昨日、書いた大阪の強制代執行の件で、僕は当然のように、みなひでぇなぁと思うと思っていたのですが、必ずしもそうでもないことがわかってきました。

 私がウブなのか?

 結構、保育園側を批判したり、けなしたりする人間がいることに少なからず驚きを感じています。


 どうやら、まだ日本は「お上にさからう」ことは許されないようです。「お上がすることはいいこと」であるという夢の中にもいるようです。「こどもがかわいそう」という単純な思いも、馬鹿にされない何ともギスギスした社会になってきているのか?

 終りの時代、人々の愛は冷えると聖書に書かれているが、まさにそのとおりだなぁと思わされました。


 保育園側を批判する人は、それによって自分も「お上」側に立っている気分になっているかもしれませんが、殆ど大多数は、「お上」側ではなくて、実は自分も保育園側(力で大事なものを奪われうる存在)であるという事に気付くべきかもしれません。



保育園の菜園を奪う大阪

 第二京浜道路(京都市伏見区-大阪府門真市)の建設予定地に位置する北巣本保育園(門真市)の菜園が、16日に大阪府が行う行政代執行によって撤去される。近くサツマイモが収穫時を迎え、園児らがイモ堀を楽しみにしていたといい、同園では「橋本知事は“子供が笑う大阪”と言っていた。なんとか子供の楽しみと食育の場を奪わないで欲しい」と懇願するが、府は「これ以上待てば、工事に差し支える」と強硬な姿勢を崩さない

 野菜畑は同園理事の松本剛一さん(49)個人の土地だったが、20年ほど前から園児たちの菜園として提供。園児らは毎年、サツマイモやトマト、ピーマンなど四季の野菜を育て、近所の幼稚園児らとともに収穫、食べるのが恒例行事だった。

 松本さんは、平成15年に用地買収の交渉が始まっても「畑は園児たちにとって食べ物のありがたさや自然の雄大さを学んでもらう大切な場所」として用地売却を拒否していたが、今年3月に強制的な立ち退きが決定した。決定の取り消しを求めた大阪地裁での裁判でも「同園での食育活動は、他の代替地でも可能」などとして訴えは棄却され、現在も係争中だ。

 保育園では14日、保護者らとともに、府などに対し「高裁の判断も30日に出るし、あと2週間、芋掘りまで待ってほしい」という内容の要望書を郵便とファックスで送った。しかし府は「これ以上の延期すれば工事が間に合わない」と行政代執行を断行する構えだ。

 松本理事は「どうしてあとわずか2週間が待てないのでしょう。子供たちが育てた作物を奪う権利が、だれにあるのでしょうか。高速道路ができれば排気ガスなど園児への影響も心配です」と話している。

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この記事だけからでは、なかなかその背景や経緯を知ることはできませんが、成田闘争とほぼ同じ構図に見えます。農民が連綿と育て、作って来た土とその土地への愛着を、「代替がきく」と強制立ち退き。成田では空港をつくりましたが、ここでは道路です。


ここにもビジョンや歴史観の無さが見えます。結果として、目の前の利益しか考えられないのは当然です。

目の前の利益しか考えられない、いきあたりばったりのリーダーは本当に社会にとっては害悪だと思います。

そんな人はリーダーにならない方がいいと思うのですが・・・


>これ以上待てば、工事に差し支える」と強硬な姿勢

>畑は園児たちにとって食べ物のありがたさや自然の雄大さを学んでもらう大切な場所」

ほんの数週間の遅れによる経費と引き換えに、子たちへ与える大人や社会への不信感と、子どもたちが学び損ねる内容などを考えたとき、その将来にわたる費用対効果たるや大きなマイナスになるのでは?」


>強制的な立ち退きが決定

だいたい、強制的な立ち退きって強盗と一緒じゃないですか。よくネットで中国が農地を強制収用している事を批判したりおもしろおかしく騒ぎ立てていますが、日本も程度の差こそあれ、まさに五十歩百歩ですね。


>どうしてあとわずか2週間が待てないのでしょう。子供たちが育てた作物を奪う権利が、だれにあるのでしょうか

しかも、せめて「2週間待ってほしい」という願いさえ聞こうとしない行政。器小さすぎ。子どもたちが育てた作物を奪おうとする大人ってどんだけひどいんだという話です。


これを機に、子どもが立ち上がり「北巣本保育園闘争」なんて起こったら、それはそれで子ども達によい教育になるのでは?秩序は重んじ、他者の権利は守るべき。そして自分達の権利や自由が不当に奪われるときは、毅然と主張することを学ぶことができていいのかも。


でもネットで、この報道がされたことにより、大阪府に批判がいき、橋本知事のパフォーマンスでしぶしぶ2週間延期という筋書きになるのではないでしょうか・・・?

 だいたい、信仰が同じだったとしても、政治的な立場が全然違うということが、なぜかおこる。

それを否定するつもりはない。政治的立場の相違はあって当然なのだ。それを多数派が少数派に押し付けてはならないし、その逆もしかりだ。


 しかし、クリスチャンの中には、クリスチャンというだけで、「聖書的(何をもって聖書的というのか?)」政策をすると思いこみたがっている人がいるように見える。

 私などは、キリスト教的背景のある麻生氏より、共産党の方がはるかにまともで、聖書的な政策を掲げているとさえ思ってしまうが・・・?


 自民党が信仰の自由を守ると思ったら大間違いだ。天皇を拝む自称カトリック教徒の麻生氏の信仰的態度も政治的姿勢も、私は到底理解できないし、理解できないので支持もしたくない。


 クリスチャンが信仰の自由が守られていると思い込んでいるのは、信仰の自由を理解していないこと。戦っていないこと。相手にされていないこと。天皇という偶像を偶像と思っていないからだと思っているのは、僕だけかなぁ・・・




 クリスチャンなら、聖書の価値観から、その是非を判断すべきだと思う。

 彼(麻生氏)の世界観、アジア観(蔑視)、差別意識、言葉の軽さなど、とても彼を我国のリーダーとしては、認めたくないなぁというのが正直な気持ち。

 カトリックの信徒らしいですが、この日本を含めた世界を唯一の父なるまことの神が支配しているのだという世界観があるでしょうか?

 アジア蔑視や差別意識は、カトリックのそれとはまったく相入れない筈。軽いことばも、聖書の価値観とは全然ちがいます。

 「クリスチャン政治家=よい政治家」ではありません。

先日、子どもがうまれました。うれしいです。

病院の新生児室には、男の子がずらり。

私に(神様から)預けられた子も、男の子でした。


何かで聞いたのですが、戦争がおこる前は、男の子が多く生まれるとか生まれないとか・・・・

だとしたら、いやだなぁと単純に思います。


日本は相変わらず、アメリカに盲従し、北朝鮮や中国を見下している情勢下、ロシアも力をつけてきました。

「ロシアの脅威から守るために、拉致された(らしい)日本人を助けるため、中国の崩壊を止めるため、自衛隊(軍隊)を旧満州に派遣すべき!!」みたいな、やたら勇ましい論調も出かねません・・・

そしたら、いつか来た道は目の前です。

そして、これもいつか来た道なのですが、「国の為に命を捧げる」という事に魅力や価値を見出しているクリスチャンも結構います。


冗談じゃありません。

クリスチャンなら、「主イエスキリストと平和の為に命を捧げるべき」です。

そして、平和のための戦争など、この世にはありません。すべて自称「平和の為の戦争」です。

国の為に命を失っても、復活も永遠のいのちもありません。

復活したイエス様の為に命をささげるべきです。


普通の親なら我が子が殺されるのも耐えられないし、他人を殺すのも耐えられない筈。

そして普通の親なら、そのような社会にならないように望んで当然の筈。

これは、平和ボケでもなんでもない当然の感情。

そんな当然の感情に基づいて平和を訴えることさえも「アカ」「ひだり」「めんどくさい」「うざい」「自虐史観」というレッテルさえ貼られかねない雰囲気が、今の日本にないでしょうか?


私は現在の情勢下で、自民党に投票し、外交や政治よりも経済を優先し、この国の現状維持を願う人、もしくは反対票を投票しない人には、本気ですか?って思っちゃいます。

もちろんそれを否定し、考えを変えろとは言いません。言ったところで意味ないし。

ただ、分かり合えないだろうなとは思います。


「死にいたるまで忠実でありなさい(黙)。」とあります。

国や社会に対してではなく、あくまで神様に忠実であってほしいと願っていますし、

私も親としてそうありたいと願っています。

そして、神様に忠実である事が、死にいたってしまう社会や情勢にはなって欲しくないと願ってやみません。