うつ病格闘日記&気晴らしの詩 -326ページ目

続・事故で…

まだ容体が急変する可能性があったのでナースステーションのすぐそばの病室になった。
自らの意志で動かせるのは首と手。それ以外は動かそうにも動かなかった。痛みが一日中あり自由もきかない苦痛の日々。楽しみを探すどころではなかった。食事をとれないので点滴で栄養補給をしていた。

容体が安定してやっと食事をとれるようになったのだが一人でご飯を食べることもできず、食べさせてもらっていた。何一つ自分で、できないのが苦痛。体を拭くことも出来なかった。汗疹や床ずれができないよう毎日毎日看護士サンや担当医サン総勢五・六人くらいに体を持ち上げてもらい、その間に一人の看護士サンが背中を拭く。自分も痛くて辛かったのですが、なによりそれより皆さん重かったのに本当に毎日ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
ただまさか大人になってまでオムツをするとは…。最初は恥ずかしかったがそんなことはもうどうでもよくなった。
ただそれよりも痛みで眠れない夜がつらかった。することがない。できることがない。襲ってくる痛みに耐え切れなくなると痛み止めの注射を打ってもらう。それでやっと眠ることができた。



その後容態・痛みも落ち着いたので一般病棟の四人部屋に移ることになった。このあたりから、なぜか「なんとかなる」の心境になった。まだ動けないままだったが慣れとは恐いもので寝たままで一人で食事をすることができるようになったのだ。このへんが「なんとかなる」につながったのかもしれない。自分自身でできることが出来たからか。
ただまだ首と手が自由。あの時の記憶は病室の天井とかすかに窓から見える空。そのふたつだけ。いまだに忘れられない。

事故で…

今までの人生で二度救急車のお世話になっている。二度とも事故でのこと。
注・【うつ病】は関係なし。

最初のときは骨折。でも念のための入院で一日で済むくらいのことだった。しかし二度目がひどかった。

『もしかしたら助からないかもしれない状態。助かり治ったとしてもマヒなどの障害が残る可能性が高い。』という話を聞いた。上司も病院に着く前に事故現場を見て『あかん…死んだ。』そう思ったらしい。


生きているのが奇跡。治るのが奇跡。日常生活を支障が無く送れるのが奇跡。

病院での最初の話・状況を覚えている。医者・看護士に囲まれていて、ベッドに仰向きに寝かされていた。最初に医者から『血圧を測ると70-30しかなく、このまま血圧が上がらなければ手術をします。上がれば暫く様子を見ます。もし血圧がこれ以上下がると体内のどこかで血管が切れていて、取り返しがつかなくなるから。』そう聞いた。

運良く血圧が上がったので手術せずに済んだ。まずは一命は取り留めた。でもこれからベッドで一ヵ月間以上は過ごさなければならなかった。

胸の奥

君は何を思っているんだろう
そっけない態度でいつもいる
そばにいるだけでいいと言ったのはこっちなのに
満足できない気持ちはどこに消えるのだろう
それとも消えないのかな

常に知っていたい君の気持ち確かめるのは私自身の不安を消したいから身勝手かな

最初は楽しいことばかりだった
けれど楽しい時間は続かないの
それでもわがままでも辛い時は傍にいてほしい
誰に何を言われてもこのまま同じ時を過ごしたい
共に過ごしていきたい

常に知っていたい君の気持ち確かめるのは私自身の不安を消したいから身勝手かな

でもそれでも傍にいさせてね