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悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

イエローハットの社長の鍵山さんの本。

 

頭のそうじ心のそうじ: 人生をキレイにする


ここのところ、毎日、一節分だけ読んで実行するようにしている。



悟り的視点を深めるため思考をみつめることを多くしてきた。

 

これも本当に大切だと思うが、

何も考えず体を動かす大切さを感じる。




本のタイトルのように、
掃除した場所はもちろんなのだが、

 

何より自分の心、自分の頭が、一番スッキリする。



しばしば、思考がざわつくときがあるが、

そんな時、

「あとで、鍵山さんの本のように掃除をしよう!」
と思うだけで、安心する心に戻る不思議、そして感謝。



全てを愛し一体となり自分を消して軽やかながら、楽しんですすめたらと思う。



明日も、皆が幸せと笑顔の日でありますように🍀

 

頭のそうじ心のそうじ: 人生をキレイにする

 

 

 

 

追伸:

うろ覚えだが、少年院かなにかのやりたい放題だった子供が

読んで自分をあらためることになったという本が、下記だという。

 

あとからくる君たちへ伝えたいこと

 

↑ これは、人として大事なことが書いてある気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、その常識って本当ですか、と思うことしばしば。

 

 

疑ってみると、

 

やらなくてよいことに気付いたり、

もっとよい方法が見つかったり、

逆に出来ないと思っていたことができたり・・・。

 

 

 

人は、どこかでできたモノサシ(常識)で生きている。

 

また、無知(未経験、知らない)も物事に大いに影響しているし、

 

欲、勘違い、究極は「自分」と思い込んだ視点も人生に大いに関係している。

 

 

 

 

以前、悟り的視点ができたころは、

 

「モノサシ」と「無知」が苦の原因のトップ2、だと思ったりしていた。

 

 

 

しかし、また違う視点がでてきた。

 

「モノサシ」はそれまでの人生でそれを持つしかなかったのだから、それはそれでいいのだ。

 

 

 

それよりも今の「自分」と思い込んでいる思考の世界に没頭してしまっていること。

 

ゆえに、その「モノサシ(常識)」を大いに疑ったりさらに考える、ことができなくなっていることこそが問題なのかもしれないと思った。

 

 

 

問題と書いてしまったが、問題でも問題でなくても本当はそれでいいのだが。

 

ただ、悟り的視点が増えても、全くなくとも、

 

生きやすくなるポイントなのではないかと思っている。

 

 

 

前向きな言い方で、

常識を疑うことを表現すると、

 

道はある

道はある

必ずさらなる道がある

 

としておきたい。

 

 

 

明日も笑顔、今日も笑顔、よい日がすべての万人万物に日々太陽の光のようにふりそそぎますように🍀


ある有料セミナーの講師がこのようにいっていた。

「思い込みで生きること」

・自分はいけてる、素敵、美男・美女だと思う。
・あれが足りないここがダメだと思わない。
・鏡を見れば、自分をほめまくる。


・自分がほんとうに人の役にたっていると思う。
(お金を使う1つでも、そこの社員、家族、経済、社会に多大な利・徳を与えていると思うこと。)
 

そんな事実と違う”良い思い”なんて込みできないよ」、という思考が出るかもしれない。




でも、やってみよう!!
今まではそう思って終わっていたかもしれない。

しかし、ちがう視点が出てきた。





”良い思い込み”なんてできないよ、と思った


その裏には”事実じゃない”から、という考えがある。

良い思い込みは、現実の姿とは違うと思っている。




では、自分はダメだなぁ、自分はここが足りないなぁ、と思っているなら

自分の確固たる視点は、正しいのか?


その基準は、本当なのか? 悪い思い込みではないのか。

 

 

どこかの今より若い未熟な時点での思い込み

 

狭い視野の自分の思い込み

 

一度信じたものはそれこそ正しい自分は正しいとの思い込み。




変えられる可能性がみえても、

 

親がこうだったからなど”何かのせい”にし変えず、

 

現状維持が楽だから変えず、

 

良い思い込みをする努力が面倒だから変えず、

 

工夫し考える力を培わない生活をして変えず。




良い思い込みは大切だが、

 

良い思い込みをする前に下記を認識する必要があると思っている。

 


①自分は、思い込んで生きていることに気付く。

 

②何かのせいや現状維持機能や面倒で、変えないよう自分がしていることに気付く。

 

③何かのせいにせず、自分が変わるしか、人生を切り開けないと思うしかないこと。




盲目だった自分、

何かのせいにしたり面倒で現状維持を望んだ自分、

それを認めたうえで自分が変わるしか人生を切り開けないと動く自分、へ。




明日も笑顔、今日も笑顔、万人万物がさらに幸せでありますよう🍀











 

苦の原因は、

モノサシや無知等だとよく書いてきた。

ということは、モノサシ(常識)の逆をいくとどうなるのか・・・。




最近こんなことがあった。

●あるお家に訪問したら、散らかっていた以前とは真逆のミニマリスト的なスッキリぴかぴかの部屋になっていた

●母から母流家計簿のつけ方を習ったら、ありえない簡単さなのにそれで十分で手軽さゆえに続くことに気付いた

●ブログにも書いたが、身内の何年も聞かされてきた同じ愚痴が負担になりいよきよ断ったら、愚痴を言われなくなった




これらは、以前の常識から変えたエピソードということになると思う。



このくらい物がないと・・・・・でも部屋が汚くていやだなぁ
細かく家計簿をつけないと・・・でもこの家計簿をつけるの面倒でできないなぁ
愚痴はきいてあげないと・・・・でも愚痴をもう聞きたくないなぁ



「〇〇しないとダメだ」
「〇〇でないと不安」

こちらの「モノサシ(常識、信じ込み)」を優先していたように思う。




〇〇しないと、とか
不安だから、とか

今までの「常識、モノサシ、不安感」を優先するのではなく、




〇〇したいなぁ
〇〇したくないなぁ

を優先する。





すべきことでなく、

望みを自覚し、”真逆に近い=ありえない”ことをしてみる。

そのやり方を工夫する。

そこに頭を使うことが、本当は人間に必要なのではないか、と思った。

 

 

 

 

明日も笑顔、今日も笑顔、豊かさと平安が皆に訪れますように🍀
 

々に下記の本を読む。

 

超訳ブッダの言葉

 



この本は、Amazon Audible で頻繁に聞き直している。
もう10回は聞いたかもしれない。

Audibleで聞いているからという気持ちでいたが、
久々に朝に手に取って読んでみた。

聞くと読むは、全く違う印象をもつ。
聞くもいいが、読む方がぐっと内省が深まる気がした。



近、多くの問題の9割ぐらいは、下記だと思ってきた。


(もっともっと、勝ちたい、認めてほしい、こうありたい、思い通りにしたい)
自分のモノサシ(自分の常識・価値観・経験・感じたことが、正しい)
無知であること(知らない、経験がない、勘違いしている、同じだと思っているなど)

これらをもとにして「期待」が生じて、願わず怒り、嫉妬、怠惰などがはじまる。


だから、「苦」が生じかけたらこれらに巻き込まれていないか振り返るようにしていた。



かし、今朝読んだことで、さらなる視点をまた得られた。
それは「執着」。

「欲」、「モノサシ」、「無知」の裏には、
それが正しい、それしかない、と思い込んでいる「執着」があるとあらためて気付いた。

「執着」も生じていないか気を付けていこう。

 




”心の成長” は、毎日毎日、

何かの習い事を習得するかのように日々するべきもの。


忘れてしまったら、また戻ればいい。
戻っても、また忘れたとしてもいい。

その時は、また戻ればいい。

そして・・・。
 

繰り返し、継続の道。

 

精進していきましょう。


心の成長の道。

日本人としての精神性の道。

 

 

 

継続し繰り返すことのみが、”道”への最短の道。

内の手伝いで、深夜に帰宅。

そこから遅い夕食を用意し、深夜2時をまわる。

 

その日不快と”思考する”出来事があった。

夕食後も何度も

反芻して頭にその”思考”が浮かんできた。

 

 

普段は思考をとらえて

「また自分のモノサシで測り、妄想しかけたなぁ」

で終わりになるのに

何度も何度も今日は反芻が起きる。

 

今日はなんだか、オカシイなぁ。

 

 

分のモノサシで見ていると思うものの

とらわれが止まない。

 

その出来事をどうとらえるか紙に書き足したり、

そんなことよりと、片付け等出来ることをしたりした。

 

でもひと段落するとまだ出てきた。

 

 

こで思ったのが、

悟り的に思考をとらえるだけでは

対処しきれない場合があるということだった。

 

疲れていると反芻思考が出やすい、ようだった。

 

 

 

下記をしようと思った。

 

・まず疲れないよう気を付けること、疲れに気付くこと

 

・休みを自分に作ること

 

・実家にも無理して援助しないこと

 

 

 

 

らに、考えてみたいのは、

 

誰のために無理しているのか?

なぜ休みをつくらないでいたのか?

自分の休みはどれだけ必要だと思っているのか?

その休みのなさの目的は本当の目的か?

何のために無理しているのか?

その無理は本当に必要か?

思い込み、常識、無知がそこにないか?

それは自分がする必要があることなのか?

無理をしたら何があるのか?

休まないとどこにいくのか?

どこを目指しているのか?

目指す生活に必要と思っているのは、

将来どんな生活をめざし、それが人生にあるとどうなると思っているのか?

その生活がどうして正しいと思っているのか?

自分が、自分の人生の”格”としたいものは何であるのか?

 

ということ。

 

 

 

ドラマ「仁」の”咲さん”の姿勢を継続しながら

また考えを深めていきたい。

 

 

 

TBSドラマ「JIN 仁」をNetflixでみた。


見ていて思ったこと。
●言葉が丁寧で美しい
●核となる方針がある、芯がある
 例) 国のため、道のため
    医師であるならいかなる人も治療する
    神が望んだから今がある
●姿勢、所作、歩き方が美しい
●辛抱強い
●自立している(人のせいにしない、責任をとる)


見ているうちに準主人公である

「”咲さん”」の所作、歩き方、言葉遣いをマネしていた。

 

 

思考を眺められるようになってはいたが、

眺めなくとも”咲さん”の丁寧な所作のマネをしていると

自動思考が出にくくなるのに気が付いた。

 

また、心の平安が増えることにも気が付いた。

 



この変化は本当だろうか?

 

少し不思議に思ったので、自分の姿勢、歩き方等にもどすと
たちまち自動思考が出やすくなった。



悟り的思考を獲得できたことで、

「助かった…」と思える”モノの見え方”が得られた。

 

しかし、

それだけで一切苦しみがなくなる魔法ではない

ことにも気付いた。

 

悟り的思考に加え、

少しの考え方や生き方のコツもある方がベターだとも思った。

 

 

 

そして、今回、「所作、姿勢、言葉」の大切さを感じた。

 

 

 

よくスポーツで「心技体」という言葉が使われる。

 

 

 

それに似て、「悟り・技術・体」が基本と感じた。

 

 

 

その発見があっても、その継続がなかなか難しい。

 

それを常に思い出し、実践できる場があることが

とても大事ではないかなと思った。

 

一考したい。