悟りへの道 -34ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

デジカメのマイクロSDカード内のデータが削除できなくなった。

 

 

 

 

下記を参照させていただき試してみた。なんとか復活した。

 

 

 

 

 

 

 

リムーバルディスクEを右クリック
/フォーマット をクリック

/「フォーマット-リムーバルディスク(E:)」 というポップアップが表示される

/デバイスの規定値を復元する、クイックフォーマットにチェック

/開始 クリック

 

完了

 

 

 

 

下記の出だしから始まっていたこの動画。

 

 

「悟りを開くにはどうすればいいのでしょうか?

 

結論を言いましょう。

 

悟りを開くための一番の肝心なステップは・・・

 

思考を本当の自分だと見なすのをやめることです。」

 

 

 

 

 

そして、

思考、

感情、

について解説していた。

 

 

 

 

 

初期仏教の釈迦が言っていることが分かってくると

エックハルト・トールが

言わんとしていることも分かってきた。

 

以前、そこに真理がある気がして

一生懸命読んでいてわからなかった

エックハルト・トールの本。

 

でも、

思考は自分ではないことを知るだけでも

十分だったと今では思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Windows10を使用しているが

 

●フォルダ内の検索

●グーグルクロームで表示したページ内検索

 

が出来なくなった。

 

 

 

 

大変不便だったが、

下記のサイトを参考にしたら

解消できた。

 

 

 

 

 

本当に助かりました!

ありがとうございました。

 

 

 

あまりないことだろうが、

念のために記録しておきます。

少しだけ

マーフィーの本を継続して読んできた身として

 

人が願望を願う願い方についてよく聞く言葉がある。

「願っているのに叶わない」

という言葉だ。

 

そんな時

「何回願った? 何日願った?」

と聞く。

 

たいてい、

数回、多くて10回ぐらい。

 

※願い方も大事だが、ここでは省略します。

 

 

さらに、

「逆に、それ以外の時間は何をしている?

願望を考える時間が1割ならば、残りの9割は不満足な物事を考えることに時間を使っていないか?」

と聞く。

 

すると、たいてい

「そうだ」という答えが返ってくる。

 

 

 

つまり、

徹底的に願望を考えている時間と回数が圧倒的に少ない。

 

でも

少なくて悪いという訳ではない。

 

願望を3しか考えていなくても、

悪い事を0.5考え

残り6.5は頭を空っぽにしているなどならいい。

 

願望3で、悪い事を7考え

不満足な想像に2.5倍の時間を使っていることが問題なのである。

そちらが勝ってしまう。

 

 

 

 

私が、若い頃はまさにコレだった。

だから、悟りを求めたくなったのだと思う。

 

今は、少し願望も叶い、

悟りのエッセンスも分かるようになった。

 

悩んでいたから、これらが得られたので、

結局人生よくなるようになっている。

 

 

 

 

 

 

さて、

こんなことを書いたのは、

自分が仕事については

この悪い思考をしていたと今日気づいたから。

 

私用でここのところ忙しく

仕事が大変溜まっている状況だった。

 

忙しい忙しい

あれもこれもやらないと

もーどれからやったらいいんだろう

 

考えること判断することが多く

気ばかり焦り

同じ位置にいるような状態だった。

 

悟り視点で自分をみつめているつもりが

 

仕事については気が緩み

無意識にこのような思考で頭をいっぱいにさせていた。

 

 

 

 

今日は、

それら仕事について

良い思考でとらえないといけなかったと気づき

 

「集中集中集中」

「Aの仕事完了 Aの仕事完了 Aの仕事完了」

 

と事ある毎に

となえて仕事をすすめた。

 

 

 

すぐ気が散ったり

山済みの仕事の不安やらで

あちこちの仕事に手を出したくなっていたが、

1つ大きな仕事を終わらせないと区切りが付かない。

 

 

 

おかげ様で

一区切りつけられた。

 

 

 

そうなのだ、

うそでもよい思考で頭をいっぱいにすることが大事なのだ。

 

 

 

単語をとなえるだけでいい。

ずっと唱えなくてもよい。

気が散りそうになったら唱えるだけでいい。

 

 

 

ただ、悪い思考はしないことだけは

特に気を付ける。

 

 

 

バカにしがちだが、

やってみると本当に効果が高い。

 

 

 

 

よい学びがあって

やっぱりよくなるようになっているなぁ

ついてるなぁ。

みなさまありがとうございました!

 

 

 

最近は、

家族が感情的になるのを

感情をほとんど動かさず見ていられるのだが、

 

嫌だなぁ

聞きたくないなぁ

感情的に怒り、子供だなぁ

 

のような気持ちがでてきてしまう。

 

 

 

 

 

受け入れたくないので

 

貪瞋痴(とんじんち)の瞋(しん)の

怒りにあたると思う。

 

 

また、子供だなぁと

自分は大人のような気持ちの

 

貪(とん)の慢(まん)も

でているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

かつ、

家族でいろいろ決めていくことがある際に、

 

意見が違うのは

モノサシや価値観が違うから当然、

擦り合わせることが大事に思うだが、

 

意見をもとめられたのでBと答えると、

自分のAこと正しいと

Aはこんなに重要なのにと

怒ってしまっていた家族。

 

 

 

 

 

でも現在の自分は

それを冷静に見れていた。

その自分でいられただけありがたいのだが。

 

こういう時

どうすればいいのかなぁと思った。

 

 

過去の私は

巻き込まれてイライラしてしまっていた。

こちらも気が収まらなくなり、

怒りでグルグルしていたと思う。

 

それはほぼなかった。

毎日自分を見て

いろいろな悟りの学びの本のおかげだと思う。

 

 

 

 

 

 

ただ、

何を学べばよかったのかなぁと

思う。

 

 

 

 

 

いつも自分で心掛けていることがある。

 

悪意がなかったら自分を責めなくてよい、

でもそこから何が学べるか、

次に生かせることは学ぼう、

 

というもの。

 

 

 

 

 

 

モノサシが違うので、意見が違うのは仕方ない。

 

今日学ぶべきなのは、

意見が違うことを伝える時の伝え方かもしれないと思った。

 

相手が自分の考えを否定されたと感じさせたから

相手が感情的になったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

モノサシが違い

意見は違うのは当然だが、

 

相手の感情を動かさないことに

注力すべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 

そうそう

書きたいと思って

少し忙しく書けなかったことがあった。

 

 

 

 

 

 

ここで書いた、小池さんの本↓

これをコツコツ読んでいるのだが、

 

 

 

 

 

 

044番

「非難でもなく賞賛でもなく、法則を語る」

にこうあった。

 

 

「他人をほめてプライドを刺激したり、他人をけなしてプライドを刺激したりすることが、相手の心を混乱させることを知っておくように。」

 

 

 

 

 

相手をけなして心を動かしてもダメ

相手をほめて心を動かすのもダメ

というようなことかと思う。

 

 

 

 

 

 

例:

・あなたは欲望にふけった愚かな瞑想法だと自分が苦しくなるだけですよ  

→ × 非難となり相手をイライラさせる

 

・あなたは、欲望にふけった愚かな瞑想法をせずに、苦しむことなく正しい実践のしかたができていいますね  

→  × 賞賛となり相手の心を浮つかせる

 

・欲望にふけらない瞑想をすれば、苦しむことのない正しい実践になるますね 

→ 〇 「こうすれば、こうなるよ」と法則のみの指摘となる

 

 

 

 

 

 

「ほめる」ことはいいことだと思っていた私。

 

だからとても驚いた。

 

でもその日から、

もし褒めるならば、その法則だけを伝えるという、その本で釈迦がすすめている言い方に変えるようになった。

 

 

 

 

 

とにかく、人の心(プライド)を大きく揺らさない、大切さをとかれていたと理解した。

 

 

 

 

 

 

●人の気持ちを怒り等マイナスに揺らす時は、結局は自分の意見を主張し非難に感じさせているのかもしれない。

 

意見を出し合うときにも、

 

褒めるときのように、意見としてでなく、「法則」のようなものいいですべきなのかもしれない。

 

 

 

また

 

●意見の違いが合った時、

それぞれの視点があると思う。

 

Aについて 〇  ×

Bについて 意見一致

Cについて △  〇

 

等、

それらを列挙して、

全部が意見が違うわけではない

ことを確認したり、

 

違う部分のここは、

お互い何からそう思うか

と前向きに判断材料をあげる

判断につなげよう

 

という進め方が必要だったのかもしれない。

 

次に生かそうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

昔だったら、

相手が怒り、こちらもイライラし

もう知らない!

のような対応になっていたと思うが、

 

感情的になる自分が減り

何を学ぶべきだったのか考えられることで

 

実戦的な学びになった気がする。

 

 

 

 

 

 

原始仏教(日本に伝わった大乗仏教とは違う)は、究極の心理学と言われるが、ほんとうにそうだなぁとあらためて感じ感謝の気持ちです。

 

 

 

 

 

結局、またよい学びになっり

人生よいことか、さらに良いことしかやはり起こらないな。

いつもついていてありがたいなぁ。

 

 

 

 

 

生きとし生けるものすべての幸せを願います。

 

~ありがとうありがとうありがとう~

 

 

 

 

タイトルの本を図書館で借りてきた。

サブタイトル「スジャータ」。

 

 

 

 

 

幸・不幸はない

良い・悪いはない

自分で人生をつくっているというより本当は縁起でおこっている

 

悟りへの道を歩んでいくと

そのような考えになってくる。

 

 

 

 

 

物は考えようとか、

万事塞翁が馬とか、

そのような言葉でも表現できるかもしれない。

 

しかし、

それだと少し軽くなるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

幸・不幸について、本書から学びがあった。

 

 

 

 

 

 

 

P.240~

 

「自分が一番不幸だ・・・」

という巨人のヤタラ。

 

彼は、”2人” の母を亡くした。

 

幸せな人、

不幸な人、

がいる理由はなぜなのか?

 

ブッダにそれを問いかけた。

 

ブッダはこたえる。

「この世に幸福な人なぞありはしない!」

 

 

おまえの母であり

王子の母でもある

「女」を殺した王子も立場上母を殺しどれだけ苦しかったか?

 

妻を殺され、息子が妻であり母を殺すきっかけが

自分にあったと思う王様の苦しみはさらに大きいのでは?

 

「女」を焼き殺す際に、周囲におり何の罪もない多くの女性も犠牲になり、その女性たちの苦しみはいかほどか?

 

・・・

 

 

 

最後には、

ブッダはこう諭していた。

 

「木や草や山や川がそこにあるように、

 

人間もこの自然の中にあるからにはちゃんと意味があって生きているのだ

 

あらゆるものとつながりを持って・・・そのつながりの中でおまえは大事な役目をしているのだよ。

 

もしおまえがこの世にいないならば何かが狂ってしまうだろう。

 

その川をみなさい。

 

川は偉大だ。自然の流れのままになかせて何万年もずっと流れている。流れをはやめようという欲もなければ流れを変えるちからも出さないすべて自然のままなのだ!

 

しかし大きく美しい・・・よころばれ そしてめぐみをあたえている。

 

おまえも巨人だ。おまえの生き方しだいで、川のように偉大にもなれるだろうよ。」

 

 

 

 

 

 

つい、人間は

 

自分だけが苦しい、

自分が一番不幸、

 

そんな思考になる。

 

 

まわりそれぞれの立場には

視点がいかなくなる。

 

 

そして

以前の自分だったら

 

・自分だけが不幸なのではない

・この自分の不幸な出来事は他者も関係しており

他者もそれぞれ大変なことがあり辛い

 

などと思っていただろう。

 

そして

自分だけにこだわらない視点をもったつもりでも

たぶんそれは3日坊主で終わる。

 

数日で、

自分自分と

また自分のことばかりの快・不快にとらわれ

自分の欲するもの、欲しくないものにこだわり、

 

また狭い視点に気づき反省、

その繰り返しをしていた気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、

こう思った。

 

相手は関係ないのではないか?

他人は関係ないのではないか?

 

 

 

 

 

 

 

自分に

何が起こっても

思考・感情・妄想に巻き込まれず、

 

良い・悪いにこだわらず

 

しいてするとしたら「学び」にし

 

川が

流れにまかせ

流れを変えようとも

流れを早めようともせず

 

大きく

美しく

よろこばれ

めぐみをあたえているように

 

 

その

自分に起こったことを

 

流れにまかせ

受け入れ

 

自分の役目を

おこったことを

静かにおだやかに受け入れる

 

それが大事なのではないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も川のように

 

流れにまかせ

流れを変えようとも

流れを早めようともせず

 

大きく

美しく

よろこばれ

めぐみをあたえている

 

そんな生き方に近づけていけたらと思う。

 

 

 

 

 

 

今日も学びを

ありがとうございました。