最近よくJ-WAVEでかかっている曲。
ちょっと気になったのでPVを探してみました。


Gentileska "Dammi un po' d'amore" ↓


何か、中学時代を思い出してしまう様なメロ。

そうだ、そういう事だっ↓


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110427/dst11042703280000-n1.htm


以前、拙稿において四十九日までは自粛已む無し。


但し、それを過ぎたら完全に日常に復帰すべし、という旨を


書いた。早いもので明日がその四十九日。


被災者に非ざる国民はこの際消費を楽しもう。


亡くなられた方々や被災者の方々に思いを馳せつつ、、、


そして、復興への意志を込めて、、、


特に富裕層は大いに散財して頂きたいものだ。


今なら許されるだろう。


私は貧民層であるが困窮の中にあっても貧しいなりに消費しよう。


まずはこのゴールデンウィーク期間、中古カメラ屋巡りから、、、








一億一丸


克震災!



一昨日観に行った写真展の感想など、、、


六本木をあとにして新宿へ移動。


ニコンサロンbis新宿で「2011東日本読売写真クラブ連合展」を鑑賞。


出展者が多いので、必然的に多くのテーマ、被写体、撮影技法、作風に触れる事になります。


写真に対する考え方の幅が拡がるというか、気付きを与えられるのがこの手の写真展の良い所。


皆さんお上手でした。




次に同じフロアーの新宿ニコンサロンで「中筋純写真展 黙示録チェルノブイリ再生の春」を鑑賞。


25年前の事故後、ゴーストタウン化したチェルノブイリの現在の姿を克明に記録した衝撃的な写真展です。


福島第一原子力発電所が周知の通りの状態の現在、良くも悪くもタイムリーとしか言いようがありません。それ故、本展を開催するべきか逡巡があったと冒頭挨拶文にありました。よく解かります。私は本展作品が原子力発電問題の啓発に成り得る力を持っていると感じているので、開催に賛同するものであります。


中筋純氏は廃墟の撮影で有名な写真家。写真集も出しているのでご存じかもしれないですね。


作品は主を失った家、埃を被った家具、使われることのない道具、傾きかけた銅像等々、過ぎ去った時間が如何に空虚であったかを思わせ切なくなります。


約40点の展示作品中、人間が映っているものが2点しかないのがあの事故の重大なるを雄弁に物語っているように感じました。福島が此の様な事に成らないよう祈らずにはいられません。




次は新宿センタービルのペンタックスフォーラムで「太田有美子写真展 こころからの贈り物」を鑑賞。


花、草、虫、等の被写体を柔らかなフォーカスと独特の色彩で表現した作風が特徴的でした。


被写体を擬人化したキャプションも秀逸で作者のセンスが窺えます。


展示作品を貫く世界観が心地良く、見ていて楽しい気分に浸れる写真展でした。

本日も例によってやって来ました。野良猫子猫改め初代えびぞー。


朝メシを食べていましたが、そこに現れたるは盗っ人とら。力関係は明らかに盗っ人とらが上。あっさり朝メシを横取りされました。


ただ、そこで引き下がらないのが初代えびぞー。


盗っ人とらの尻尾にチョッカイを出したところ、、、






ねこパンチを喰らった。その瞬間↓


愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110426 猫 (1)








邪魔者を追い払い余裕でメシを食う↓


愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110426 猫 (3)








只管食い続ける↓


愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110426 猫 (2)








哀愁漂う初代えびぞー↓


愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110426 猫 (4)








おまけ、年寄り野良猫 ごまにゃん↓

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110426 猫 (5)






















昨日、内田九一展の後同じフロアーで同時開催中の「浅井譲写真展 take a picture 愉しむ写真へ」と「藤本雅之写真展 富士 遥かなる孤峰」を鑑賞。


前者は撮影者が世界各地の観光地で撮った作品で構成されていました。


ほぼ全ての写真に人が映っているのですが、被写体の人が実にいい笑顔をしているのが印象的でした。


撮影を楽しみ、楽しい写真を撮り、愉しむ写真へと昇華させているように感じました。


後者はタイトルの通り、霊峰富士を大判カメラを中心に一部中判カメラを使って作品作りをしています。


所謂山岳写真なのですが、実際に山に登った人でなければ写せない雄大で峻厳な富士の姿に圧倒されました。


雲海から頂上を出している様を活写した作品、夕日を浴びて輝く稜線を捉えた作品等は浮世絵と見紛う錯覚を覚えました。



毎日うちにやって来る図々しい野良猫子猫、例によって今日も来ました。


飽きもせずよく来るものだと感心しますが、もう半年経ったのか、、、


そろそろ名前でも付けてやるか。






コイツ↓

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110424 野良猫子猫 (3)


う~ん、歌舞伎役者みたいな顔してるな。


模様が隈取っぽい。






机の上に乗るなよ↓


愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110424 野良猫子猫 (2)


性格・・・我儘、気儘、図々しい、自分勝手、


自己中心的、短気、、、






反省はしない。一切しない↓

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110424 野良猫子猫 (1)


都合の悪いことは完全スルー。










・・・










     ・・・












         ・・・












!



















命名












えびぞー       








メスだけど、、、

可愛がっていた我が家の一員、黒猫のくまにゃんが家出して今日で丁度半年が経ちました。


毎日思い出して苦しい思いをしています。


今でも黒い猫を見ると思わず近寄って確認してしまいます。


心の整理がつくまで、まだ暫く時間が必要なようです。

本日は6つの写真展に行ってきました。


まずは六本木、東京ミッドタウンの富士フィルム写真歴史博物館で「幕末・明治の寫眞師 内田九一展 第一部風景編Ⅰ」を鑑賞。


内田九一は明治大帝の御真影を撮影した人物として有名です。


我々が現在目にする、椅子に腰掛け洋装を身に纏い、やや斜め前に視線を向けてらっしゃる明治大帝の御真影は彼の手になるものです。


当時の宮内省が信頼して行幸に同行させるほどの技術と社会的地位を得ていた人物であったわけです。


展示はオリジナルを忠実に再現した高画質銀塩プリントと但し書きがありました。恐らくオリジナルは鶏卵紙だったと思われますが、色調、階調、解像感等当時の寫眞の雰囲気がよく再現されていたと思います。


内容はサブタイトルにある通り、東京を中心として関東の風景、名所を写した作品で構成されていました。




以下は作品タイトルと推定撮影年




「横須賀造船所」 撮影年 1868年~1875年頃


「東海道から富士山の遠景」 撮影年 1868年~1875年頃


「鎌倉長谷大仏」 撮影年 1872年頃


「鎌倉鶴岡八幡宮」 撮影年 1868年~1875年頃


「亀戸天神社」 撮影年 1868年~1875年頃


「向島牛島神社」 撮影年 1872年頃


「柳橋万八楼景」 撮影年 1868年~1875年頃


「築地佃島」 撮影年 1872年頃


「向島」 撮影年 1868年~1875年頃


「堀田伯爵の庭園(向島堀田庭園)」 撮影年 1868年~1875年頃


「向島隅田川船」 撮影年 1872年頃


「隅田川の屋形船」 撮影年 1872年頃


「浅草の二尊仏」 撮影年 1868年~1875年頃


「浅草寺五重塔と鐘楼(浅草寺弁天池と鐘楼)」 撮影年 1868年~1875年頃


「招魂社」 撮影年 1872年~1873年頃


「上野公園と人力車」 撮影年 1872年頃


他多数。




我が国写真史黎明期最重要人物の貴重な作品展でした。






東京ミッドタウン↓

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110424 (1)




愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110424 (2)


本日は、一日中ずっと雨。風も強かったですね。


まぁ、読書には丁度いい天気ではありますが、、、


予定では写真展を三ヶ所巡る積もりでいたのですが、仕方ないでしょう。


本日読了の本は表題の「私はいかにして『日本信徒』となったか」 著:呉善花 PHP文庫 です。


購入したのは数年前なのですが、忙しさにかまけて、というよりネットに時間を割いてしまった為、読みそびれていた本です。先日の地震で書棚から蔵書が多数落ちてきたのですが、其の中に本書があり、この際読んでしまおうと思ったわけです。


内容としては、韓国人の著者が日本に留学して以来考え続けてきた日韓の違いについての考察が中心をなしています。


著者は世代的に韓国で徹底的な反日教育を受けてきた、と告白しています。しかし実際に日本で暮らしてみると自分が受けてきた教育、それに伴い形成された先入観とは全く違う好印象を持ったと言っています。


何故なのか。その理由を探すことが彼女の一大テーマとなっていきます。


多くの日本人との邂逅や在日韓国人との交友、摩擦を通して徐々に彼女なりの思考を固めていくのですが、その過程を軽妙洒脱な文章によって克明に書き留めたものが本書と言って良いかと思います。


彼女の生い立ちや生育環境、軍務経験やその後の職業遍歴等を通して著者の一人の韓国人女性としての人物像が明らかになってきます。その彼女が日本に渡り、日韓の相剋に悩み、アイデンティティを引き裂かれる程の懊悩を経て、それでもなお力強く生きていく姿勢は爽やかな感動を呼び起こすものです。


本書は一人の女性の成長譚ともいえますし、勝れて日韓の比較文化論として読むことも出来ます。著者の並々ならぬ観察眼と洞察力の賜物といえるでしょう。肩肘の張らない文体は恐らく著者のキャラクターの反映だと思われます。彼女が物した多数の著作と併せて一読をお薦めする次第です。

野良猫子猫は本日も我儘全開。


今朝、空中の一点を凝視しているので何かと思い、視線の先を見てみると電線に停まっている鳩が一羽、、、


取って食う積りなのか?小さくても野生の本能が有るんですね。




一点凝視↓


愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110422 野良猫子猫 (1)






殺気を出している↓


愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110422 野良猫子猫 (2)






電線まではジャンプ出来ない↓

愛に彷徨する愚物の咆哮記 雷電のブログ-20110422 野良猫子猫 (3)