自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz01

クラクフに降る初雪は、街を真っ白に染め上げ、
深々と冷え込む空気の中で止む事は無かった。

灰色の分厚い雲が空から落ちそうな日に、
『アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所』へ向かった。

昼過ぎのツアーを申し込み,集合場所に向かうと、
大雪の影響で出発が遅れているようで、
大勢の人が傘をさして外で屯している。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz02

結局出発が1時間遅れ、更にオシフィエンティム近くの道が
長く渋滞し、アウシュビッツへ着く頃には暗くなり始めていた。

雪は吹雪に変わり横から吹き付けてくる。

ぬかるみに注意しながら列を成して進み、
凍える寒さの中で、口数も減り表情がこわばり、
物悲しさはより一層深く心に染み入る。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz04

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz03
↑アウシュビッツの入り口ゲート。
「働けば自由になれる」と記されている。



第二次世界大戦中に、アウシュビッツ強制収容所で行われた
ホロコースト(ナチスによる大虐殺)を知らない人は少ないだろう。

ユダヤ人の他に政治犯、ロマ人(ジプシー)、同性愛者、
精神障害者、身体障害者、戦争捕虜などが収監され、
過酷な条件の中で強制労働を強いられ、
労働力にならない老人や子供や女性達は殺された。

「ホロコースト」とはギリシャ語で「全てを焼き尽くす」
と、言う意味を持ち、その言葉の通り、アウシュビッツでは、
ガス室や人体実験で殺された者の他にも、壁に並ばされて
銃殺され、栄養失調や過労で命を落とした者も数え切れない。

終戦後に旧ソ連が彼らを解放するまでに、
ポーランドに住むユダヤ人の90%が虐殺され、
アウシュビッツでの死者数は150万人にも及び、
人類史上最悪の大虐殺として歴史に残った。

1979年には、同じ過ちを繰り返してはいけない。
と、言う人類に対する教訓として世界遺産に登録されるも、
広島の原爆ドームと共に、「負の世界遺産」とも言われている。

基本的に施設内を自由に周る事が出来ないので、
必ずイヤホンを渡され、ガイドの説明を受信しながら施設内を歩く。

当時使われていた収容所を博物館へと一部改装し、
様々な遺物が展示されているのだが、そのどれもが胸に迫り、
恐ろしくて目を背けたくなるものばかりだ。

特に衝撃的な印象を受けたのは、奥行き3m長さ30m程の
スペースに敷かれた、無数の女性の髪の毛だった。

何千人、何万人から刈り取ったのか分らない量のそれは、
既に色素が抜けて白く変色し、丸く縮まりながらも、
未だにかすかな命が宿っている様な存在感があった。

ただじっと数え切れない圧倒的な命の欠片を眺め、
あまりの衝撃でその場から動けなくなりそうだった。

髪の毛はとても頑丈な素材らしく、
軍服や海兵の靴などに加工された。

ショーケースに入った加工後の衣服は、
一見すると麻の様なマテリアルなのだが、
わずかな光沢を感じることが出来る。

この服を纏い、靴を履いた軍人達は何を思ったのだろうか?

そんな事を思いながら列に戻り再び歩きだすのだが、
イヤホンから聞こえる説明は耳に入らなかった。

$自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz10
↑10号棟と11号棟の間にある壁は銃殺に使われ、
「死の壁」と呼ばれていた。



第1アウシュビッツを出る頃には辺りは真っ暗で、
小さな灯りがぬかるんだ道をわずかに照らす。

アウシュビッツは観光地化される事はなく、
当時の姿をそのままに残しているので、
当然地面は舗装されず、灯りも少ない。

写真を撮ろうにも真っ暗なので、
ほとんど写らないのだが、
その分逆に迫力が伝わってくる。
(ちなみに博物館内の展示物の撮影は厳禁。外のみ可能。
よく日本人観光客や旅人のブログで写真を載せているが、
あれらは全てマナー違反であり、違法である。
毒ガスが入っていた空き缶の山や、ガス室内部を撮影し
自慢げに掲載してる者も大勢いるのですが、
とても低俗で恥ずかしい事なので決してやらないように。
欧米人と一緒に館内を周ってたのですが、
誰一人カメラを出す様な真似はしませんでした。)


そんな暗闇の中でも容赦なく雪は降り続き、
足は濡れ、凍えながら真っ暗な道を歩く。

数時間後には宿に戻り、レストランで食事をし、
シャワーを浴びて何に脅える事も無く眠りにつく。

60年前にここへ収監されていた彼らは、
何処にも繋がらない短い道を、
一足一足凍えながら歩いたのだろう。

そんな事が何度も頭の中をループした。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz06
↑ガス室の入り口。


バスに戻り少し離れたビルケナウ強制収容所、
通称「第2アウシュビッツ」へと向かう。

何本も敷かれたレールの先に巨大で、
高圧的な門があり、「死の門」と呼ばれていた。

ライトアップされることも無く、
ひっそりと今も忌々しい姿を残す。

当時ユダヤ人達から没収した金品や衣類は、
彼らに返されずに第2アウシュビッツと
第1アウシュビッツに分けて保管されていた。

第一アウシュビッツにもそんな彼らのトランクや、
衣類、眼鏡や玩具が展示されていたのだが、
その多くはここ第2アウシュビッツに置かれ、
その場所は囚人の間で「カナダ」と、呼ばれており、
それはカナダは裕福な国である。と、言う所からだった。

何を思い何を感じるかは人それぞれ違うだろうが、
ここへ来なくては決して感じる事が出来ない空気はある。

入所時に撮影された老若男女の写真が無数に展示され、
名前や生年月日、亡くなった年が記されている。

閉塞感や絶望に押しつぶされそうな中でも、
彼らは流れる時間の中を、
流れるままに生活したのだろう。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz08

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz07


初雪はそのまま3日降り続き、気温も下がり続ける。

中欧で最も行きたい場所であったアウシュビッツを訪れ、
想像以上に大きく心を揺さぶられた。

日本からここを訪れるのは容易ではないが、
近くを訪れる際は是非一度立ち寄ってみてほしい。

自転車世界横断!!TERU-TERU project-Auschwitz09


にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
↑本当は自転車でアウシュビッツへ行く予定でしたが、
雪が降った事でバスで行ったのですが、
クラクフ郊外は更に雪が降り積もり、
道は自転車や徒歩では通行不可能でした。
クラクフから移動するには自走は不可と言うことで、
電車に乗せて雪が無い所まで移動する事にしました。
そういうわけで今後のルートはまだ未定です。