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Chandler@Berlin

ベルリン在住

p.310 Special cases for short subpaths

Subpath の生成に, Zero subpath vertices と One subpath vertices がある.サンプルのパスだけ見るとこれはどちらもレンズから光源なので,その違いがわからなかったので,いつものように専門家に聞いてみた.専門家の友人を持つというのはとても便利であるが,一方,自分に磨きをかけないとそういう友達からは疎まれるだろうから今になっていろいろと毎日数時間は勉強することになった.正しい図は図 1 にある

$Chandler@Berlin-shortsubpath

図 1 Short subpath

さて,サンプルパスである.

Zero light subpath vertices はレンズから,レンズのみから得られる確率分布で環境をサンプルした結果,たまたま光源に当たった場合である.

One light subpath vertices は光源上にサンプル点を生成し,それがレンズに結びつけられた場合である.


両方とも光源とレンズの間にパスがあって結びつけられているだけなので,その違いはないように見えるが,サンプル時の確率分布が違うのでそのcontribution は違う.これが違いである.

謝辞
Thanks to Leo and Carsten.


p.321 Implementation

ちょっと詳細になってしまうがこの式には一つ疑問がある.

Chandler@Berlin-sigma mine
式1

Chandler@Berlin-sigma1
式2

私は何か間違えているかもしれない.今日は簡単な matrix の row reducedechelon form を求める際に,3-4 = 1 と書いてしまって解がなくなってしまった.octave の出力と比較した時自分でも驚いてしまった.しかし,それでも N_0 はどこに行ってしまったのだろうか?


これは論文の話というよりも,私自身の話で,数学や計算機科学の話ではありません.よろしかったらおつきあい下さい.

今日(2010-9-15(Wed))ついに Veach の論文を読み終えた.すばらしい論文だ.まだところどころわからないところはあるが,アイデアに関してはある程度の理解を得ることができたと思う.この論文は私の専門からは外れるが,会社の基礎技術に関連しているので,同僚らからすすめられていた.しかし印刷しただけで長いこと本棚に置いてあった.ただ,この4月に一部分は読み,とても面白いとは思っていた.

私の現在の仕事は顧客の対応で,顧客が我々の製品(library)を使ってプログラムを作る手伝いをしている.私は入社して最初の二年ほどは開発の部署にいて,才能のある同僚と良い上司に恵まれた.製品の開発に貢献できたことはとても楽しかった.2008年,我々のチームは製品を作り,アプリケーションは他の我々の製品の速度を10倍以上にするという成功を収め,そのデモも夏に行なわれた,しかし 2008 年秋の危機のため,製品ができた直後で顧客のいない部門は解散するということになり,私の部門は消滅した.私はちょっと悲しかったが,理解もした.私は顧客に専門に対処するという部署ができてそこに移った.最初は私はお客様と直接話をすることもできなかったが,今は重要な顧客と直接やりとりするなど責任は重くなった.また,顧客の要求に対応するために,同僚に仕事を割りふるようになった.あるプロジェクトでは上司の仕事のスケジュール管理までした.マネジメントの仕事が増えた.結構マネジメントも上手くこなせる自分に気がついた.しかし,今年の五月になって,私は技術的な問題を解くことがなくなったことに気がついた.

私は技術的な問題を解くことが好きであり,だからこの仕事についたはずだった.それに気がついた途端,私は幸せでなくなってしまった.これは問題だ.問題を解くのは私の得意なことだ.私はこの問題を解くための計画をたて,実行に移すことにした.私の上司は理解がある方なので,まずは上司に相談し,6月には公式に上層部に会合を申し込み,技術的な開発に戻して欲しいと頼んだ.具体的な開発チームを挙げたところ,私では能力的に無理だろうという返事を頂いた.確かに私には経験が不足している分野である.ただ,そのチームには経験豊富な開発者が数人いる.そのチームの一員として会社に貢献するチャンスが欲しいと思った.知識ならば学ぶことができる.私は上層部との会合で,論文などを読んで勉強すると申し出たが,私に必要な知識は5年や10年勉強したところで何ともなるわけではないことだという意見を頂いた.私は挑戦が好きだ.この言葉は励みになった.論文を理解したいと思った.それに,ここにはプロの専門家の友人が多数いるので,疑問をすぐに聞くことができる.これ以上学ぶに最適の環境はないだろう.ここまで読んだ方はなぜ私が突然 Veach の論文を細かく読んだのかおわかりだろう.私は他にもいくつか学んでいることがある.これらはいずれも会社にとって有益になる知識だと思っている.

Veach の論文はとてもわかりやすく,読むのは楽しかった.いくつかの数学は私の使っているものと同じであり,なじみもあった.たくさんのことを学ぶこともできた.その上,今日,私は自分のした約束が守れてとても嬉しい.

謝辞

これまで私の多数の馬鹿げた質問に辛抱強く答えて下さった友人達に感謝します.その結果の記録の一部が20回に及ぶ「Veach 論文に関する私的補足」である.このテーマの blog はもう少し続く予定である.
久しぶりに専門とはちょっと離れた話題です.

私は日本から友達が来るとなると,いつも本を数冊お願いする.友達の姉が来るというのでもお願いするほどである.Amazon で直接注文することもあるが,配送料が高い頻繁にはできない.日本の本屋は本で勝負するというそれはそれで美しいとは思うが,計算機の力を借りたネット販売も同じ本があるという意味では時代遅れになりがちである.

ドイツでは本屋にはたいていカフェがあり,子供が遊べたりする場所もある.ソファも置いてあって,立ち読みならぬ座り読みすらできる.私が子供の頃には私の両親は私をデパートの本屋に置いて買い物に行っていた.私は本屋で幸せであったが,ずっと立ち読みしているだけなので,店員に追い出されたこともあった.

Muenchen の Marienplatz の前の本屋は最上階にカフェがあって,有名な時計台を上から見ることができる.私はそのためにわざわざ本屋に行ってみたりした.

日本でもカップルがデートに来たり,親子連れが来るような本屋というようなコンセプトは可能性があるのではないだろうか.私が本屋に入ったら,Google やAmazon のような端末から物理的にどこにその本があるのかとかわかるともっと嬉しいと思う.あるいは,本屋の中に WLAN があって,携帯端末から物理的な場所がわかるとなると,面白いかもしれない.とはいっても私は携帯端末(スマートフォン)を持っていないのだが.

本屋は私にとって旅に出る場所でもある.本をみつけること自体は時には目的ではない.だから検索したくないときもある.島田和彦の燃えよペンで,漫画家が本屋に行き,写真集を見ながらニューヨークに思いをはせるシーンがあるが,あれこそ本屋である.本屋は私の想像力を解放する場所だったのだ.なぜかネットにはその感覚がない.あっても良いと思うのであるが.