「愛情は、相手の望む形でないと届かないことがある」
そんなことを、ある出来事から強く実感した。
■昔、困っているというAに
許容範囲で支援したことがあった。
金額にして50万円ほど。
結果的には100万円ほどの損失になった。
お金は1円も返ってこなかった。
■人に渡したお金は返ってこない。
物も、手から離れた時点で
戻らないものと思っている。
よく聞く話で、
貸した側が返済要求しようものなら
「ヒドイ人間だ」と言われてしまうという。
同じように言われた。
■予定通り返ってこなかったが、それ自体は受け入れていた。
ただ、後日こんなことを言っていると耳にした。
「自分より余裕があるのだから、
もっと出してくれてもいいのにあれっぽちでケチだ。
自分だったらもっとこうしてあげるのに。」
もっと提供されるべき、ぐらいに思っていたようだった。
■大変驚き、しばらく理解不能だった。
何だかおかしいと思いながらも
うまく反論できなかった。
その時は、そういう人なのだ、
と思うようにしていたが、
最近あらためて考えてみて、気づいた。
■相手の望む形でないと、
愛情として認識されないこともある、と思った。
愛情はかけたつもりだったが、
相手の望む形でなかったのだと思う。
相手の認識次第で
どんな評価にも変わる。
相手次第なのだ。
■そして、Aは、
こんな受け取り方もしていたと思う。
・貸りたのに、返していない
→ 困っているのだからと、当然化、無効化
・他人の余裕
→ 分けられるべきと、権利化
・ありえない仮定話
→ 自己正当化しこれを武器に相手を逆に、攻撃化
これが、人が苦しいとき起こしがちな
傾向なのだと思った。
またその背景には、
「自立心」・「境界線」・「他人の立場への想像」が欠けた
視点があった気がする。
■また返済はなくとも
それなりの感謝の念が相手の心にはあったはずだ、
と私は勝手に思っていた。
そう、「結果」に執着し、
自分のモノサシで、「期待」していた”自分”がいた。
■今後は
お金を貸す(あげる)自体控える予定だが、
相手の論理の土俵に乗っていないかに
よく注意し、
いろいろな分野においても、
受け取り方は相手次第。相手の受け取り方を手放す。
そして
行動するようなら、感謝も評価も結果ももすべて手放す、
ようにしていきたい。
一つ区切りがついた気がした。
すべてに感謝。