自転車世界横断!!TERU-TERU project-Praha09

ポーランドに降る雪が少し止んだ隙を見計らい、
『クラクフ』を出て、どこか雪の無い場所へと逃げる。

この季節は既に周囲は雪に囲まれ、
狭い道路を自転車で走行するのは危険すぎる。

バスか列車に自転車を載せてクラクフを脱出し、
雪が積もっていない町まで移動する事にした。


しかし出発直前まで何処へ行くか決めておらず、
何処へ行けばよいのか?一旦クロアチアに戻るか?
あまり近くの町で降りても雪が降ってるのではないか?
色々と考え、天気予報を調べたりしていたのだが、
途中で面倒臭くなってしまい。

「とりあえず駅まで行って、適当な電車に乗ろう。」

と、行き当たりばったりの旅を楽しむ事にした。

夜のクラクフ駅は閑散としており、
数人のホームレスが金をせがんでくる。

何処の国でも駅周辺の治安は悪いので、
荷物と自転車には常に注意しながら、
時刻表と行き先をしばらく眺め行き先を探した。

プラハ行きの夜行列車がちょうど良く出ているので、
プラハの手前「オロモウツ」までのチケットを買った。

自転車を乗せれるでしょうか?

と、聞くと「ダメだよ。」と、言われたのだが、
チケットも買ってしまったので、何とかなるだろうと思い。
そのままプラットフォームまで自転車に乗って進む。

電車は出発時間の30分前に到着した。

ブダペスト、ブラチスラヴァ、ウィーン、プラハ行きの車両が連結され、
途中の駅で分かれながら、各々の目的地へと向かうらしく、
先頭の3車両がプラハ行きで、そこまで自転車を押して歩く。

駅員さんに「自転車を積みたいんですけど。なんとかなりますか?」
と、たずねると、二つ返事で「OK!」と、言われ、
荷物運搬専用車両に通されて難なく自転車を積む。

プラハ行きの夜行列車は定刻どおりにクラクフを出発し、
僕はガラガラの2等ボックス席で横になった。

行き先は、予定ルート上の町であり、
本当にちょうど良い列車があったものだ。
と、運の良さを感じる。

行き当たりばったりで進む自転車旅ではあるが、
公共機関を使う移動には慣れてないので、
少しの緊張感と高揚感が入り混じり中々寝付けなかった。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Praha01
ポーランドとチェコの国境の駅

真っ暗な朝に「オロモウツ」に到着。

雪は積もってないものの、標高が高いせいで、
クラクフよりも寒く、どうしたものか?と、ベンチに座り考える。

『プラハ』までは300km位の距離なので、
2、3日で到着できるだろうと言う計算の元、
『オロモウツ』にも興味があったのだが、
夜が明けるのにも時間がかかりそうで、
じっとしてるのが辛かったこともあり、
そのまま自転車に乗って走り出した。

チェコの農村地帯を走り、山を下り、快調に西へと走り、
寒さの中、なんとかプラハまで走った。

プラハの街にも冬の空気が流れ込み、気温は0度に近い。

ここにも先日初雪が降ったらしく、空には分厚い雲が漂う。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Praha03


あまりにも美しい街に心を奪われそうになるのだが、
また何時雪が降るか分らず長居は禁物。

しかし、今まで訪れたヨーロッパの街の中でも、
最も趣深く美しく、感性を刺激する街並みに惹かれ、
複雑な路地をうろうろと何時間も歩き、
疲れては、お洒落なカフェでお茶をした。
(複雑すぎる路地は、本当に方向感覚を鈍らせ、
夜に迷った時は、3時間も宿を探して歩いた。)


戦火を逃れたチェコでは、古く美しい街が多く残る。

プラハの街並みは、その中でも群を抜いて優雅であり、
妖艶な淫靡さを含んだ美しさを感じる事が出来る。

石の建物は長い時間をかけて変色し、
平らな壁に様々な表情を見せ、
細かな石畳は凸凹に隆起しながら、
建物の隙間を縫うように細く走る。

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もっと暖かい季節にここを訪れていたのなら、
おそらくプラハの虜となり、ここに居座っていただろう。

しかし今は自転車の旅中。

少なくともシェンゲン協定や、冬の到来など、
じっとしていても近づいてくる制約がある。

再びプラハを訪れる事を心に誓い、
毎日、プラハを数時間歩きまくり、
毎晩、バーをはしごしては飲みまくった。

そして散財しながら『プラハ』を精一杯楽しむのだった。

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↑モーツァルトも愛したと言われる『プラハ』
あまりケチケチしてると全く楽しめません。
これから何処へ向かうかはまたまた未定。
とりあえずチェスキークロムルフへ!
自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz01

クラクフに降る初雪は、街を真っ白に染め上げ、
深々と冷え込む空気の中で止む事は無かった。

灰色の分厚い雲が空から落ちそうな日に、
『アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所』へ向かった。

昼過ぎのツアーを申し込み,集合場所に向かうと、
大雪の影響で出発が遅れているようで、
大勢の人が傘をさして外で屯している。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz02

結局出発が1時間遅れ、更にオシフィエンティム近くの道が
長く渋滞し、アウシュビッツへ着く頃には暗くなり始めていた。

雪は吹雪に変わり横から吹き付けてくる。

ぬかるみに注意しながら列を成して進み、
凍える寒さの中で、口数も減り表情がこわばり、
物悲しさはより一層深く心に染み入る。

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↑アウシュビッツの入り口ゲート。
「働けば自由になれる」と記されている。



第二次世界大戦中に、アウシュビッツ強制収容所で行われた
ホロコースト(ナチスによる大虐殺)を知らない人は少ないだろう。

ユダヤ人の他に政治犯、ロマ人(ジプシー)、同性愛者、
精神障害者、身体障害者、戦争捕虜などが収監され、
過酷な条件の中で強制労働を強いられ、
労働力にならない老人や子供や女性達は殺された。

「ホロコースト」とはギリシャ語で「全てを焼き尽くす」
と、言う意味を持ち、その言葉の通り、アウシュビッツでは、
ガス室や人体実験で殺された者の他にも、壁に並ばされて
銃殺され、栄養失調や過労で命を落とした者も数え切れない。

終戦後に旧ソ連が彼らを解放するまでに、
ポーランドに住むユダヤ人の90%が虐殺され、
アウシュビッツでの死者数は150万人にも及び、
人類史上最悪の大虐殺として歴史に残った。

1979年には、同じ過ちを繰り返してはいけない。
と、言う人類に対する教訓として世界遺産に登録されるも、
広島の原爆ドームと共に、「負の世界遺産」とも言われている。

基本的に施設内を自由に周る事が出来ないので、
必ずイヤホンを渡され、ガイドの説明を受信しながら施設内を歩く。

当時使われていた収容所を博物館へと一部改装し、
様々な遺物が展示されているのだが、そのどれもが胸に迫り、
恐ろしくて目を背けたくなるものばかりだ。

特に衝撃的な印象を受けたのは、奥行き3m長さ30m程の
スペースに敷かれた、無数の女性の髪の毛だった。

何千人、何万人から刈り取ったのか分らない量のそれは、
既に色素が抜けて白く変色し、丸く縮まりながらも、
未だにかすかな命が宿っている様な存在感があった。

ただじっと数え切れない圧倒的な命の欠片を眺め、
あまりの衝撃でその場から動けなくなりそうだった。

髪の毛はとても頑丈な素材らしく、
軍服や海兵の靴などに加工された。

ショーケースに入った加工後の衣服は、
一見すると麻の様なマテリアルなのだが、
わずかな光沢を感じることが出来る。

この服を纏い、靴を履いた軍人達は何を思ったのだろうか?

そんな事を思いながら列に戻り再び歩きだすのだが、
イヤホンから聞こえる説明は耳に入らなかった。

$自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz10
↑10号棟と11号棟の間にある壁は銃殺に使われ、
「死の壁」と呼ばれていた。



第1アウシュビッツを出る頃には辺りは真っ暗で、
小さな灯りがぬかるんだ道をわずかに照らす。

アウシュビッツは観光地化される事はなく、
当時の姿をそのままに残しているので、
当然地面は舗装されず、灯りも少ない。

写真を撮ろうにも真っ暗なので、
ほとんど写らないのだが、
その分逆に迫力が伝わってくる。
(ちなみに博物館内の展示物の撮影は厳禁。外のみ可能。
よく日本人観光客や旅人のブログで写真を載せているが、
あれらは全てマナー違反であり、違法である。
毒ガスが入っていた空き缶の山や、ガス室内部を撮影し
自慢げに掲載してる者も大勢いるのですが、
とても低俗で恥ずかしい事なので決してやらないように。
欧米人と一緒に館内を周ってたのですが、
誰一人カメラを出す様な真似はしませんでした。)


そんな暗闇の中でも容赦なく雪は降り続き、
足は濡れ、凍えながら真っ暗な道を歩く。

数時間後には宿に戻り、レストランで食事をし、
シャワーを浴びて何に脅える事も無く眠りにつく。

60年前にここへ収監されていた彼らは、
何処にも繋がらない短い道を、
一足一足凍えながら歩いたのだろう。

そんな事が何度も頭の中をループした。

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↑ガス室の入り口。


バスに戻り少し離れたビルケナウ強制収容所、
通称「第2アウシュビッツ」へと向かう。

何本も敷かれたレールの先に巨大で、
高圧的な門があり、「死の門」と呼ばれていた。

ライトアップされることも無く、
ひっそりと今も忌々しい姿を残す。

当時ユダヤ人達から没収した金品や衣類は、
彼らに返されずに第2アウシュビッツと
第1アウシュビッツに分けて保管されていた。

第一アウシュビッツにもそんな彼らのトランクや、
衣類、眼鏡や玩具が展示されていたのだが、
その多くはここ第2アウシュビッツに置かれ、
その場所は囚人の間で「カナダ」と、呼ばれており、
それはカナダは裕福な国である。と、言う所からだった。

何を思い何を感じるかは人それぞれ違うだろうが、
ここへ来なくては決して感じる事が出来ない空気はある。

入所時に撮影された老若男女の写真が無数に展示され、
名前や生年月日、亡くなった年が記されている。

閉塞感や絶望に押しつぶされそうな中でも、
彼らは流れる時間の中を、
流れるままに生活したのだろう。

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初雪はそのまま3日降り続き、気温も下がり続ける。

中欧で最も行きたい場所であったアウシュビッツを訪れ、
想像以上に大きく心を揺さぶられた。

日本からここを訪れるのは容易ではないが、
近くを訪れる際は是非一度立ち寄ってみてほしい。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz09


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↑本当は自転車でアウシュビッツへ行く予定でしたが、
雪が降った事でバスで行ったのですが、
クラクフ郊外は更に雪が降り積もり、
道は自転車や徒歩では通行不可能でした。
クラクフから移動するには自走は不可と言うことで、
電車に乗せて雪が無い所まで移動する事にしました。
そういうわけで今後のルートはまだ未定です。
ポーランド南部の山地を『ザコパネ』から北へと走る。

明日にでも雪が降るらしく、気温も0度まで下がり、
小雨が降る悪天候の中、急いで山を下る事にした。

しばらく山道を下ると雨は止んだのだが、
依然として分厚い雲が漂い、気温も低い。

『クラクフ』までは約110kmの道のりで、
ずっと下り坂が続くのかと思っていたものの、
予想外に過酷な山道がしつこく続いた。

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『クラクフ』はポーランドの旧首都であり、
多くの重要な文化遺産が存在する。

映画『シンドラーのリスト』の舞台にもなったこの街は、
戦争当時、ドイツ軍によって侵略されたものの、
戦火からは奇跡的にも免れた事もあり、
古くからの教会や町並みがそのままに残る。

当時ユダヤ人は住んでいた家を奪われ、「ゲットー」と、呼ばれる
狭い地区へと強制的に移住させられ、強制労働を強いられた。

ゲットーがあった地区には、シナゴーグ(ユダヤ教会)が多数存在し、
現在も多くのユダヤ人達が住み、ユダヤ人地区と呼ばれている。

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ヨーロッパ最大級の広場。
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日本美術センター。設計は磯崎新。
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『シンドラーのリスト』の撮影も実際ここで行われたのだが、
約60年前に、人間以下と罵倒され、迫害され続け、
理不尽に虐殺され続けたユダヤ人達の事を思うと、
この場にいる事に恐ろしさを感じ、身震いが止まらない。

オスカー・シンドラーはユダヤ人達を救おうと、
自らの経営する工場で多くのユダヤ人を雇った。
武器製造工場でユダヤ人達を働かせたのだが、
人を殺す道具を作る事に正義は存在しない。と、
結局この工場での生産率は0%だった。

自らの財産を散財し続け、何も生産しない工場を維持し、
破産寸前の状態に追いこまれたのだが、時を同じくして、
ドイツが降伏し、戦争が終わった。

オスカー・シンドラーに救われた1200人の
ユダヤ人の子孫は、現在6000人に及ぶ。

彼の墓は彼の希望で、現在エルサレムに置かれている。

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ユダヤ人博物館


ホロコーストの真っ只中に身を置き、
絶望の記憶を持つ人々がまだ多く存在する。

世界中から観光客がひっきりなしに訪れ、
活気に満ち溢れる古都『クラクフ』。

古く美しい街並みを現在に残しながら、
一方では、そんな残酷で絶望的な
恐怖の記憶が刻まれているのだろう。

天気が晴れない季節の曇り空の下、
雨に濡れる石の建物は色を濃くし、
より叙情的に写るのであった。

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↑本当に天気が晴れません。雪が降るらしく、
この先進めるのか心配しています。