こんばんは。


もう8月も下旬に入りますね。


年々、時が過ぎるのがあっという間に感じられます。


実は先日出掛けた際に虐待を目撃したので、189に通報したんですが、


緊急だったので警察に通報することに。


ちなみにデートDVを学ぶまでは「虐待を通報する」なんてことができなかったのですが、


学んだ今は、


・理由があるから暴力をふるっていいなんてことは絶対にない

・暴力をふるう側は暴力を手段として選んでいる

・家族でも暴力はいけないことであり犯罪

・暴力をふるう側とふるわれた側の間に力の差があるかを見る

・加害者は嘘をつく、暴力をなかったことにする


といったことも理解しているので、


自分が「虐待だと思ったら通報する」


ということができるようになってきました。


通報するって結構勇気がいることですよね。


でも皆さんも間違ってもいいので、「虐待では?」と思ったら、


ぜひためらわず189(児童相談所虐待対応ダイヤル)に通報してほしいです。


先日のケースは証拠もとっており、警察の方も動いてくれ当事者に接触してくれたようです。


しかし


「加害者(父親)は、子どもに虐待をしたことを『スキンシップだ』と、言った」


「被害者である子どもも『スキンシップだ』と言った」


ので、警察は事件化しなかったとのこと。


当然加害をする側は「虐待している」という意識で虐待しているわけではありませんし、


「虐待した」「暴力をふるった」と口にする人はいません。


ちなみにここで言う加害者とは、力と支配により、相手を思いどおりにコントロールしようとするDVや虐待の加害者のことを言います。


(確かに追い詰められた母親が、虐待をしてしまい「虐待した」と自ら通報することはあります。


それは社会資源の不足や、頼れる人がそばにいないことで、母親として追い詰められ虐待してしまうケースです。


その場合はそれ以前に本人が子育てについて相談しているケースが多いとも思っています。


それは結果的に加害者となってしまった被害者のケースであり、今回とは別の話であるということをご理解ください。)


そして、虐待されている子どもも当然自分が「虐待されている」とは思いません。


もし本当にこれらの暴力を「スキンシップ」と思っていたら、将来加害者になる危険もあり、被害にあっても気づけない危険もあるので心配です。


虐待やDVって、


力の強いものが弱いものにふるう暴力です。


もし力の強い側の主張の「これは暴力じゃない」ということのほうを力のある人たちが認めてしまうのなら、


虐待や暴力はなかったことになってしまう。


力の強い人の主張のほうを周りが認め、実際の暴力がなかったことにされてしまうことほど、暴力的なものはないと思っています。


これは暴力をふるう側、虐待する側を肯定することになる。


これがDVや虐待が世の中から減らない理由の一つでもあるとつくづく感じています。


「暴力」とは本来圧倒的に「被害を受けた側」の立場からみなければいけません。


しかし、しばしば虐待やDVの被害者は「暴力を受けている」ということに、気づけないケースが多いです。


虐待やDVは、周囲からの気づきや介入が必要なものです。


しかし多くの場合周囲が気づくときにはもうすでに被害者は、


・自信を奪われている

・混乱し、感情も感じられなくなっている

・心身にも被害の影響が出ている(けが、不眠、希死念慮、PTSD、解離、うつ、パニック障害、よって対人関係に問題を抱える など)

・判断したり意志決定するチカラを奪われている


といった状態も多く…


とにかく早く被害に気づくということが、とても大切だと思っています。


子ども時代を支配や暴力のなかで生き抜くことは、


大きくなってから色々な影響がでることが多いと感じています。


自分が暴力の加害者になったり、被害者になることもあります。


誰かに支配され、もしくは心身の不調で、自分として健康に人生を歩むことかできなくなることもあります。


その影響から回復するために、大変な努力と長い時間を要することもあります。


暴力は人格形成にも影響を与えます。


その人の人生に大変な影響を与えるのです。


虐待を通報し、結果的にそのときは直接的に救えなかったとしても、(悔しいですが…)


周囲の目を意識させることが加害者に対する多少の抑止力になったり、


被害者である子どもやその家族、周囲の人たちの気づきにつながることもあると思っています。


加害は許さないという多くの人たちの意識が、


虐待を防ぐこと、


子どもたちを守ることにつながると思います。


今日も読んでいただきありがとうございます。