反日的行為であるといいたい。

負の部分を見つめ、二度とそのような事にならないようにする、罪を悔い改めるという行為こそ、愛国的行為であると思う。


 今回一番思ったのは、日本国内にある差別や、苦しんでいる同胞、根拠のない差別を受けている異邦人に対して目をつむり、教会内で、愛を語っているだけのキリスト教会には、何の力もないということであった。

「日本は平和」「信仰の自由がある」「民主主義」「平等」など等。だから、「差別があり、信仰の自由がない、共産主義で不平等な」国の為に祈りましょう。みたいな。 更に「韓国の兄弟は、キリストにある愛でゆるしてくださった。ハレルヤ!」みたいな。でも、そういう中にも、特攻隊の犠牲とイエス様の犠牲の区別も、加害と被害の区別も、自虐と悔い改めの区別もつかないクリスチャンがいる。

 

 日本と朝鮮半島・中国・アジアの歴史、日本にいる被差別民の歴史等、戦争中に教会がした歴史、そういう事を本当に学び、自分の事として、認識できていたら、「韓国の兄弟姉妹は、キリストにある愛でゆるしてくださった。ハレルヤ!」見たいな事は気軽にはいえないはず。


 歴史の重さ、人の悲しみ、苦しみ等など、そして、罪に堕ちた人間がどれほどの苦しみの中にいるのか、そういったものを考えさせられた映画でした。




今度の総裁選には、キリスト教的背景をもった人が二人でる(麻生氏/石破氏)。

なんか、二人とも、なんつーか俺の政治的な立場とはまったく逆でして、暗澹たる思いにしかなりません。

キリスト教的背景がある方が、攻撃的になるのだろうか・・・?

平和をつくりだすものは幸いとイエス様は言われたはずなのに・・・


もう、自民党にいる時点で、私はOUTですけど・・・



新聞の勧誘員


朝日新聞販売店のバイトが、元暴力団員を名乗って脅迫し、無理やり新聞購読契約をさせて、逮捕されたらしい。ちょっとざまぁみろです。


僕も学生の時、同じような経験をしています。

大学3年生の時、引っ越して一人暮らしを始めてすぐ、新聞の勧誘員がきました。

そのときは、読売新聞の勧誘でした。

すんげーガラが悪くて、本当、脅迫された感じで、不覚にも契約してしまった。

あの悔しさは、今も心に残っています。次の日、当然契約解除に行きましたが・・・・

すんげー腹がたって、脅しに屈した敗北感がいっぱいでした。


それまで読売は大嫌いでしたが、それ以降は大大大嫌いになりました。