「自分という存在は価値があるのか?」
という疑問はよく語られたりすると思う。
■あるネットにて
「生きていることで周りに影響している=だから価値がある」
と語られていた。
コメント欄を見ても賛同が多かった。
その意見に、んっ?少し違うのかな、という違和感が出た。
■少し考えを巡らせ、いくつか見えてきた視点があった。
●影響がある=それだけで価値があるだと、
影響が多くあったほうがいいとか、
影響の種類とか、
本当に救いがあるのか?
●勇気付けられる人が多いと思うが、
対処療法的なのかなと感じた。
これは、真理でないかもしれない。
●しかし、
「人の心にエネルギーを与えられる」
という力がある。
音楽やスポーツのように、その分野だと思うと
素晴らしいものという視点がおきた。
■では、”自分”はどう考えるのか?
こんな風に思った。
「影響を何かしら与えているから」、
「役に立つから」、
「認められるから」、
「誰かを励ますから」、
価値があるというのではなく、
・・・
そもそもその存在は、
宇宙の因果の流れでおこるべくしておこった存在。
「価値があるから存在していい」のではなく、
「存在したことは、 宇宙の因果での必然」
であるように思った。
つまり、
『必然として起こっている存在』
その必然性に
「価値」という認識を飛び越えた
意味、
がある気がした。
この認識を土台にすることで、
よりシンプルに生きられるのではないかと思った。
■まとめると、
●「存在していることが、宇宙の正解である(決定事項・必須事項)」という価値判断を超えた認識
●ただ、「表面上は社会のルールというゲームに参加する」という二段構えが必要
以上のように思う。
■それでも人は、意味や価値をつけずにはいられない。
そのことについては、また別の機会に書きたいと思う。
-----------------------------------------
全てに感謝。
万人万物のさらなる幸を祈ります。