武蔵の国の五龍神〜安曇野の道祖神に導かれ | Rememberのブログ Love & Harmony゚・:,。☆

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久しぶりに偶然再会した会社OBの大先輩に『気候もよくなったので、神社巡りでもどうですか?』と言われ、春の陽気にも誘われ参拝に出かけました⛩️先輩OBから『美味しい蕎麦でも食べながら、貴君の得意な〝神社=古代史探訪〟の神社巡りを頼む』と宿題を出されたので、互いの自宅から程よい距離にあって、なおかつエンタメ性もある神社を探しました。ちょうどいい場所に今年の干支に因む〝五龍神〟を祀る田無神社という面白そうな神社を見つけました。

田無神社一の鳥居


ネットで周辺の蕎麦屋を検索したところ「石臼挽き手打ち蕎麦進士」という店主の味のこだわりがありそうなお蕎麦屋さんにヒット。Googleマップを頼りに店を訪れると、入口の電飾看板がなんと偶然にも私の家に先祖から伝わる家紋と同じ「九曜星」。店の外壁にうさぎのロゴが掲げられ、店内の暖簾や置物にもうさぎが。ウサギと言えば出雲大国主命が助けた因幡白兎に因むキャラクター。何の気なしに選んだお店が家紋繋がりかつ出雲所縁かということで、いきなり私の古代史探究モードのスイッチが入りました。

立ち寄ったお蕎麦屋さんの「九曜星」と「因幡のうさぎ」


美味しい手打ちの十割蕎麦と天丼セットをいただいたあとは食後の腹ごなしを兼ねて、先輩OBの現役時代の昔話しを傾聴しつつ、その老獪な処世術に舌を巻きながらも、楽しい話に腹を抑えて苦笑しながら青梅街道を東へ向かいました。広い交差点を越えると程なく街道の左手に田無神社の一の鳥居が現れました。鳥居をくぐり階段を登ると右手に南方を守護する五龍神の一つ「赤龍」がお出迎え。

南方位鎮守の「赤龍」


二の鳥居までの「龍神の道」を進むと右手に「道祖神」の看板がありました。すぐ隣のおみくじが結ばれている紐が邪魔して見落としそうになりましたが、龍神池のような水の中から顔を出している龍のような狛犬の向こう側の注連縄と紙垂の奥に、小さな夫婦神の石像が祀られていました。安曇野など信州の道端でよく見かけるこの夫婦神像。一般的には〝道祖神〟と呼ばれますが、その由緒は古代出雲で信仰されていた「幸の神(サイノカミ)」。

「道祖神」の看板を通り過ぎ歩を進めると…


サイノカミというと「塞の神」と書いて「村や部落の境にあって敵や厄災の侵入を塞ぐ神」という解説が一般的ですが、明らかに歴史解釈でよくある後の時代の拡大解釈による暴走。夫婦が仲睦まじく手を取り合っている平和で無防備な姿でどうやって敵の侵入を防げるでしょう。正しくは夫婦和合の〝幸せの神〟と書いて「幸の神(サイノカミ)」が正しい表記。これは出生率の低かった太古の時代の人々が、それまで自然崇拝のアニミズム主流の古代の宗教に、命懸けで出産をして子孫を繋いだ先祖の女性に対する感謝と、子宝を授かることを切に願った子孫繁栄への願いをこめた我が国初の人格神なのです。

龍神のような狛犬の後方の紙垂の奥に太古の「幸の神」石像


古代史の時代の我が国においては、どこまでも海が広がり何もない太平洋側の地域はむしろ裏日本で、先進文化の発展した大陸や半島にほど近く面し、各国の要人(八百萬の神々)を迎えた出雲の稲佐の浜など、日本海側が他国に繋がる表玄関で文化の中心でした。出雲大社で神在月におこなわれる有名な神事「神迎え祭」は、太古の昔に出雲王国で開かれていた同盟国家間における婚姻(政略結婚)の縁を結ぶための下準備の会合でした。現在先進各国が開催する首脳サミットのように、稲佐の浜に舟で渡来した各国の代表は、出雲大社の二棟の十九社に宿泊したのでした。

境内にある安産祈願の子育て犬も子孫繁栄繋がりか


紀元前6世紀頃より発展した出雲王国は、インドのドラヴィダ族由来の陸稲作や蕎麦の食文化(出雲そばのルーツ)、アニミズム的宗教観や祭政一致の神権政治、銅鐸を使用した祭祀儀礼など、その後の大和王権が下敷きにし、我が国の国家としての基礎をなす文化を周辺同盟諸国に拡めました。幸の神の夫婦神もインドのクリシュナとラーダー、シヴァ神とパールバティなどの夫婦神がルーツ。さらにガネーシャ神(猿田彦)が加わると、日本では天之御中主神、神産巣日神、高御産巣日神の三柱になります。神さま発祥の大元まで辿り、祈りを捧げた人々に想いを馳せると、道祖神を単に旅や交通安全の神に矮小化するのは、命のバトンを懸命に繋いできた太古のご先祖に失礼千万です。


手水舎の向かいに西方位鎮守の「白龍」

手水舎で禊ぎを済ませたあとは、向かいに鎮座する「白龍」にご挨拶して二の鳥居をくぐります。するとすぐ左手の参集殿に立派な木彫りの「九頭龍」が鎮座していました。福井県の「九頭龍川」の表記は古名の「黒龍(くつれう)川」をインドで神を表す聖数「九」に置き換えた転訛のようですが、その越前国は当時の日本海貿易を支配し後の世まで百万石の財を成した北陸の加賀と並ぶ出雲王国の有力な同盟国でした。参集殿近くの御朱印授与所は、都内の神社は平日でもこんなに賑わうのかと驚くほど混雑していたので、私の趣味のために大先輩OBを待たせてはいけないと参拝前でしたが先に記帳をお願いし、「和泉」と書かれた待ち札をもらって拝殿へと進みました。


登録有形文化財の参集殿にある「九頭龍」彫像


「龍神」「幸の神」と来ればこの神社が出雲ゆかりの古い神社というのは明らか。そして主祭神もそのまま大国主命でした。境内には大国主命ゆかりの素戔嗚尊(徐福)と須勢理比売命(弁天)を祀る摂社がありました。夏越しの大祓でもないのに素戔嗚尊を祀る摂社には蘇民将来に因む茅の輪が掛かっていました。日本の「夏越しの祓え」は古代ユダヤの「過越し祭(ペサハ)」と同根で、ユダヤ人の目印のために子羊の血を塗った門柱が神社の鳥居や茅の輪(血の輪)に繋がったという説があります。神社とユダヤの繋がりを説くと眉を顰める向きもありますが、同じくユダヤの「シオン(エルサレム)祭」と同じ7月に「祇園(ギオン)祭」を開催する八坂神社の御祭神も素戔嗚尊で、素戔嗚尊=徐福=ユダヤ人説を補強します。田無神社の本殿には出雲の龍蛇信仰ゆかりの「金龍」が祀られ、その本殿横には太古の時代の夫婦神を彷彿とさせる雌雄異株のイチョウの御神木がありました。

本殿に鎮座する「金龍」の御神木


御神木の脇から北の参道を進むと鳥居の手前右手に北方を守る「黒龍」が鎮座し、本殿の裏を迂回し黄金の鳥居をくぐり階段を昇ると、大黒天(大国主命)と恵比寿天(事代主命)を祀る祠がありました。大国主は西出雲家第八代(一代は六十年)国主(=大名持)の八千矛、事代主は八千矛と出雲王国を共同統治した東出雲家第八代副王。国譲り神話(徐福一族の出雲進出)の両家の国王と副王に改めてご挨拶しました。

大黒天(大国主命)と恵比寿天(事代主)を祀る祠


黄金の鳥居を出るとそこには昭和の大横綱大鵬関の石碑と土俵がありました。相撲の起源も古事記の国譲り神話の建御名方神と健御雷神による勝負と言われますが、角界の本流だった元貴乃花親方も『相撲は旧約聖書創世記の逸話でヘブライ語の「シュモー(שמו=君の名は?の意)」が語源』と認めています。実は「ハッケヨイ(הכאה)」も古代ヘブライ語の「やっつけろ」、「ノコッタ(נכהאתה)」は「打ち倒せ」という意味。実は相撲を出雲にもたらしたのも、古代神道の起源と同じユダヤだったようです。

北方位鎮守の「黒龍」


土俵脇には東方を守護する青龍が鎮座し、これで本殿の金龍と合わせて〝五龍神〟すべてにお詣りできました。当時の先端科学の五行説に基づいて、東に青龍、西は白虎、南を朱雀、北に玄武という四神獣を配して護らせた平安京のごとく、ここ田無神社も青龍、白龍、赤龍、黒龍が御本殿の金龍を固く守っていました。古代出雲王国は五行思想の科学的根拠に基づいて、神在月の縁結び会議で慎重に近親婚を避けながら、十干十二支の周期(60年)を守りつつ東西両王家が交代で王と副王を交代させたことで、500年近い長い繁栄を築くことができました。陰陽五行説は今の時代に置き換えると、まさにアインシュタインの相対性理論やマックス・プランクの量子論に匹敵するような、宇宙の理に則った正統な学問だったのです。

東方位鎮守の「青龍」


東の参道の鳥居の外には「撫で龍」が鎮座していました。龍頭と宝珠をしっかり撫でてこの日無事に参拝できたお礼を伝えました。都会の神社でさほど広くはないのに、あちらこちらにエンタメの工夫がほどこされた境内は、まさに〝五龍神のテーマパーク〟と呼べるものでした。出雲所縁の〝龍蛇族〟を自称する私にはとても楽しい神社参拝となりました。

ユダヤの過越しを連想させる朱塗りの鳥居と「撫で龍」


帰りに授与所に御朱印を受け取りに行った時のこと、『〝和泉(いずみ)〟のお札でお待ちの方、御朱印が出来上がっております。』という私の待ち札を呼び出す巫女さんの声が聴こえてきました。その呼びかけが『和泉(いずみ)』ではなく『出雲(いずも)』と聴こえたのはただの空耳だったのでしょうか…

(左上)カラフルなデザインの「金龍」 (右上)御朱印帳に直筆の月参り御朱印 (下) 精緻な切り絵の「五龍神」


参拝後は駅近くの昭和レトロ感溢れる喫茶店に立ち寄りました。最近の東京の街やショッピングモールにある喫茶店は、どこを切っても同じ金太郎飴のようなチェーン展開の店ばかりです。昭和全盛期の子供時代を過ごした神戸の港町で、よく伯父に連れられクリームソーダをご馳走してもらった喫茶店は、コーヒー豆とトーストの香りに満たされ、子供心にもゆったりと落ち着ける雰囲気でした。どこかそんな懐かしい雰囲気の店内で、先輩OBと昔話の雑談に花を咲かせました。


最近は少なくなったレトロな雰囲気に癒されました…

春を飛び越し初夏を思わせる陽気の中、お世話になった会社の大先輩と武蔵の国の五龍の神さまに導かれ、出雲所縁の古代史探訪を楽しめた充実した一日でした🙏