国民に大事な事隠してねーか↓

http://topics.jp.msn.com/wadai/j-cast/article.aspx?articleid=546040

東電も民主党も何か胡散臭ぇ。





真性ゲロカス糞集団↓

http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-3430.html

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/500071/

未曾有の国難のドサクサにまぎれて、何をやらかそうとてか。

仮面を被った社会党。人命よりもイデオロギー。

マジでクズだわ。コイツら。






本日の一句







民主党

本日からは

TRASH党



お粗末








昨日、渋谷O-EASTでKT Tunstallのライブを見てきました、、、
と書く筈だったのですが、震災の影響で延期になってました。
現在の状況では致し方無いでしょう。9月1日まで楽しみは取っておくことにします。
前回の品川プリンスステラボールでのライブはメチャ盛り上がったから、期待感がモリモリ、ムクムク湧き上がってきます。


Suddenly I See↓




My Sharona feat.Keren Ann↓


KTとKeren、姉妹と見紛う程よく似てる。

昨日のチャリティーマッチ、テレビ観戦しました。

内容に関して云々する類の試合ではないので拙稿で触れる積りはありません。

各選手の気持ちが反映されていた、その事が只々嬉しかったですね。

私が考えたのは日本サッカー協会の行動力についてです。

代表選手、スター選手を招集し、会場を押さえ、ユニフォーム等の備品消耗品を手配し、チケットを捌き、恙無く開催に漕ぎ着けた一連の行動の迅速は、敬意を表する値するものだと思います。

まさに「兵は神速を尊ぶ」を具現化したといえます。

リーグ戦中断を決めた大英断と併せサポーター、被災者、国民から高い評価を受けることでしょう。

それに引き換え、、、とは言うまい。いずれ評価に晒される事になるのだから。



それにしてもカズは凄いよ。





おいらと同学年!

カズはキングで

俺メタボ


人生色々

男も色々

イェーイ!

犬さん、猫さん達は人間社会の喧騒に関係なく平和ですね。



日向ぼっこ中の猫さん、東向島にて↓

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110329 犬猫 (1)




カメラを向けたら目線をくれた犬さん、

東向島にて↓
愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110329 犬猫 (2)


人間社会にも早く平穏が訪れるといいのに、、、

本日、仕事の合間をぬってすみだ郷土文化資料館にて開催中の「戦争孤児 東京空襲と残された子どもたち」を鑑賞。

空襲によって親を失った子供たちが戦後どの様に扱われ、育っていったのか、を示す資料が展示されていました。

今回の展示で孤児の方々の手記やイラスト、ビデオ証言でその生々しい実態を垣間見ることができ、有意義な時間を過ごしました。

以下、配布資料より引用します。


~~以下引用~~

第二次世界大戦により、両親を亡くした戦争孤児が多数生み出されたことは周知の事実です。しかし他の戦争体験者に比べ、孤児達の証言が一般に伝えれれることは極めて少なく、その実像はほとんど知られていません。

資料館ではこれまで、空襲体験がもたらす心の傷ゆえに証言できない、という多くの方々に接してきました。しかし孤児の証言記録が乏しい理由には更に複雑な背景があります。戦争による親族の死の衝撃に加え、戦後のいわれのない偏見と無理解に根ざした放置・差別は、孤児達が口を閉ざす大きな要因になってきました。

東京の戦争孤児はいかにして発生し、戦後、どのように生きてこられたのでしょうか。孤児達自身の証言・記録・写真・絵画の展示を通して、東京の戦争孤児の実態を紹介します。

昭和22(1947)年12月当時、20才以下の両親をもたない孤児総数は12万3511人、そのうち8才から14才までの学齢期の子供が57731人で全体の約半数を占めるとする厚生省の調査記録があります。その多くは空襲で両親を亡くした戦争孤児でした。戦争孤児は社会の中でどのように扱われてきたのでしょうか。


昭和19(1944)年8月に、マリアナ諸島を占領した米軍は、長距離爆撃機B29用の基地を建設し、同年11月以降、日本全土が空襲の危機にさらされることになりました。

この事態をうけ、東京都は、昭和20(1945)年1月に、空襲で犠牲となった保護者の代わりに孤児の保護を行うことを目的とした機関、東京都疎開学童援護会を設立します。前年より、国民学校(小学校)3年以上を対象に学童疎開が本格的に実施されていましたが、都市空襲で疎開中に両親が死亡するケースが想定されたため、当該機関が設立されたのです。

この機関は、東京空襲後、5月に世田谷区に戦災孤児援護学寮(二子玉川寮)を開設し、孤児を収容しました。このほか、昭和19(1944)年10月に開設された戦災援護会によって開設された杉並区の「子供の家」には、乳幼児の孤児が収容されました。しかしいずれも、収容者はごく少数にとどまりました。


・・・中略・・・


このように敗戦前から戦争孤児対策は計画・立案されていましたが、予算措置が講じられず、結局、具体化できないか、効果の乏しい、ごく限られた実施にとどまりました。そしてむしろ戦後になってから、孤児達は苦難の道を歩み始めることになります。


深川区(現江東区)の鉄工場経営者の末っ子として生まれた永田郁子さんは、9才の時、東京大空襲で両親と姉3人を亡くし孤児となりました。敗戦後、郁子さんは愛知県の母の実家に引き取られることになりました。しかしそこでは、母の荷物を勝手に処分されたり、物がなくなると無実の罪を着せられたり、食事も「居候に二杯も食べさせるな」と言われるなど、差別的待遇を受けます。親戚中から厄介者扱いされた郁子さんは、金沢にいた兄の元に身を寄せますが、兄も就職先で入寮するため、その知人宅を転々とせざるを得なくなります。ある日、ついに帰る場所がなくなり、神社で数日間、野宿することになりました。心まで凍てつく真夜中の神社で、一人、亡くなった親を偲び過ごす毎日です。その後、自分を探していた兄と出会い、ようやく野宿生活から抜け出すことができたのでした。

城東区(現江東区)で育った金子トミさんは、昭和20(1945)年8月、15才の時に、山形県の母の実家に疎開中、幼い弟・妹2人とともに孤児となりました。叔父から栃木の父方の実家に行くよう言われたトミさんは、「ここで養ってもらえないのに付き合いのない親戚が面倒をみるわけがない」と思い、東京の実家を目指しました。しかし家は跡形もなく焼け落ちており、やむなく上野駅に出て浮浪児となりました。夜は駅の地下道で、雨の日は便所の便器の上に板を渡して過ごす毎日でした。目の前では次々に浮浪児が亡くなっていきます。人通りはあっても食べ物を恵む者はなく、トミさんは所持していた僅かな現金を下着の下に隠し、行商人からサツマイモを買い、飢えをしのいだのです。

それまで家族に大切に養われていた子供達が、空襲で一夜のうちに境遇を一変させ、引き取られた親戚・知人にも差別を受け逃げ出さざるを得なくなり、浮浪児に転落していくのです。親身に孤児の世話をした養父母もいましたが、逆に保護者の差別・虐待による苦しみが不断に浮浪児を生み出していく構造が、戦後の社会の中に存在していました。


金子さんは浮浪児だった頃、「つかまると牢屋に入れられ水をかけられる」と聞き、「狩り込み」と呼ばれる浮浪児の強制収容が最も恐ろしかったと証言します。常に生と死の境目にある浮浪児は、物乞い、靴磨き、新聞売り、モク(吸い殻)拾い、露天商の手伝いのほか、スリなどの非合法手段でかろうじて日々の糧を得る子もいました。


・・・中略・・・


空襲による両親の死は、当時のすべての子供達に襲いかかっても不思議ではない事態です。したがって戦争孤児は、決して特殊な存在ではありません。誰にでも起こり得た問題としてとらえ、今、改めて孤児達の証言に耳を傾ける必要があるのです。

~~引用終了~~



展示品中、一葉の写真に私は惹き付けられました。孤児の腕にヒロポンの注射痕があるか確認している医療関係者の様子を写したものです。混乱期の最下層に置かれていた孤児を食い物にしていた連中がいたという事を示しています。戦後の社会の混乱と人心の荒廃が孤児達を犯罪の加害者にも被害者にもした、そういう狂気の時代だったのでしょう。或いはいつの世も変わらない人間の業なのでしょうか。

幼くして孤児となり、不遇な生活を余儀なくされた彼らこそ戦争の最も悲惨な被害者ともいえます。非戦闘員たる一般市民を大量虐殺した空襲は憎むべき戦争の一断面とはいえ、切なく重苦しい気分を覚えます。

私が子供だった頃、自宅近くの上野駅、特に不忍口は敗戦直後の雰囲気を色濃く残していました。義手義足を付けた傷痍軍人が寄付を募っていた光景が今も目に焼き付いて離れません。拙宅の周辺も昭和40年代には所々に「終戦直後」を感じさせるスポットが存在していたのを思い出します。

余談ですが最近、戦後建てられた看板建築が急速に解体され無くなっています。今のうちに記録を残していかなければいけないと思いました。

連日、放射線被害の報道が溢れていますが、「この程度なら安全」「是位なら大丈夫」という主張が圧倒的に多い感じです。

専門知識を持たない素人が軽々にオーソリティの発言に口を挟む積りはありませんが、彼らの発言の前提条件が「人間」の「成人」である事が殆どがです。

しからば、ペットや小動物に対する影響はどうなのだろう、と考えてしまいます。

人間よりはるかに小さい犬さん、猫さんにとっては影響無しと言えるのでしょうか。

現実問題として水道水を飲み水として与えていいものかどうか、判断に窮します。

人間がやらかした事故で、犬猫さん達が病気になったりしたら申し訳無い。

本日、銀座ニコンサロンで「石川武志写真展 ガンガー巡礼」を鑑賞。

ガンガーとは母なるガンジス川という様な意味らしいのですが、ガンジス川に集う巡礼者、瞑想に耽る修行者、性同一性障害と思しき人達、両足と手の指を切断され物乞いを生業とする下層カーストの男、その他一言では表現不可能なインドの多様性を、モノクロームの画面に写し込んだ力強い作品でした。

インドの最下層カーストの子供は幼いうちに両手両足を切断される、という事を本で読んだ記憶があります。

物乞いを生業とするしか生きる術がない最下層カーストの母親が、将来我が子が物乞いをする時に人々から哀れみを誘い、施しを受けやすくする為に敢えて非情の措置をとるのだそうです。

何とも重苦しい気分にさせられる話ですが、近年伝統的なカースト職業制度の枠に収まらない職種が現れています。IT技術者やキャビン・アテンダント等がそれに当たるらしいのですが、其の様な職種には出身カーストに関係無く就く事が出来るので、今後陋習が多少なりとも改まっていくかも知れません。

話が逸れました。本展は3月29日まで開催しています。

その後、JCIIフォトサロンへ移動し「ときを刻んだ写真 保存が望まれるフィルム」を鑑賞。

展示作品は木村伊兵衛、濱谷浩ら巨匠の歴史的名作が多く見応えがありましたが、本展のサブタイトルにあるように時間の経過とともに劣化するフィルムの保存に関しての展示が衝撃的でした。

ヒビ割れを起こしたもの、保管容器に付着してしまったもの、乾燥させ過ぎて丸まってしまったもの、暗澹たる思いがしました。

高温多湿の我が国は元々がフィルム保存には不利な条件下にあるのですが、一旦劣化し始めたら修復は事実上不可能に近いものがあります。

にもかかわらず、我が国は国家として貴重なフィルム保存には殆ど眼を向ける事が無く、近年になってようやく文化庁が調査に動き出す有様で、誠にお寒い状況である現実が強調されていました。

写真家が鬼籍に入ってしまった後は遺族がフィルムを保管するケースが多いのですが、その遺族の方々が写真やフィルムの保管について知識を有しているとは限らず、寧ろ無知である場合の方が圧倒的に多い状況で、フィルムにカビが生えてしまったりヴィネガーシンドロームが発生したり、という様な悲しい結果になっているようです。

それでも、何とか保管してあるのならば手の打ちようも或いは有るのかも知れませんが、写真の価値が分からずに廃棄処分の憂き目に遭っているケースまで有るとの事なのです。最早一刻の猶予も無いと思います。


何年も前に撮影したフィルム、最近見てないけどどうなっているか心配になってきました。



自転車で銀座から一番町へ移動、

途中で日比谷公園で一息↓

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110327 (1)


愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110327 (2)




JCII正面↓

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110327 (5)





おまけ

秋葉原石丸ソフト、本日閉店

思い出がいっぱい↓
愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110327 (6)

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110327 (8)










昨日3月26日、すみだリバーサイドホールギャラリーにて開催中の「北斎誕生250年記念展覧会~北斎のバードアイ ピーター・モースコレクションより~」を鑑賞してきました、、、

の筈だったのですが、会場に着いてみたら震災の影響で中止になっていました。同時開催の「北斎復刻版画展」はやっていたので、こちらを鑑賞。

東京伝統木版画工芸協同組合が、北斎幻の作品ともいわれている連作「千絵の海」を伝統の技法で復刻した版画を中心に、余りにも有名な「富嶽三十六景」から少々、という内容でした。

私は不勉強にして「千絵の海」の存在すら知らなかったので、興味を持って鑑賞しました。浮世絵に関する知識も鑑識眼もない身ですが、素晴らしい作品だと感じました。富嶽三十六景に匹敵するものだと思います。

他には有名な富士山や拙宅の近くにある浅草本願寺(東本願寺)を描いた作品が特に印象に残りました。

震災さえ無ければ記念展も鑑賞できたので、返す返すも残念。震災の影響という事でいえば同所で乳幼児への飲料水を配布していました。早期の原発事故収束を願うばかりです。

その後、オリンパスギャラリー東京にて開催中の「Maz Ken写真展 妄想空間;Fanciful Space 妄想と光画の空間」を鑑賞。雑誌月刊カメラマン誌上でフォトコンテストの審査員として健筆を振るっている作家の注目写真展です。

作品の製作過程が非常にユニークで、素になる写真を往年の銘機オリンパスペン(フィルムカメラの方、最近のマイクロフォーサーズ機ではない)で写し、現像したフィルムをスキャナーで取り込みPCで加工する、という手法で仕上げています。無機的な機械や造形が既視感を伴った郷愁を呼び起こすかの様な、それでいて現実感を超越した不思議な感覚を覚えます。これが作者が云うところの「電脳光画」の真骨頂なのでしょう。エモーショナルで刺激的な展示でした。4月5日まで開催しているので、時間のある方は足を運んでみては如何でしょう。



すみだリバーサイドホール

エントランスの鏡面に映り込むスカイツリー↓
愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110326 (1)



目の前はスカイツリー↓
愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110326 (2)



墨田区出身、勝海舟像↓
愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110326 (9)



海舟、リバーサイドホールと

アサヒビール本社を臨む之図↓
愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110326 (8)



おまけ

吾妻橋より東京名所建築を臨む↓
愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110326 (11)

昨日、ん?否、本日か。「朝まで生テレビ」を見てしまいました。

相も変わらずグダグダな感じで笑えたのですが、テーマが当然というか此の度の震災と原発事故だったのでついつい、、、

どういう訳かホリエモンが出ていたのが大爆笑。どんな人選基準なんだよ。余りにも場違い過ぎッしょ。

まぁ、堀江自身もそこら辺は多少自覚していたらしく、発言は控え目な感じ。

シャベくらない堀江、何か胡散くさぇ。しゃべればしゃべったで詐欺師っぽくて怪しいし、、、どちらにしても笑える御仁だな。

放射線被害の事やら計画停電に関しての知見を得たので、全くの無駄時間では無かったという事にしておきましょう。

陛下の大御心↓

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110324/imp11032421310002-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110324/imp11032415490001-n1.htm

我が国は皇室とともにある。

臣雷電、日本に生まれた幸せを感じています。






結局は国民の良識が勝つ↓

http://topics.jp.msn.com/sports/baseball/article.aspx?articleid=541610

http://topics.jp.msn.com/sports/baseball/article.aspx?articleid=541612

http://topics.jp.msn.com/sports/baseball/article.aspx?articleid=541029

大読売1000万部(押し紙含む)は「俗説」に屈した訳である。

陛下御自ら国民と労苦を分かち合う最中に、自らの利益を恣にせんとするその姿勢、国民の良識を「俗説」と嘯く尊大なる態度、万死に値する!

主筆先生閣下(ナベツネ)、飼い犬一号(滝鼻)、飼い犬二号(清武)、腹を切れ!






ホームゲームは

多摩川

グラウンドで

やれや!





トンヅラ大臣が牙を剥いた↓

http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=JAPAN-202487&cc=03&nt=00

何でも増税する積りか。

天災を奇貨として国民に汚いケツを拭かせようと画策している。





もとから誰も信用してない↓

http://money.jp.msn.com/investor/funds/columns/columnarticle.aspx?ac=fp2011030801&cc=03&nt=03

歴史を捏造する国。統計のデッチ上げなど朝飯前。





けっ↓

http://sankei.jp.msn.com/economy/topics/economy-14680-t1.htm

公的資金という名の血税投入か?またもや国民が尻ぬぐい。