実は長年「自分軸」

というものに

 

時に触れて疑問を感じることが

ありました。

 

それが今として

私の中で着地ができたので

書いてます。 

 

 

 

こんにちは、エイチです✨

いつも読んでくださってありがとうございます✨

エイチはこんなひと

 

このブログでは

恋愛セラピストであり

 

自身もツインレイ経験者で

サイレント再会当日にプロポーズ・結婚

今も愛し愛される日々を送る私が

 

再会・統合に向けての

本質的な気づきのシェアを

 

お伝えしています。

 

 

愛し愛される人生を手に入れたい方

ぜひ繋がってください✨

 

 

自分軸という

この概念は

 

相手や他人といった

外側ではなく

 

「自分は」という

内側を大切にし

 

それを提示する

生き方なのだけれども

 

 

実にこの自分・他人と

分けているところは

 

「二次元(二元論)の世界」であって

 

多くの場合

不十分な自分を守るためにすらある

のではないか

 

と思うのでした。

 

 

 

 

自分が十分で

ありさえすれば

 

人はいつだって

相手に与えることができます。

 

 

例えば

十分にあるもの

沢山持っているものは

 

どれが自分のものと

線引きしなくても

どうぞ気兼ねなく

人に差し出せる。

 

自分のものとも

相手のものとも思っていない。

 

 

バケツいっぱいの

飴玉を持っていて

 

どの飴玉が自分のもので

どこまでが他人に渡していい

 

なんて領分を

ほとんどの人が

決めないのではないでしょうか。

 

 

単にモノが右から左へと

通過するような気軽さで

 

人に渡すことが

できるのではないでしょうか?

 

これをgive=与える

と言います。

 

 

 

 

この時に人は

自他を分けてないんですよ。

 

 

 

自分がどうだとか

自分がこうしたい、したくない

自分はこう感じる、感じない

 

 

とかそういったところにいなくて

 

 

どうぞ と。

あなたのままに と。

 

 

シェアする生き方

ギブする生き方

ささげる生き方

 

 

ができるんです。

 

 

ですが

これは自分が

今十分ではないと

 

できないんです。

 

 

「自分」という

 

皆さんがよく言われる

エゴが出てくる。

 

私だって!と

十分ではない自分が出てくる。

 

その自分を

蔑ろにされるなんて

許せない!

と叫ぶ自分が出てくる。

 

 

いわゆる「エゴ」というものは

 

分かち合えない不十分さの総称

のように思います。

 

 

 

そして

スピリチュアルの分野で

よく取り扱われる自分軸

と言われるものは

 

 

自分の快、不快

といった【気分】を

大切にすることを

言っていることが多く

 

 

不快だったりすると

途端に【シェア】ができません。

 

 

「取られる」感覚

「させられた」感覚

「蔑ろにされた」感覚

 

 

に陥ります。

 

 

その感覚自体

自分自身が「不十分」であり

 

何かに恐れていたり

傷ついているんです。

 

 

そのこと自体が

実は人と分離させることが多く

 

 

自分軸を貫いた結果

相手が離れていくパターンが

 

そのような在り方の場合が多いです。

 

それがその方の

本当の目的であり

意図であればいいのですが

 

もし気分の場合は

 

望んでいない結果を

引き起こします。

 

 

そして

愛というものの

数学があるならば

 

与えるからこそ

入ってくるのです。

 

 

 

 

与えるところに行きたいのに

不十分さを軸とした

自分軸を打ちたてしまうと

 

愛は循環するどころか

愛はストップしてしまいます。

 

 

そういう意味において

自他が分かれていることは

 

実は分離している

という風にも言えて

 

皆さんが求めている

統合とは別の在り方になります。

 

 

 

そして

自他の境目がない状態とは

自分が十分であること 

 

です。

 

 

改めて考えて欲しいのですが

 

自他の境目がないことは=融合

それはいわゆる「統合」と

同じことではありませんか?

 

 

 

無償の愛とは

ある種幻想のようにも

思った時もありましたが

 

 

これは「条件付きで与えたり許可したり、ということをしない」在り方のことだと思うようになりました

 

 

相手が「こうだったらいいのに」

という条件もなく

 

相手に愛を先出しする

「生き方」のことです。

 

そして

生き方とは選択です。

 

 

 

それが選択できない時

まだまだ傷ついている。

 

 

そんな時に

自分軸の旗印をあげて

 

 

他者と(何より大切な人と)

コミュニケーションを

取ろうとしたとき

 

とてもgiveはできない

ポジションをとります。

 

 

結果的にその時の

コミュニケーションは

 

相手と分かち合う

という意図にはなく

 

自分軸として

自分をわかってもらう

自分を貫く

 

という在り方になるため

 

簡単にいうと

ますますお相手とは

分かち合えない関係になります。

 

 

 

お前はそうなんだ

勝手にしてくれや

俺はこうだよ

バイバイってなっちゃう。

 

 

そのことが恋愛を

遠回りさせてるようにも思うし

 

同時にこのことを

恋愛を通じて

この地球で体験している

のとも言えるのですが

 

 

 

もし

相手と統合したいなら

自他の壁を超えていくことだと思います。

 

自分とか

相手とか

二次元(二元論)から

離れることじゃないかなと思います。

 

 

条件付きではない愛に

入るとはそういうことな気がします。

 

 

今日も最後まで

お読み頂き

ありがとうございました✨

 

 

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