こんばんは。

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

 

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両親の老いについて 

また私が面した老いについて綴っています。

 

 

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老いを生きる 目次

 

 

 

今日は 母の病状のおさらいと

今の私の思いを記しておきたいと思います。

 

 

 

母は14年前に1型糖尿病

2年前に認知症と診断され
昨年6月 尿路感染症から肺血症となり入院。
 
それ以来 病院生活を送っています。
 
敗血症になった時は
「命に関わるとても危険な状態」
と大学病院の医師から説明を受け
一刻も早い処置が必要と
静脈中心カテーテルを勧められました。
 
が 両親は以前から
「延命治療は望まない」
という意志表示をしていたので
家族で話し合った結果
延命治療に繋がる可能性があるこの措置を
受けないことに決めました。
 
ですが結局
家族の決断を病院に告げる前に
母は自力で数値を上げ 措置は不要に。
 
その後 
周囲が驚くほどめきめき回復しました。
 
 
大学病院は最先端技術を駆使してでも救命するのが主旨。
 
病院が提示する治療を拒否することは
その主旨に反するため   病院とも合意の上で 
今入院している病院に転院しました。
 
 
転院した病院では
母が車イスから立ち上がろうとして転び
頭を打ち何針か縫う事態が起こり
念のため身体全体を検査した結果
 
慢性心不全
腎結石(約1センチ)
膀胱結石(約1センチ)
巨大肝のう胞(約20センチ)
 
と 新たに4つの病気が判明。
 
肝のう胞に関しては
他にも小さいのう胞がいくつか確認されています。
 
 
そのすぐ後 母は一時 
数値的な危篤状態に陥り
「今日が山 もって2,3日でしょう」
と再び命の宣告を受けました。
 
 
で・す・が…
 
母はまたまた この状態を自力で回復。
 
 
 
 
今では先生に
「なぜこの数値と病状で 
 こんなにお元気なのか もうわからない」
 
看護師さん 介護士さんには
「驚異の生命力」と言われ
 
母は無理解でケロッとしたまま
病状と本人の状態が一致しない患者
と一目置かれています。
 
 
 
この1年は
母の病状にずいぶん衝撃を受け
もうこれで最期かもと覚悟したこともあり 
感情的にかなり揺さぶられました。
 
 
介護経験と福祉経験豊富な親友が力を貸してくれたり
病院の看護師さんや介護士さんの経験談を聴いたりもして
 
「母にとって何が1番いい選択なのか」
 
治療法や対策を本人は決められないので
その都度 父 兄 妹と色々話し合ってきました。
 
 
で さすがに 慣れた。
 
母が「数値的に病状が悪い」
「いつ急変してもおかしくない」
ことに慣れました。
 
 
過去の命の危機も 
今じゃ「危篤詐欺だったね」と笑い
聞く数値や病状もすんなり受け入れて
母の生命力を信じるようになり
 
家族みんなの覚悟が固まったちょうどよい頃に
母は逝くのだろう
 
と  そんな気持ちになりました。
 
 
だから 今は与えられている時間なんだな
と思っています。
 
見送る家族にとって
「後悔が残らないこと」が大事で
我が家では特に 
父の後悔が残らないことね。
 
後悔しないよう
母に色々してあげることが出来るよう
与えられている時間です。
 
そうは言っても
何かしら後悔はするのだろうけれど。
 
 
以前は私が断固として反対した
静脈中心カテーテルも
父の要望を優先することに決め
今後母が危険な状態になった時は処置してもらう旨
病院に伝えてあります。
 
先生からも
 
「今後また気持ちが変わってもいいし
 要望が変わってももちろん構いません。
 ご家族のご希望を第1に治療します。」
 
と言っていただき
数値や通常の医療認識に当てはまらない
母本人の状態を診てくださっている先生に
痛みを排除する治療を優先する形で
今は全面的にお任せしています。
 
 
でも母は 
こうして外野があーだこーだ話し合いをしても
状況をぴゅ~っと軽々越えてしまう生命力を持っているので
結局のところ
母の生命力に任せておけばいいかな と。
 
家族でももう深刻な話し合いはしていません。
 
 
 
 
母のこの1年を見てきて
病状に対する選択肢がたくさんあることを知りました。
 
病院はどこにするか?
治療法はどうするか?
手術は受けるか?
薬は?
 
命の危機が迫っていると
考えたり話し合う時間にも余裕はなく
決めると言っても 素人の私たちには
よくわからない状況もあるわけで。
 
 
病院や担当のお医者さんの提案は確かに大事だけど
私はその時母に「どうしてもこうしたい!」
という気持ちが強く湧き上がる時があり
先生の提案に反してその思いを表明したり
行動するようになりました。
 
 
根拠は その方が母は喜ぶだろうから。
 
 
母の場合 
結局は母自身が自分の身体で
治療や薬を拒否する事態になり
(副作用の方が強く出てしまうという形で)
 
「母は自然治癒力や生命力重視で生きたいのだろう」
 
と感じたのです。
 
 
転院する時も
母は自然や花が大好きなので
緑に囲まれた立地と花壇のキレイな中庭が決め手となって
今の病院に決めました。
 
 
多少医療認識に反しても
何かを我慢して数日生き延びるより
命が短くなっても
嬉しいと思えることをして
笑って逝く方がいいと思う。
 
母は我慢が出来ないし したくない人だし
常に「幸せ!」「美味しい♪」「サイコー!」
って言ってるのでね。
 
糖尿病だけど   大好きな甘い物
いっぱい食べてます。
 
食べさせちゃってます。
 
 
 
 
母の病状が低空飛行ながら保たれているのも
先生の的確な治療やスタッフさんの献身的な介護のおかげですし
医療を否定するわけでは決してありません。
 
でも  病状や数値 データ 統計だけじゃなく
本人の気性や性格  我慢強さなんかも
選択と決断には大事だと思うのです。
 
それは病院ではみてもらえない部分で
受動的に提案されるものではなく
受ける側が提示する部分。
 
治療的にたとえ良いものであったとしても 
処置方法が本人にとって苦痛を伴うなら
その方がストレスになってしまうだろうし。
 
母の場合  鼻からの経管栄養や胃ろうは
本人にとって苦痛になると思われるので
それらの処置はしないことにしています。
 
 
それから 母のように自分で病状を理解できない場合は
家族の誰の意見を優先するかも。
 
我が家でそれは父ですが
父の性格 母に対しての想い 
死への覚悟の度合いなども
選択と決断に入れるのが大事だと思っています。
 
 
 
 
子供(娘)としては 
父親 母親としてじゃなく
個人として知っておく ということ。
 
親としてじゃなく
母という人間 父という人間は
どういう生き方をしてきたのか
どういう死に方を望んでいるのか
 
初めて聴いた両親の昔話や子供の頃の話
私から見ての祖父母と両親との親子関係
価値観や好みなども  
ここ数年実家に行く度に話してきたことが
随分参考になりました。
 
 
そしてまた  両親を1人の人として見れたことは
それまでの私の考え方や思い方が変わる
大きなキッカケともなりました。
 
私の今後のあらゆる選択や決断の仕方にも
影響を与えてくれたと思います。
 
 
やはり今のこの時間は 
「与えられた時間なんだな」と思います。
 
 
 
 
 
 

 

 

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子