広がる世界が変わる地点
見る。
見ない。
見えない。
決めているの、
誰でしょう?
同じ事象を見ていても、
見る視点、そこで働く思考で
広がる世界がまるで違ってきますよね。
「今」
何を見ていますか?
何を感じていますか?
あるがまま
同じような場所に植わっているけれど、
少しずつ咲く時期が異なっている桜さん。
全体的に例年より遅めに咲き始めたみたいですが、
早めにお花見に訪れたひとにもちゃんと楽しめたはず。
だって、
先に咲いとったで~
一足先に緑増やしてるで~
という木たちや
今来ている人楽しんでね~
という木たち。
もう少し後に来る人たち向けにしとくわ
という木までいる。
そして、
この木も、もう少ししたら楽しませてくれる。
咲く時期が早いから良いとか
遅いからダメとかでなく
大きいから良いとか
小さいからダメとかでなく
種が違うから何とかではなく
ただ、その時その時のタイミングで美しく咲いている。
そして、その時その時のタイミングで出会う私たちがそれを楽しむ。
木たちは在るがまま。
そして、そんな木たちを私たちは在るがままに見ている。
それは木たちが在るがままだから。
在るがままで在る時、
もっと素直に認めあえ、
もっと自由に、本当の自分を、今を、楽しめる。
人生の意味
人生に意味を持たせたかったのかもしれない。
だから手を変え品を変え、
どうにかしても自分や自分のしていることに
価値を見出そうとしていた。
でも、そんなことを考えてるのは、
人間だけなのかも。
だって植物は考えていないと思うから。
動物も考えていないと思うから。
だから「今この瞬間」にただ在って、
どっしりグラウンディングしているのかな?
この世に生まれたのは自然の流れ。
今こうして生きているのも自然の流れ。
この世での人生は、
想像を超えた自然の大きな流れの中にの
とっても一部。
だから、意味があるかどうかはわからない。
あっても今はわからない。
とてつもなく大きな流れの全体像を知ることはできないから。
だから意味を持たせようとするのは
流れに逆らうことなのかもしれない。
本来の意味とは異なる意味を持たせようと
頑張ってしまうから。
大きな流れの中にいるなら、
きっとなるようになっている。
だから、「今この瞬間」に寛いで、
巡ってきたことを楽しむ。
そんな中、
思うかもしれない。
「ああ、このために在るのかな。人生。」
とか。
でも、それも、流れの中でまた新たに思うことが出てくるかもしれない。
結局頭で「これ!」なんて決めつけられるものでは
ないのでしょうね。
だから、人生に意味を持たせようと
頑張る必要はないのかも。
頑張らなくても、流れの中にすでにいるから。
流れの中
考えれば考えるほど硬くなる。
ちゃんとしようと思えば思うほど遠くなる。
はっと気づいて手放して。
繰り返しながら思うこと。
どうしてもどうにかしたい自分がいるのね。
でも、自分でコントロールできるもんじゃないんですって。
そりゃそうよ。
だって、想像を超えてる流れの中にいるんだから。




