雪にもめげず
先月、1月22日は不思議な日でした。
この日は、あるグループと一緒につくば市の国土交通省国土地理院の見学に行くことになっていたのです。
つくば市は東京よりも北にありますから、冬なら、東京が曇りでもつくばは雪、ということがよくあることで、つくばに行く人間にとっては油断の出来ない場所である訳です。
実は、これより先、東京では1月14日の午後から、今冬初めての猛烈な雪が降り始め、一晩に、私の日野の家の周りでは12-13㎝の降雪があったのです。
これは気象庁が、成人の日であるにもかかわらず、曇りだとしか言わなかった日で、振袖の女性も、雪のため偉い苦労をした日であった訳です。
これは気象庁の判断の誤り、ということで、国民の批判が絶えなかったのですが、1月22日は、これとは反対に、必ず雪が降るというご託宣となりました。
このことで、私も用心をしまして、秋葉原からつくば市まで成田エクスプレスに乗って行った訳ですが、実は、遂に雨は降らず、国土地理院に着いてからも、ほとんど雨に当たらずに済んだのです。
1月14日には曇りだと突っ張り、1月22日には雨・雪だと突っ張ったのは、気象学の微妙な変化だろうけれども、実は予報官の主観がなかったかどうか。
ともかくも、1月14日の失敗が、1月22日の失敗を生んだと考えれば我々としてはうれしいけれども、まさに、これは気象予報の微妙さの故なのでしょう。
つくばエクスプレスで東京から1時間ほどの「つくば市」にたどり着き、そこからバスで10分ほどの所が国土地理院ですから、東京から行きやすい範囲にあると言えます。
国土地理院は日本の測地学を担う組織ですので、明治以来、陸地測量部と呼ばれた時から今日まで、日本列島の地図、或いは個々の家の測量をがっちりと構築してきました。
身近には、個人の家の測量の精度などにも責任を持っているので、地味なようで実は極めて大事な仕事だということが分かります。
さて、私ども見学者のために「地図と測量の科学館」等が用意され、地理院の4人のスタッフが、誠心誠意、説明に意を尽くしてくれました。
広いキャンパスに日本を含むセミ・球形の地球が構築され、メガネをかけると、日本列島が立体的に見える装置など、子供にも分かる設備が備えられておりました。
日本列島を覆う1200本の測地衛星受信機を使った、2011年3月11日の東日本大震災の数値例などは、数値と図によって見事に映し出されておりました。
GPS(世界測地系システム)は最初米国によってはじめられた測位衛星システムでしたが、同様の衛星がロシア、中国、日本などによって始められ、それが測位の範囲をはみ出して、地球のすべての事象の全地球マッピングへと拡大し始めました。
例えば、世界の樹木被覆率とか、かたつむりの世界分布、などが、時々刻々と組み立てられつつある、ということは素晴らしいことだと思います。
国土地理院の一般向けの施設を見ることにより、これが地球全体が結び付く始まりになるだろうと期待され、これからが大いに楽しみになってきました。
この日は、あるグループと一緒につくば市の国土交通省国土地理院の見学に行くことになっていたのです。
つくば市は東京よりも北にありますから、冬なら、東京が曇りでもつくばは雪、ということがよくあることで、つくばに行く人間にとっては油断の出来ない場所である訳です。
実は、これより先、東京では1月14日の午後から、今冬初めての猛烈な雪が降り始め、一晩に、私の日野の家の周りでは12-13㎝の降雪があったのです。
これは気象庁が、成人の日であるにもかかわらず、曇りだとしか言わなかった日で、振袖の女性も、雪のため偉い苦労をした日であった訳です。
これは気象庁の判断の誤り、ということで、国民の批判が絶えなかったのですが、1月22日は、これとは反対に、必ず雪が降るというご託宣となりました。
このことで、私も用心をしまして、秋葉原からつくば市まで成田エクスプレスに乗って行った訳ですが、実は、遂に雨は降らず、国土地理院に着いてからも、ほとんど雨に当たらずに済んだのです。
1月14日には曇りだと突っ張り、1月22日には雨・雪だと突っ張ったのは、気象学の微妙な変化だろうけれども、実は予報官の主観がなかったかどうか。
ともかくも、1月14日の失敗が、1月22日の失敗を生んだと考えれば我々としてはうれしいけれども、まさに、これは気象予報の微妙さの故なのでしょう。
つくばエクスプレスで東京から1時間ほどの「つくば市」にたどり着き、そこからバスで10分ほどの所が国土地理院ですから、東京から行きやすい範囲にあると言えます。
国土地理院は日本の測地学を担う組織ですので、明治以来、陸地測量部と呼ばれた時から今日まで、日本列島の地図、或いは個々の家の測量をがっちりと構築してきました。
身近には、個人の家の測量の精度などにも責任を持っているので、地味なようで実は極めて大事な仕事だということが分かります。
さて、私ども見学者のために「地図と測量の科学館」等が用意され、地理院の4人のスタッフが、誠心誠意、説明に意を尽くしてくれました。
広いキャンパスに日本を含むセミ・球形の地球が構築され、メガネをかけると、日本列島が立体的に見える装置など、子供にも分かる設備が備えられておりました。
日本列島を覆う1200本の測地衛星受信機を使った、2011年3月11日の東日本大震災の数値例などは、数値と図によって見事に映し出されておりました。
GPS(世界測地系システム)は最初米国によってはじめられた測位衛星システムでしたが、同様の衛星がロシア、中国、日本などによって始められ、それが測位の範囲をはみ出して、地球のすべての事象の全地球マッピングへと拡大し始めました。
例えば、世界の樹木被覆率とか、かたつむりの世界分布、などが、時々刻々と組み立てられつつある、ということは素晴らしいことだと思います。
国土地理院の一般向けの施設を見ることにより、これが地球全体が結び付く始まりになるだろうと期待され、これからが大いに楽しみになってきました。
地震断層の年齢
この年の瀬にかけて少し会議が重なったようです。
どの一つをとっても大したものではないとは思うが、流れとして影響が大きいものもあります。
東日本の大地震津波(2011)を契機として、地震予知に対する考えが大きく変化しています。
最も典型的なことは、地震の大きさと予知にマクロ的に大きな関係がある、ということです。
これまで日本では、M(マグニチュード)が8.2以下の地震は100年ほどの繰り返しで起こるとされてきました。
日本の地震は、ほぼこの考えで収まると考えていたようです。
日本を含むこの環太平洋地域では、アラスカや南米、またインドネシアなど、Mが9を超す地震が起こったわけですが、日本人は最近まで、何故か、この大きさの地震は日本には関係がないと思っていたようです。
事実はそうではなくて、日本の記述された歴史2000年が、そのための研究には短すぎたのだということが分かってきたのです。
東北日本について言えば、紀元1000年前後にM=9前後の地震があったのではないか、と騒がれていますが、物事はその程度に曖昧に見過ごされていたのです。
今、最もかまびすしいのは、原子力発電所と活断層との関係の議論です。
日本の原子力発電所で、年齢が40万年よりも若い活断層の上にある発電所は今後稼働させない、という議論があります。
私はこれは大変に無茶な議論であると思っています。
40万年よりも若い活断層は間もなく動き出すのか、何万年後に動き出すのか、全く分からないと言って良いのです。
しかも、人間が対応できるのは100年以内だから、その予測が役に立つとは思えないのです。
やはり、ここで人間のできることは、可能なことはやり、不可能なことは運に任せることが大事だと思います。
去年の12月後半には衆議院選挙と、希望郷いわて文化大使懇談会、そして釜石応援ふるさと大使懇談会が続きました。
これらの行事は、つまるところ、東日本大震災と切り離すことが出来ないものです。
中でも岩手県の問題、釜石の問題、東北の復興に関わる問題は、最近の日本全般における大きな課題を包含しているものではないですか。
岩手県知事 達増拓也氏や釜石市長 野田武則氏は共に東北の農業、商業、企業等につき大変よく協力しており、達増氏の農産物の売り込み、野田氏の釜石湾口の道路や鉄の仕分けなど、大変に良く活躍しているようです。
衆議院議員の選挙は、民主党にとっても自民党にとっても、かなりのショッキングな出来事でしたが、かつての民主党の大勝、今回の自民党の大勝など、小選挙区制の特徴が如実に出た選挙でありました。
このことはさておき、今回の選挙については、民主党の結束不実が表面に現れ、それが二大政党を不安定にしてしまったことが悔やまれます。
本日は平成25年の始まりです。
日本の国の事情、国民感情も少しずつ分かってきました。従って将来のために最大限の効果を示すべく、我々もがんばっていきたいものです。
東北のみならず、西南、四国、九州、沖縄を含め、日本を最適に進めるべく、頑張ろうではありませんか。
どの一つをとっても大したものではないとは思うが、流れとして影響が大きいものもあります。
東日本の大地震津波(2011)を契機として、地震予知に対する考えが大きく変化しています。
最も典型的なことは、地震の大きさと予知にマクロ的に大きな関係がある、ということです。
これまで日本では、M(マグニチュード)が8.2以下の地震は100年ほどの繰り返しで起こるとされてきました。
日本の地震は、ほぼこの考えで収まると考えていたようです。
日本を含むこの環太平洋地域では、アラスカや南米、またインドネシアなど、Mが9を超す地震が起こったわけですが、日本人は最近まで、何故か、この大きさの地震は日本には関係がないと思っていたようです。
事実はそうではなくて、日本の記述された歴史2000年が、そのための研究には短すぎたのだということが分かってきたのです。
東北日本について言えば、紀元1000年前後にM=9前後の地震があったのではないか、と騒がれていますが、物事はその程度に曖昧に見過ごされていたのです。
今、最もかまびすしいのは、原子力発電所と活断層との関係の議論です。
日本の原子力発電所で、年齢が40万年よりも若い活断層の上にある発電所は今後稼働させない、という議論があります。
私はこれは大変に無茶な議論であると思っています。
40万年よりも若い活断層は間もなく動き出すのか、何万年後に動き出すのか、全く分からないと言って良いのです。
しかも、人間が対応できるのは100年以内だから、その予測が役に立つとは思えないのです。
やはり、ここで人間のできることは、可能なことはやり、不可能なことは運に任せることが大事だと思います。
去年の12月後半には衆議院選挙と、希望郷いわて文化大使懇談会、そして釜石応援ふるさと大使懇談会が続きました。
これらの行事は、つまるところ、東日本大震災と切り離すことが出来ないものです。
中でも岩手県の問題、釜石の問題、東北の復興に関わる問題は、最近の日本全般における大きな課題を包含しているものではないですか。
岩手県知事 達増拓也氏や釜石市長 野田武則氏は共に東北の農業、商業、企業等につき大変よく協力しており、達増氏の農産物の売り込み、野田氏の釜石湾口の道路や鉄の仕分けなど、大変に良く活躍しているようです。
衆議院議員の選挙は、民主党にとっても自民党にとっても、かなりのショッキングな出来事でしたが、かつての民主党の大勝、今回の自民党の大勝など、小選挙区制の特徴が如実に出た選挙でありました。
このことはさておき、今回の選挙については、民主党の結束不実が表面に現れ、それが二大政党を不安定にしてしまったことが悔やまれます。
本日は平成25年の始まりです。
日本の国の事情、国民感情も少しずつ分かってきました。従って将来のために最大限の効果を示すべく、我々もがんばっていきたいものです。
東北のみならず、西南、四国、九州、沖縄を含め、日本を最適に進めるべく、頑張ろうではありませんか。
久しぶりの「海洋研究開発機構」
最近は年寄りの会に交じることが多く、そこでの経験は、多くは2番煎じのものですが、時に、以前気が付かなかったものに出くわして、新たな感銘を催すことがあります。
現在、日本でもっとも進んでいる海洋研究所は(私にとっては、やや残念なことなのですが)、しばしばニュースにもなる「海洋研究開発機構」です。
先日、私は久しぶりに、この機構を訪問することが出来ました。
私は60歳までは東京大学海洋研究所に所属していたので、その間に何かにつけて、この機関とは付き合いがあったのです。
昔は海洋科学技術センターと言われていましたが、この機関は私が30代の頃から当時の科学技術庁と民間企業、特に三菱重工業が主となって、海の研究予算を道路工事なみかそれ以上に強化することを目標として頑張っていたことを思い出します。
当時、三菱重工業の重役であった 故 岡村健二氏の貢献は知らぬ人が居ないほどで、国際海洋開発会議の役員をしたり、外国の新知識をもって、日本中の海洋研究者、私もその一人でしたが、等に対して、いろいろと情報を流したり、参考意見を聞いたりしておりました。
岡村先生の追悼集は---内燃機関と海洋開発における業績---と名づけられましたが、1912年(大正元年)に生まれ、1989年(平成元年)に亡くなられた先生のお命は、若くしては内燃機関に、壮年以後は日本の海洋開発に捧げた方として評価されると考えます。
さて、私の海洋研究開発機構訪問は10数年ぶりですから、10人以上で行ったこの訪問では、知らないことも多々ありましたが、私が居たころに話題になっていたことが、次第に実行されているのだなという感想が強く、目をむくほどびっくりすることは無かったと思います。
海底地形を3次元的に詳細に見るソナーとか、海底下構造を3次元的に見る地震計とか、海底下数100mの物質を採取するとかは、昔から話題になっていたことで、それが着実に実現されているという印象です。
昨年3月11日に起こった東日本大震災、またその原因となる大断層を発見したと言われる有人潜水船「しんかい6,500」は、別の大型船「よこすか」に積まれていたものですが、実はこの潜水船がオーバーホール中で、陸揚げされていたものを私たちが見たわけです。
更に大きな船、地球深部探査船「ちきゅう」は2005年に完成したものですが、総トン数57,000トンというもので、一旦出航すると半年も海上に居て、海底下1,000m以上も掘削できるというツワモノです。
海洋研究所を訪問すると、船に乗ったり下りたりすることが多く、結構疲れるものです。
それでも皆が潜水船の球殻模型の中に入って写真を撮ったり、潜水船の浮力材に興味を持ち、それが何故、10,000mの高圧でも浮いてくるのか、というような質問が多く出ました。
この浮力材---シンタクティックフォウム---は極微細のガラス球をエポキシ樹脂に埋め込んだ構造をしていて、通常密度が0.54グラム程度で、外圧が1,000kgになっても0.8グラムだというのです。
こんな話で皆、大いに楽しみました。
現在、日本でもっとも進んでいる海洋研究所は(私にとっては、やや残念なことなのですが)、しばしばニュースにもなる「海洋研究開発機構」です。
先日、私は久しぶりに、この機構を訪問することが出来ました。
私は60歳までは東京大学海洋研究所に所属していたので、その間に何かにつけて、この機関とは付き合いがあったのです。
昔は海洋科学技術センターと言われていましたが、この機関は私が30代の頃から当時の科学技術庁と民間企業、特に三菱重工業が主となって、海の研究予算を道路工事なみかそれ以上に強化することを目標として頑張っていたことを思い出します。
当時、三菱重工業の重役であった 故 岡村健二氏の貢献は知らぬ人が居ないほどで、国際海洋開発会議の役員をしたり、外国の新知識をもって、日本中の海洋研究者、私もその一人でしたが、等に対して、いろいろと情報を流したり、参考意見を聞いたりしておりました。
岡村先生の追悼集は---内燃機関と海洋開発における業績---と名づけられましたが、1912年(大正元年)に生まれ、1989年(平成元年)に亡くなられた先生のお命は、若くしては内燃機関に、壮年以後は日本の海洋開発に捧げた方として評価されると考えます。
さて、私の海洋研究開発機構訪問は10数年ぶりですから、10人以上で行ったこの訪問では、知らないことも多々ありましたが、私が居たころに話題になっていたことが、次第に実行されているのだなという感想が強く、目をむくほどびっくりすることは無かったと思います。
海底地形を3次元的に詳細に見るソナーとか、海底下構造を3次元的に見る地震計とか、海底下数100mの物質を採取するとかは、昔から話題になっていたことで、それが着実に実現されているという印象です。
昨年3月11日に起こった東日本大震災、またその原因となる大断層を発見したと言われる有人潜水船「しんかい6,500」は、別の大型船「よこすか」に積まれていたものですが、実はこの潜水船がオーバーホール中で、陸揚げされていたものを私たちが見たわけです。
更に大きな船、地球深部探査船「ちきゅう」は2005年に完成したものですが、総トン数57,000トンというもので、一旦出航すると半年も海上に居て、海底下1,000m以上も掘削できるというツワモノです。
海洋研究所を訪問すると、船に乗ったり下りたりすることが多く、結構疲れるものです。
それでも皆が潜水船の球殻模型の中に入って写真を撮ったり、潜水船の浮力材に興味を持ち、それが何故、10,000mの高圧でも浮いてくるのか、というような質問が多く出ました。
この浮力材---シンタクティックフォウム---は極微細のガラス球をエポキシ樹脂に埋め込んだ構造をしていて、通常密度が0.54グラム程度で、外圧が1,000kgになっても0.8グラムだというのです。
こんな話で皆、大いに楽しみました。