目覚めたら、「心豊かな日々」でした。 -33ページ目

桜とともに感じる「今」

三浦はこの時期

河津桜がきれいに咲き誇っています。


目覚めたら、「心豊かな日々」でした。-桜

かわいいピンク色の桜を見ていたら、

たくさんの春のエネルギーを感じて、

すごくワクワクしてきました。


そのワクワクとともに

ふと蘇ってきた小学生頃の春の感覚。


高校生頃の春の感覚。


そしてそこから過去の記憶が思い出されました。



意識が過去の記憶に入って行った時、

「今」から外れた気がしました。


そして再び今に意識を戻してみると、

たくさんのエネルギーを感じて、

もったいなくて受け取れないと感じている自分に気づきました。



美しい風景を見た時、

「どうにかしてそれを残したい」

そんなふうに必死に写真におさめようとしていたのは、

もしかして、「もったいなくて受け取れない」

と今に在ることから逃げていたのかもしれない。


受け取れるだけ受け取ろう。


そんな想いで桜と、菜の花と、青空と一緒の

「今」に在てみました。


そこにはたくさんの「今」のエネルギーがあふれていました。

コースづけの日々でした☆

土曜日から4日間、

セミナーに参加したり、勉強会に参加したりと、

奇跡のコースにどっぷりと浸かった日々でした。


コースに出会ったころは、

自分の中でなんとなく、

ちょっとうん臭さを感じていた私が、

結構真剣に取り組んでいるから面白い。



相手を通して自分の中に光を見る。

なぜなら、相手も自分も同じ一つの光だから。


日々の人生の中で、

少しでもこういう時間が増えたら

人生がより深く豊かで幸せなものになるんだろうな。

あと一歩。

自分をギュッと縛っていた紐が

外れてゆくような気づき。


それとともに開放されてゆく感覚。

自分の中がクリアになっている感覚。


いろいろなことがクリアに見えてくる。


だけど、現象が変わっていかない。



それは、

美味しいケーキを目の前にして、

ワクワクした気持ちでフォークを握っている状態を

続けているのと同じかもしれない。


ケーキを味わうためにはもう一歩。


ケーキは味わうためにあって、

私たちは体験するために生きているから。


あ~ん、パソコンが・・・

パソコンが、本日こ・わ・れ・た・・・。

セーフモードで立ち上げ直して再起動しても、
すぐ落ちる・・・。

パソコン新しくしてから
まだそんなに経ってないのに~ショック!


と何度も繰り返しているそばで
「またマイクロソフトが何かしたのかもね」
と旦那さんがボソッと。


そういえば、昨日シャットダウンする時なんかダウンロードしてた!
そういえば、今日立ち上げる時なんか更新してた!!

そしてパソが落ちるのは、
決まってIEを立ち上げた時だ!!!


まだ壊れてなかった良かった~~クラッカー


でも、使い慣れてたIEが使えない・・・
(また落ちるからダウン

代わりに使っているクロームが使い慣れてないからか、
「いつもと違~う」
とイライラさせてくれます。


ああ、当たり前とはなんとラクなことでしょう。
考えなくて良いのですから。

無意識で知っている心地よさ。
そりゃ続けてしまいますよ。
あーだこーだと言いつつも。

だって、無意識で行動出来ちゃうから、
あーだこーだいう余裕が逆にあるってことですもん・・・しょぼん


なんだかんだと言ってても、
なんだかんだと考えても、
状況は変わらない。

受け入れます。
この状況。


当たり前の良いところ。
そして、当たり前が変化を受け入れにくくすること。

いろいろ感じさせてくれますね。



こんなことをブログに書き綴っていたら、
「僕のパソコンはIE起動しても普通だけどね」
と・・・


なに~~~叫び

流れを滞らせるもの

少し前、久々に野村萬斎さんの「陰陽師」を観ました。


その中で強烈に印象に残ったのが

阿倍清明が源博雅に話している「呪す」のくだりのシーン。



「呪す」とは物や心を縛ること。


名で縛られている。


名がなくてもいなくなるというわけではない。


人を恨むその心も呪すということになる。



とか言っているシーンです。



公開当時は全くのスルーというか、

ふ~んくらいの感覚だったんじゃないかと思います。


が、今は「本質をつく、すごいことを言っているシーンだな」と感じます。



例えば「鎌田みかん」という名があることで、

自分でも無意識に鎌田みかんであろうとしているのかもしれない。


「これはやってもいいけど、これはやらない方がいい」とか。

「これは自分の役割」とか。

「こう見られたい」とか。
「こういう部分はOKだけど、こういう部分は改善しなきゃ」とか。


鎌田みかんの振舞いをしようとする。


言葉も、その人の知識や体験による縛り。


私たちは、日々気づかずに色々なことを縛っている。

そして縛られている。



でも、すべては本当はどんどんと変わりゆく、

そして色々な様を持つ存在そのもの。


だからそれを縛った途端、

流れに滞りができて、本来の状態でなくなることに苦しくなるんですね。


だから「呪」という字を使うのかしら?


変わらないものは存在そのもの。

その存在がいろいろな状態をになるだけ。


それをいつも心に留めておけたら、

もう少し呪を解きやすくなるかな?



それにしても、野村萬斎さんステキですドキドキ