おはようございます。
最近ジャニー氏の性加害報道により性暴力のことについてメディアでは頻繁に報道されています。
そのたびにやはり日本社会の性被害に対する認識の浅さや、性暴力についての知識の無さが表面化されていると感じます。
さらに、いかに権力構造がメディアに影響を与えているかということも痛感します。
「どのように報道するか」は、報道する側の価値観や、報道する組織の権力構造や、何を目的に報道するかといった点が、非常に影響していると思います。
報道する側の姿勢として、「日本民間放送連盟 報道指針」というものがあります。
【一般社団法人 日本民間放送連盟】
ここでは
1.報道の自由
2.報道姿勢
3.人権の尊重
4.報道表現
5.透明性・公開性
が明記されています。
「報道活動は、あらゆる圧力、干渉を排除する。」
「報道活動は、公共性、公益性に基づいて、あらゆる権力の行使を監視し、社会悪を徹底的に追及する。」
「取材・報道対 象の選択から伝え方まで、できるだけ多様な意見を考慮し、多角的な報道を心掛ける。」
などなど・・・・
私は報道者の人権感覚が確立していないと実現しないのではと思うのです。
徹底的な人権研修を報道関係やメディア関係者はしていく必要があると思うのです。
今回のジャニー氏の性加害の問題もずっと昔から「噂」として聞いていた人も多くいたようです。(私は今回はじめて知りました)
しかも東京高裁でそれらは事実として認められている。
当時の賠償額の低さは、相変わらず性暴力やDV等の人権意識の低い司法の判断であったにせよ、事実として認定されているに至っているのです。
そのときに報道されていれば、青少年たちの被害はもっと少なくすんだに違いないと思うと、
それを見て見ぬふりをしてきた大人たちと報道の責任と罪は大きいと思うのです。知らないでは済まされなかったことだと思うのです。
昨今の報道の仕方を見ていても、暴力の認知の低さに本当に不快に感じてしまいます。
たとえば、最近報道されている芸人さんの不倫疑惑です。
「不倫」と「性暴力」の線引きができておらず、芸能人の「性暴力」が「不倫疑惑」として報道されています。
男性優位な社会構造のなかで起こる暴力が、まるで個人的なこと、暴力ではないように矮小化されて報道され、社会の視点のずれに怖さを感じます。
(参考:Yahoo!ニュース)
私が記事を読む限り、
・会うことを勝手に「性行為がOK」と加害者がゆがんで解釈している
・「ダメです」と何度も言っている(同意していない)のに、聞き入れず、力づくで強制している
・二人の関係性は、明らかに男性の方が年上、芸能界で先輩であった立場であり、力の差は明らか(むしろ自分より下の立場の人を狙っている)で断ることができない状態を作り出している
・一方的に部屋に誘導され、他の(社長と呼ばれる)男性もその女性が部屋に入るように手伝っている。男性二人によって女性が逃げられないような状態を作っている。
この女性は26歳。本当に恐怖だっただろうなと思います。
結果的に「だめです」と何度も拒否し逃げ出すことができましたが、
心の傷はずっと残るだろうし、キスもされていたり、からだに触れられているので、
ふと思い出して眠れなかったり、それらがトラウマになったり、何年後かにPTSDを発症することも考えれらます。
このケースは刑法が改正された「不同意わいせつ罪」に私は当たると思いますので、被害届を出してほしいと個人的に思います。(しかし本人の意思や気持ちの問題もあるので強制はできません。)
加害者であることの突きつけを行わなければ、加害は繰り返されます。
加害をする人は「いかに断れない・逃げられない状況を作るかに非常に長けている」と思うのです。
ジャニー氏も同じです。
彼らは、女性や子どもたちを蔑視しており、人として尊重しておらず、
自分の思い通りにする、自分の欲求を満たすための名誉欲や性的欲求、支配欲を満たすための道具 なのでしょう。
尊重することができれば、相手の意思を尊重しますし、
そもそも断ることができない立場の人や、性に対する正しい理解ができない相手に対して、性的な行為はしません。
その人のからだはその人のもの、
他者が好きに扱っていいわけではありません。
ですので、このようなことは絶対に起こりません。
それはつまり社会的に力を持たされている人たちが、その特権を利用して、自分の思い通りにするための選択する暴力であり、
それらがわかりづらい、容認される、そこまで大した問題にならないことを彼らは知っています。
「芸人だから仕方ない」とか「成功者だから」「社長だから」といって、容認したり、それらを正当化してはいけません。
被害者が苦しむのは、被害自体にもですが、
さらに「仕方がない」とか「あなたも悪い」とか「嘘をついている」と、
他者から暴力を暴力でないとされたり、被害者が悪いと責められることです。
被害者は暴力を暴力として扱われないことに非常に苦しむのです。
これらはかなりの二次被害です。
「不倫」はお互いが同意のうえであり、性暴力を受けた人に「不倫だ」といことは、被害者をも責める言葉になります。
そう言われる被害者は「自分も悪かったのか」と思わせられます。被害者は悪くありません。
加害者はターゲットを確実に狙って、性的に消費しようとしているのです。責任は被害者になく、その責任は100%加害者です。
私は特にメディアは、中立に報道をしてほしいと願います。
性暴力を報道するときは、加害者の意見を尊重する必要はなく、被害者の視点に立つことをしなければいけません。
そうしなければ中立にならないのです。
加害者は、暴力を矮小化したり、嘘をついたりしてなかったことにしてしまいます。
「暴力」を「暴力」として適切に報道する。
それらは被害者の視点からみなければ適切に報道ができないのです。
それがメディアに求められることだと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
